odd_hatchの読書ノート

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ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1

 もともとは1935年に「市民時代末期のドイツ精神の運命」というタイトルで出版された。この中身を正確に示しているわけではないタイトルはドイツ哲学の韜晦趣味もあるだろうが、当時の政権に対する配慮もあっただろう。注意深く設定されたタイトルではあるが、ナチス批判の内容を持つ本書は出版と同時に禁書になった。戦後1959年に「遅れてきた国民」というタイトルに変更され、まえがきを加えて再販された。
 主題はドイツ精神史である。その主題の裏には、第1次大戦のあと、わずかな期間でナチスを生んだのかを説明する意図がある。訳者は「ロマン主義」に注目するが、読了後の感想では加えて「宗教の世俗化」も重要であったとみる。本書では「宗教の世俗化」を、プロテスタントが職能を通じて宗教心を持つように強く説いたことで生活が宗教化したのだが、むしろそれが宗教的情熱の行き場をなくして、哲学や芸術が宗教の代替になったと説明する。この「宗教の世俗化」は、ドイツの文化人の言説でよく見かける。彼らの情熱を理解するのに、「宗教の世俗化」はわかりやすい概念になる。
 ここでは、章ごとのサマリーの後に、感想を( )で追記した。

まえがき1959年 ・・・ 発刊後四半世紀を過ぎてからの再刊に際しての序。人々が(ナチスを選択し災厄をもたらしたことに関して)忘れっぽいこと、戦後の復興を通じて清算したと考えることに警鐘。マルクス主義的な総括では不充分なことも主張。
序 ・・・ ナチスを選択したことの背景に「ロマン主義」があることを検証する。
1 大戦のあとに 西ヨーロッパの政治的ヒューマニズムに対するドイツの抗議(プロテスト) ・・・ 西ヨーロッパの政治的ヒューマニズム(民主主義と市民的自由)は16−18世紀に形成され、国民国家を形成した。一方、その時期のドイツは国民的な統合がなく、キリスト教理念が一般的であった。ドイツが政治的ヒューマニズムで国家を統合しようとする時期(19世紀後半)には西ヨーロッパでは時代遅れの概念とみなされていて、しかも第1次大戦の敗戦とその後の経済的苦境と政治的な不安定は、ドイツで政治的ヒューマニズムに抗議するようになった。そのときの国民的な統合の理念はロマン主義だった。
2 ビスマルクの帝国、国家理念なき大国 ・・・ 16-18世紀にドイツが統一国家を作れなかったのは、世俗権力と教会権力のせめぎ合いと、国民のまずしさにある。19世紀なかばにプロイセンが統一したが、それは昔ながらの<帝国>で国家理念(民族の夢や未来への期待や人類への信念など)を持たない。そのうえ民主主義と市民的自由も根付いていなかったので、1918年以後の共和国にも国民は違和感をもっていた。
(国家理念なき国家において、19世紀のドイツ人インテリは「ドイツ芸術」「ドイツ精神」を統合の理念にしようと考えたといえるかも。民主主義や市民的自由がないときに、それを埋めて国民であることを納得するのが芸術や精神を理解できることになる。
 ここの指摘は、この国にもあてはまりそう。国民国家を持たないが周辺諸国からの圧力で<国家>を大急ぎで作ることになった。でも政治的ヒューマニズムの経験がないので、国民国家とは呼べない<帝国>になる。では政治的ヒューマニズムに基づく国家理念をもてばよいかというと、イギリスのジェントルとかフランス革命のスローガンなどは19世紀に批判されてすでに国家理念としては役立たずになっている。なので、歴史と神話を統合のシンボルにすることになり、それは政治的ヒューマニズムと一致する点がない。そのような「遅れてきた国」の国家理念のなさとか歴史や神話のシンボルによる統合は、この国のみならず東アジア諸国に共通している。国民国家が共有する政治的ヒューマニズムがそれぞれにないのだから、国家連合や国家共同体を形成する規範ができない。)
3 国家でなくして民族。ローマ帝国以来のコンプレックス ・・・ 政治的ヒューマニズムが統合理念にならないので、民族(フォルク)が登場する。スペイン、イタリアにも同じ民族という概念があるがこれは生活や共同体の実態を含んだもので、ドイツのフォルクは実体のない理念。これは人工的・文明的な存在になじめない(ハイデガーの「民族」を思い出そうか)。で、このフォルクは対抗として現れる。対抗するのはローマ的なもの。法や理性やカトリック教会みたいなもの。ここでクシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」平凡社ライブラリーで、ヨーロッパのもとをローマ帝国と辺境のゲルマンから書き起こしたことを想起すること。ゲルマンはローマ帝国の<外>にあたり、その支配に対する抵抗だった。近代だと、ローマ的な物から生まれた政治的ヒューマニズムに対する抵抗拠点がフォルクになる。
(ここでケルゼン「デモクラシーの本質と価値 」(岩波文庫)が1930年代に書かれたことを思い出す。ファシズムボルシェヴィキによる議会制民主主義の危機に対抗するという目的があったとはいえ、議会制民主主義の教科書がこの時代書かれなければならないということが重要だろう。)
4 信仰分裂と福音派国教会のぎくしゃくした関係に発した世俗信仰の起源 ・・・ ドイツでは宗教改革と領主が宗派を決めてよいという決定で、人々の宗教が混乱した(領主が変わったり改宗すると人々はそれに従わないといけないものなあ)。そこで、教会での信仰が薄くなる。またプロテスタンティズムは世俗生活において宗教心が発揮されるという考えだったから、自ずと教会の権威が下がり、人々は世俗の世界で宗教的な熱心さを発揮するようになる。18-19世紀で学問、哲学(及び芸術)に人々が熱中したのはそういう理由。学問、哲学(及び芸術)の活動に熱心になり、文化(クルトウア)に特別な意味と熱意を込めた。
(とはいえ、ドイツは南のカトリックと北のプロテスタントと東のカトリックがあるのだがなあ。この章の分析は南や東にも妥当するのかしら。でも、この分析はドイツの哲学や芸術、特に音楽の熱心さをうまく説明していると思う。
 一方、この国に適用しようとすると頓挫する。「民族」概念はこの国の歴史ではきわめて最近のものだし、その内容は官制で、上から降りてくるものだったと思うし。この国の信仰はさまざまな儀式にからみあっていて、そこに国が介入することで信仰を管理した。個人の自発的な信仰の熱情というモチーフはこの国では強くないのではないか。)
5 ドイツ文化の宗教的機能 ルター精神とこの精神が啓蒙主義及びカトリックに示した反抗 ・・・ そのあとルター派がドイツで主流になったのだが、ルター派は職業を神のおぼしめしとみなす。そこで職業、生活に宗教心が起こり、両者の区別がつかなくなる。職業だけでなく文化もそのような宗教的機能を持つ。するとフランスのような啓蒙主義(世俗と宗教を切り分ける)がドイツでは受け入れられないし、世俗化したプロテスタンティズムに変わってしまう。
6 ドイツ市民階級の非政治的姿勢に対する産業革命の影響 ・・・ 18世紀の産業革命は生活を一変する。自然と人間が切り離され、労働が人間を疎外し、経済の成長が生活の帰趨を決める。西ヨーロッパとアメリカは産業革命とほぼ同時期に市民革命を行ったが、ドイツではそれがない。経済の資本主義化とグローバル化は定期的な不況を起こしたが、それはドイツの職業観からすると、宗教的な不安定感をもたらした。西ヨーロッパやアメリカは市民の不安や不満を掬い取る民主主義・共和主義の政治体制を持っていたが、ドイツにはない。そこでドイツには権力=暴力で生活を安定にする軍事帝国が生まれる。また、生活の不安定さはドイツの哲学や芸術でロマン主義的な世界観をもたらした。もともとドイツ人の世界観にあるロマン主義をさらに拡大したのである。これはのちに政治的責任をもたない文芸趣味の聖化イデオロギーになる(おお、バイロイトとその周辺のことか!)
(著者は技術と経済は相反するというのだが、自分は納得しないのでサマリに反映しなかった。19世紀の政治・経済・文化の変化をうまくまとめていると思うが、実証的な論述ではないので、説得力はないなあ。論理的な議論ではなくて、連想飛躍があるのも。あと補遺のなかに、著者はオランダに住んだことがあって、オランダにはロマン主義がないとする。著者のいう「ロマン主義」はドイツ特有の思想・芸術運動で、精神なのかな。)


