2015/12/23 久野収/鶴見俊輔/藤田省三「戦後日本の思想」(講談社文庫)-1 の続き。
社会科学者の思想――大塚久雄・清水幾太郎・丸山真男 ・・・ ほかに名の出るのは、川島武宜、内田義彦、花田清輝、大河内一男、宮城音弥、渡辺慧、都留重人、南博、磯田進、真下信一、中野好夫、林健太郎、加藤秀俊、宇野弘蔵、羽仁五郎、青山秀夫など。おおざっぱにまとめると、いずれもアカデミズムの人で、学派を作らず、思想運動を行わず、大学のシステムに批判的な活動をせず、というところ。このレポートのあとの「語りつぐ戦後史」(思想の科学社)で、多くの人が登場。
(この人たちには興味がないし、知っている人はたいてい批判的にみているので、感想はとくになし。多くの人は1960年代の大学紛争で当事者になり、うろたえていたよなあとか反動的であったよなあ、という感想くらい。)
戦争体験の思想的意味――知識人と大衆 ・・・ 戦争体験の意味を考えることを阻む力が二つあって、ひとつは国家の配線の決断(体験から何ものも汲上げまいという方式を作った。たとえば一億総懺悔)と、もうひとつは敗戦の責任を追及する裁判を理不尽に推し進めた時に抗議しなかったこと(ここは裁判が無効であるという考えではないので注意すること。国民自身で戦争責任を追及することをしなかったという点を重要にみている)。さらには、国民の持っている素朴リアリズムと告白癖。こんなことをしたという枚挙をするけど、そこから普遍的な意味を考えたり、共有することを阻んでいる。で、個人的な仕方で戦争責任を考えている(ないし全く考えていない)手記などをみると、おおきく知識人と大衆という軸があり、それに交差する伝統束縛型/伝統切断型の軸がある。
(1959年には戦前派・戦中派・戦後派が20-50代でそれぞれ分かれていて、なんらかの分類が可能だったのだろうなあ、ある程度の共通体験があったのだろうなあとおもうが、それから55年たつとこの章の議論の前提になる知識や体験がなくて、なかなか理解が難しいなあ。)
〈対談〉戦後日本の思想動向 ・・・ これは1974年に久野収と高畠通敏の行った対談。敗戦から現在(1974年)までのこの国の思想を概観しようというもの。まずこの国の現代思想論が困難なのは、この国では世界社会への共同参加の意識としての歴史意識がないこと。社会参加は20代前半まで。そのあとは情勢論や大勢追随論になるか、世代論になる。また歴史に人権のような普遍的な軸を立てないのも問題(まあ、その通りだ。世代論はいまだに盛ん)。戦後を4つの時期に分ける。第1期は敗戦から独立まで(近代主義、マルクス主義、保守主義)、第2期は60年安保まで(保守派の「逆コース」論、戦中派の台頭、大衆社会論)、第3期は70年まで(経済成長、レジャー、国内格差、日本肯定論)、第4期は70年以降(住民運動)。注目するのは大衆運動としてのべ平連。
1957年の日本の思想地図。自分の初読は1983年で、そのときにはこの地図は便利だった(と記憶する)。著者および批判対象者の多くは存命で、彼らの本は書店にあったし、新聞・雑誌で最新の文章を読むことができた。しかし、ほとんどの人が亡くなったあと(2015年に存命なのは戦後派の代表としての石原慎太郎と大江健三郎くらい)、この批判はリアリティがなくなった。
そのうえアクチュアリティもなくなった。最後の「戦後日本の思想動向」が1974年で止まっているから。そのあとを俺が勝手に書いてみようか。社会運動が70年代後半から急激に退潮。保守主義、近代主義、マルクス主義も人気を失う。80年代にはニューアカと呼ばれた相対主義が流行。サブカルとあわせて事象をネタにして内輪で楽しみ消費する。バブル崩壊で90年代には不況と就職難と賃金不足。社会風潮が自閉的になって、知性と教養のないナショナリズムが台頭。21世紀にはレイシズムと排外主義が路上で起こる(カウンター活動も遅れて起こる)。2011年の大震災と原発事故のあと、市民運動が現れるようになる。2015年の安保反対運動で市民運動と政党が連携するようになり、今後が注目。21世紀の特長は国家の軍隊同士がぶつかり合う「戦争」がなくなり、市民が直接狙われる「テロリズム」に移行したこと。前線もなければ後方もなくなり住居やパブリックな空間がすぐに戦場になる。それによって国家の権能が強化され、翼賛状態が生まれ、民主主義や自由が束縛されるようになる。まあ知識人とかアカデミズムの人は、80年以降どうも影が薄いなあ、この本の著者らが注目するような思想運動や学派は1990年以降には見当たらないなあ、という感じ。まあ俺の狭い観察と見方なのでご容赦のほど。
再読してあまり得るところがなかったので、約30年前の集中と感興を思い出して残念だった。そのなかでは鶴見俊輔のレポートが優れたできばえ。3人ともインテリで、たくさんの資料を読み込んで分析し、特長を抽出し、わかりやすくまとめる技術を持っている。その中で、他の2人が抽象的な思考を費やすのに対し、鶴見は市民の文書(たぶん読者の少ないと思われる)を取り上げて、そこに庶民の思想を見出そうとする。このやりかたは「戦後日本の大衆文化史」(岩波現代文庫)などの成果を上げたやり方だが、すでにこの時期からあったのかと驚いた。彼のレポートはとても刺激的だった。
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