odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

内田義彦「社会認識の歩み」(岩波新書) 「ソウル」と「ボディ」をとらえる学問的方法。古代ギリシャからマルクスまでの政治学の知識がないとてごわい。

 経済学史家でマルクス経済学者の著者が、市民向け講座で1971年に講義したものをまとめたもの。

はじめに―問題と方法 ・・・ 我々が社会を認識するために、過去の社会科学の遺産をどう生かすかを考える。これはいわばいかにうまく本を読むかに通じる。なお、学問にも役立たずや害になるもの(「魂のないもの」という)があるので、うまく切り分けることが必要。
第Ⅰ部 社会認識を阻むもの
第1章 生活現実と社会科学 ・・・ 学問は日常を対象にするが記述には学術語を使う。そうすると日常語の多様さや微妙なニュアンスを失う。学術語だけだと現実を見損ねる恐れがある。とくに翻訳語に注意。例、「参加」と「take part in」。

第2章 「方法論」とメソドロジー ・・・ 個別学問の方法を学ぶだけではなくて、学問「総体」を学ぶ方法(勉強の仕方、物事を認識する仕組み、関係の見出し方など)を学ぶようにしよう。なにしろ個別学問の方法は、権力が知を独占する手段にしているから(その方法を徒弟関係で習得しないと学者とみなさない、権威者とみなさないなど)。

第3章 社会科学の言葉 ・・・ 翻訳となると、さらに原語の意味やニュアンスがずれるという問題がある。社会科学の言葉に訳されたことばが、言語の日常的な意味合いを失って、観念になってしまうことがある。例。「body」「Wesen」など。

第Ⅱ部 社会認識の歩み
第1章 運命へのチャレンジ―マキャヴェリに胚胎する学問― ・・・ マキャベリによると、人間の外に有って襲いかかる運命(フォルツネ)とそれを主体的に操作する能力(ヴィルトゥ)があり、それを意識的に使うのが君主だとの由。(ここだけ取り出すと近代の「主体」の発見者みたいだ)。なお、本を読むときにはまず自分に突き刺さる一句を発見せよ(その発見には「賭け」の要素があるという)、体系的に読むのはそのあとで良し、とのこと。

第2章 国家の政策―常識批判としての『リヴァイアサン』― ・・・ ホッブスは国家の仕組みを考えるとき、国家を所与やアプリオリのものと考えず、また現実の政府機関を想定しないで、人間の情念の考察から開始した。行動の基礎となる情念(ソウル)が個々人から集団にまとまっていって、個々人のソウルを反映する総体(ボディ)が自律的に形成されると考える。いわば政治学における方法的懐疑とか現象学的還元みたいだな。これを読者は参考にするように、ですって。あと民法には「挙証責任の転化」という考えがあるので、これも頭に入れておこう、とのこと。

第3章 歴史の発掘―「スミスとルソー」― ・・・ スミスとルソーは別々のことを考えていたみたいだが、実は同じような歴史の見方、学問の方法を持っていた。具体的には・・・ここは別書でスミスとルソーと勉強するがよし。この小論では、一部しか書いていません。あと、理論を勉強するときには具体を、具体を調査するときには理論を、それぞれ参照、意識することが大切との由。
2021/12/16 堂目卓生「アダム・スミス」(中公新書)-1 2008年
2021/12/14 堂目卓生「アダム・スミス」(中公新書)-2 2008年

むすび―学問総合化の二つの道 ・・・ まとめとしてマルクスの方法を紹介。ここはどうでもいいや。


 ここには4つのことが書かれていて
1.マキャベリホッブス、スミス、ルソーという社会学の基礎を作った人たちの考えのレジュメ
2.そのもとになっているギリシャ時代からマルクスまでの哲学史
3.「ソウル」と「ボディ」を捕らえるための著者の学問的方法と学者の魂
4.本の読み方
にまとめられる。
 この4つが整理されていないで、混在しているので、今はなんの話をしているのかがわかりにくい。著者がサンプルに引用する文章も現在の学問水準からすると、誤っているところがある(ホッブスの情念の分類とか、ルソーの人類起源とか)ので、その旨を説明しておかないと、読者を混乱させる。いまでも大学の教養課程ではこの本をテキストに使っている例があるみたいだが、1と2に関する知識を備えていて(高校の倫理社会だけでは不足)、4を縦横無尽にこなせることが要求されているから、ちと手ごわいのじゃないかな。まあ、全体(ボディ)と細部をまるごとのみ込むのは難しいことなので、教官の指導を受けながら半年くらいかけて読み込むのはいいトレーニングになるかもしれない。
 とはいえ、著者のマルクス経済学の説明はマルクスの著書に即しては正しいのだろうけど、今の経済学や経営学を学ぶものには古すぎて、「社会認識の方法」のツールにはならないのではないかしら。資本や経済をみるとき、マルクスの考えだけでは説明できることが限られているから。上記の社会学者、経済学者の考えや認識の方法を学ぶにはお薦めしにくいなあ。
(同じ著者の「資本論の世界」岩波新書は名著という評判なのだが、自分はついに理解できず、途中で完読をあきらめた。)

 今年(2015年)のエントリーはこれでおしまい。ストックが不足してきたので、年末年始に読みためます。