 作者とたぶん初出当時の読者には自明だったのだろうが、ここでいうドイツとはいったいどこを指しているのだろう。現在(2014年)の国境線で区切られている地域でよいのだろうか。つっこんでおいたように、現在の国境線内でも宗教の分布は大きく異なる。また歴史的にはロココの時代にはオーストリアのほうに権力と富が集中していたが、ドイツ語がつかわれるが現在のドイツとは別のエリアはどうなるのだろうか。そこらへんの地域と歴史の区切りが極東のこの国にいるとわからないので、この議論の妥当性をどこまで広げられるのかがわからない。
 あと作者はドイツを西ヨーロッパとは別物に考えている。彼の考えだと西ヨーロッパはイギリス・フランス・ベルギー・オランダくらいまで。なるほど、この本にあるような歴史や宗教性、啓蒙主義などの違いは西ヨーロッパとは大きな違いがある。ところが、ポーランド出身でフランスに移住したポミアンだと、ドイツは典型的なヨーロッパに他ならない。そこでは西ヨーロッパとドイツの差異は解消される。どこに視点をおいて、どのような問題を見るかで、「ヨーロッパ」という概念の枠組みが異なるわけだ。そこには、あと第1次と第2次の大戦の経験の有無もあるだろう。著者に近い見方(ドイツと西ヨーロッパを峻別する)のは19世紀末から第1次大戦までのまさに西ヨーロッパとドイツの知識人は当たり前の感覚だったようだ(ニーチェトーマス・マンロマン・ロランモーリス・ルブランなど)。
 まあ、それは極東のこの国でも同じで、「日本」というネーションがどこまで地域と歴史の一貫性を持っているかという問題と同じ。狭くとらえると「日本」は明治政府成立以降のせいぜい150年の歴史と、4つの島とその周辺ということになる。それでこの国の精神史をとらえるのに充分かということ。
(続く)
2015/12/11 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-2