アメリカの少壮科学史家による戦間期ドイツの物理学者の動向。1977年出版で、当時著者は32歳。
戦間期ドイツの20年間で重要なできごとはナチスの政権掌握。ファシズム政権が科学統制を行うとき、科学者はどのように対応したかという事例をみる。あわせてナショナリズムと科学が融合したときの社会的影響をみる。
背景 ・・・ 19世紀からのドイツの科学政策(特に大学とアカデミーの運営)をまとめる。ナチスの登場以前から反ユダヤ主義があった。ナチスの登場以後、ユダヤ人追放が行われ、もっとも影響を受けたのが物理学。
ゲッチンゲン1933年 ・・・ 1933年の公務員法でユダヤ人は公職から追放されることになった。その影響を甚大に受けたのが、ゲッチンゲンの物理学研究所。主要ポストの3人がユダヤ人だったから。彼らは、公然・消極的な抗議を上げたのちに、全員が海外のポストを求めて亡命した。その結果、物理学研究所の機能はしばらく低下した(ポストを埋める人材を獲得するのに時間がかかり、質も落ちた)。そのようなユダヤ知識人の亡命は若手にもおよび、他の分野でもあり、大量の頭脳流出が起きた。
追放政策の代償 ・・・ ゲッチンゲンの現象は全国各地で起きた。アインシュタイン、フランク、シュレディンガーなどのノーベル賞受賞者にもなった科学者だけでなく、助手・若手なども。その結果、医学を含む科学者の18%、物理学者では26%が職を辞して亡命した。亡命者はユダヤ人だけでなく、反ナチスのドイツ人科学者も含まれる。1938年のオーストリア併合によってオーストリアの科学者も海外亡命するようになる(フロイトが有名)。
政府と物理学の教授たち ・・・ 亡命者の出る一方、ドイツ国内にとどまった学者もいる。彼らは消極的抵抗や沈黙で国家社会主義を乗り越えようとした。科学者の流出の結果は、科学行政の混乱、高等教育の科学の時間の欠乏、科学者の政府からの離反、国際科学者社会からの孤立などだった。高等教育の訓練の不足は産業界の不満を呼ぶ。国際社会からの孤立によって最新知見から切り離され、国内科学者が委縮することで論文の質が低下していった。それでもドイツの物理学学会は政府の干渉が少なかった数少ない組織であった。それにして、かくのごとき事態に直面する。
アーリア的物理学者(フィリップ・レーナルト) ・・・ さらには自分の主張とナチスのそれを一致させ、積極的に関与した科学者もいる。1862年生まれのレーナルトは実験物理学者。イギリス嫌いで、相対性理論に反対する論を張り、しだいにユダヤ陰謀論(ドイツの物理学をユダヤ人の思想が堕落させている)に傾く。そしてナチスの運動に共鳴し、民族主義物理学を主張するに至る。
アーリア的物理学者(ヨハネス・シュタルク) ・・・ シュタルクは1874年生まれ。アインシュタインと交友を持つほどだったが、第1次大戦で国家主義に傾く。戦後はワイマール共和制に反対し、急進民族主義団体と近づく。同時に研究職を辞し、政治活動を行う。ナチス政権後は、科学者集団のトップになったが教育省との軋轢で辞職に追い込まれる。二人に共通するのは、ワイマール体制への不満から民族主義に傾斜、アインシュタインに代表される20世紀の物理学への反発、ノーベル賞を受賞したにもかかわらず不遇な職にあったこと、など。
アーリア的物理学 ・・・ アーリア的物理学といってもまとまった理念があるわけではない。あえて一致点を抜き出せば、1)宇宙観の共有(有機的、非唯物論的)、観察と実験の優位(数式や仮説嫌い)、人種的特性が研究に反映、2)反ユダヤ的な民族主義、3)ワイマール共和制に対する嫌悪(反民主主義)、4)技術嫌いなど。理論的にには内部矛盾があり、研究者間の闘争もあった。これはロマン主義思想の末裔。実績がでないので、産業界や官僚は次第に切り捨てていく。
アーリア的物理学の政治運動 ・・・ 1930年代後半のアーリア的物理学者の政治運動について。焦点になったのは、ミュンヘン大学のゾンマフェルトの後任人事。量子力学の構築者であるヴェルナー・ハイゼンベルクを任命させないためのロビー活動を行う。党派内抗争や教育相と科学者集団の覇権争いもあって、混沌とした様相。1939年、ハイゼンベルクが任命されなかったことで、一応の決着がつく。一方、ドイツの理論物理学は質の低下、教授の減少、学生の忌避などで弱体化する。
戦時下 ・・・ 1940年になって揺れ戻しが起きる。党員、教授などがアーリア的物理学者と論争し勝利する。それは「戦争遂行上必要」という国家利益を掲げたことにも理由がある。核分裂の発見が原子爆弾の可能性を示唆したため、物理学者が動員されたが、そこではアーリア的物理学者の入る余地はなかった。この科学動員はすでに手遅れで1945年に破たんする。
結論 ・・・ ドイツの物理学者の3つの類型について概説。亡命者、アーリア的物理学の政治運動、国内にとどまって研究活動を継続したもの。そこから、なぜ科学者はナチスに抵抗できなかったかと問う。
ドイツの戦間期科学体制で特徴的なのは、国家社会主義(なぜかこの本では「国民社会主義」と訳される)の人種差別政策で、亡命者とイデオロギー的迎合者を生んだこと。そのうえ、当時の政権では珍しく科学研究に重きを置かなかったために、これらの闘争や運動が科学者集団内部で行われたというところ。アメリカやこの国の科学動員とはそうとうに違った様相があり、科学者の政治性に関する問題も複雑になった。
2015/12/15 アラン・バイエルヘン「ヒトラー政権と科学者たち」(岩波現代選書)-2
2015/12/16 アラン・バイエルヘン「ヒトラー政権と科学者たち」(岩波現代選書)-3
第2次大戦下で行われた各国の科学動員は、廣重徹「科学の社会史」(岩波現代文庫)に詳しい。日本とアメリカの事例はこちらで補完してほしい。