odd_hatchの読書ノート

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久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-1

 1957年から中央公論に連載された論文。戦後の日本の思想運動から6つのタイプを抽出する。3人で分担して一人がレジュメをつくって発表。そのあと、3人の対談となる。このやり方はたぶんアメリカのゼミなどではあっても、この国のアカデミズムにはなかった(好き放題をしゃべる「座談」というのはあっても)。
 戦後といってもまだ十数年しかたっておらず、そのうえ俎上にあげたグループや個人は存命中であった。そのために各人からの批判や反論があったという。存命中の(場合によっては面識のある)人の思想を批判するというのは、この国では珍しいことであったと思う。単なる悪口やゴシップの陳列にならないのは、この三人のモラルというか見識の高さにあるのだろう。

知識人の発想地点――「近代文学」グループ ・・・ 戦後7人の同人で発足した雑誌「近代文学」。戦前戦後の翼賛体制の中で育ち、一定の距離を持つことで思想を形成した人(一時期共産党に関係したが検挙後は離れる)。また兵士になっていないし、戦場に派遣されてもいないという戦争体験のない人たち。戦前のもっとも運動の必要な時期に「隠退」して、それは戦後の雑誌での無格闘性として現れる(政治的に。文学・思想論争は行う)。なので敗戦の傷を持たない(荒「第二の青春」といえるあたり)。この人たちはリテラリズム(文士主義)で、官学にはならない自立性があるが、動機を過剰に評価し、それが論争者のゴシップをネタにした批判になり、思想の停滞性・孤立性・閉鎖性となっている。
近代文学 (雑誌) - Wikipedia
(埴谷と大岡の「二つの同時代史」もゴシップ集のように読めるなあ。あと思想弾圧や抑圧の厳しいときに「隠退」するのはデカルトガリレオなどにもあったし、マッカーシズム時代のアメリカ知識人とか収容所群島時代のソ連知識人もあった。21世紀の十年代には、その共通性を探るよりも、格闘性と勉強の両立をどう図るかのほうが重要。)

反体制の思想運動――民主主義科学者協会 ・・・ 民主主義科学者協会は戦前のマルクス主義者が「科学の民主主義化」で作った団体。専門科学者のほか、別の分野の研究者も参加。最盛期は1950年代前半で、後半には組織はがたがた、思想もめちゃくちゃに。藤田は、民科をマルクス主義の堕落の歴史といい、とくに断種(異論を封殺、排除)のやり方を批判。そこには、優等生の人生観社会観、ネオダーウィニズムとの関係がみられる。あと科学者の集団から政治運動団体に変貌したことも問題視。
民主主義科学者協会 - Wikipedia
(議論のほとんどはマルクス主義批判で、いまとなっては読むに堪えないのですっとばした。なお藤田ほかは科学と科学者集団を区別していないので、その点からの科学批判は的外れだと思う。初読の1980年代前半ですでに民科の資料は入手難になっていた。ここでは取り上げられていないが、最盛期にはルイセンコ運動があって、それが致命的に。あと科学者内部からもマルクス主義に同調しない人がでるなど(柴谷篤弘など)、のちに解体。)

日本の保守主義――「心」グループ ・・・ 戦前の文化エリートが作った雑誌「心」、戦後もしばらく同じ同人で刊行された。文化のナショナルリーダーを自認する文化的保守主義者でリベラリスト。特徴は貴族意識、文化意識、伝統意識、思想=教養意識。イギリスの立憲保守主義(しかしノブレス・オブリッジとは無縁)とドイツの教養主義アマルガム自己批判や自己反省能力がなく、全員一致をモットーに。理論化・法則化など科学主義に反発。
心 (雑誌) - Wikipedia
(「心」のグループは明治指導者の2代目にあたるとか。メンバーは明治後期の生まれが大半。まあ、貧困とか格差を経験していないし、責任を取るような立場になかった富裕層になる。なので、内部で対立や批判がなく、外部から批判されると結束するといういかにも「日本的」な対応になる。彼らがなくなったあとの保守主義者は、教養がなくなり、ルサンチマンが表にでてくるので、自分には興味がない。)

大衆の思想――生活綴り方サークル運動 ・・・ 戦前からあった生活つづり方運動は戦後に広まって、良い作品を作った。この運動の特徴は、近代化や集権化に対するアンチテーゼであること(その代わりに日本型社会に対する批判意識がない)、状況に密着していること(その代わり鳥瞰や理論化に向かわない)、無競争主義や平等主義、実感主義(知性や理論の獲得に向かわない)、善意を信頼(行動の成果を評価しないとか、状況を受容することが優先など)。
生活綴方運動(せいかつつづりかたうんどう)とは - コトバンク
(このあと、この運動の思想面が語られるが自分には興味なし。むしろこの運動が雑誌やガリ版で共有されていたことに注目。このやりかただと、ほぼ同じメンバーに限られ、情報の流通が遅く、フィードバックがかからないなどの問題を持つ。21世紀にSNSができてメディアの問題は解消したが、今度はSNS参加者の思想の劣化、批判機能の喪失などが問題になっている。)


 背景になっている思想、事件、雑誌や本などがほぼ書かれていない。当時の読者にはそれでよいのだが、のちの読者は昭和史の概説を読んでおいたほうがよい。できれば、たいていの現代史にはあまり書かれない社会運動の歴史も。そのうえで、俎上に上がった人たちの本もいくつか読んだほうがいいのだろうが、入手難のうえ、アクチュアリティがないので、それは好事家向けということで。
(おれにしてもここにあげられた思想運動では「近代文学」の人たちが少し親しいだけ。それも新潮文庫や角川文庫などの近代文学の解説者として知っているくらい。今はそれも改められたので、まず読む機会はないか。明治どころか「戦後」も遠くなった。)

    

2015/12/24 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-2 に続く。