odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-1

 時間と場所を転々として、えんえんと語り続けるナラティブを読み通すのはなかなか大変。現在(1979年初出)のメキシコを語る文章が、次には20年前の都会の下宿になり、その先では神話の時代の山中になり、そこでおきるできごとは相互にイマジナリーなつながりをもっている。現在、過去、神話をつながることによって意味や意義が現れる。あらかじめ小説が描こうとする「全体」を把握していないと、そのつながりはわからない。という具合に、再読を要求する小説であり、それ自体が珍しいものであるが、初読の時には、「全体」を把握しようがないから、とりあえずのガイドにするつもりでおおざっぱなみとりをつくっておくことにしようか。

 この小説では3つの時間がある。すなわち、
1.現在: 書き手の「僕」がこの「手紙」を書きながら体験しつつあること。
2.過去: 書き手の「僕」とその一族が、村=国家=小宇宙で体験した幼児からしばらく前までの個人的な回想
3.神話: 「アワジ(吾恥)」と自称・他称された村=国家=小宇宙の入植から現在に至るまでの神話と歴史
 この3つの時間があって、書き手の「僕」はあえて3つの時間をランダムに行き来するように記述する。どの時代のどの時間を書いているのかを意識しておくよい。読み進めるにしたがって、読者が教科書や啓蒙本などで読む文字で記録され、学問の対象になったこの国の歴史とは別の、ありえたかもしれないもうひとつの神話=歴史が立ち上がってくるのを体験できるだろう。
 この小説では、いくつもの場所が現れる。中心になるのは、東京や京都のような「あのお方」が過ごす首都や藩権力のある地方都市ではなく、そのような場所から放擲された無名の人々が開拓した場所である、どうやら四国の山中にあると思われる「アワジ(吾恥)」と自称・他称された村=国家=小宇宙。ここはさらに谷間・在・森と分けることができるであろう。谷間と在は人々の生活と労働が行われるところ。そして森は聖なる空間であり、穢れた一所でもある。そのような民俗学的なシンボルで構成された密閉空間。現在では人口が減少し開発から取り残され忘れられた山中の村に直接つながると思われるのが、メキシコの高地にある寒村であったり、メキシコシティのスラムなど。
 時間にしろ場所にしろ、村=国家=小宇宙やその住民たちを包含するような大きな時間や空間が小説の中に「ある」。カッコつきにしたのは、それらは文中になかには明示されていないため。ほのめかしや点描で、国家や幕府の権力が透かし見えるようになっている。読者は、村=国家=小宇宙の神話と歴史をたどりながら「権力」が国土に侵食していって、国内亡命ができなくなる(すなわちユートピアの建設ができなくなる)過程をみることになる。その過程は通常「近代化」「民主化」としてよいこと、進歩したこととして説明される事態なのだ。とすると、村=国家=小宇宙の歴史は、たとえば民権運動や普選化運動や米騒動や血のメーデーや砂川・蜂の巣城・三里塚などの農民運動や公害反対運動、そして2013年からのアンティファ運動などの民主蜂起の歴史につながる民衆や市民の側の歴史とみることもできる。


2016/01/14 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-2
2016/01/13 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-3
2016/01/12 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-4
2016/01/11 大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)-5

    

 この村=国家=小宇宙の神話と歴史はのちの「M/Tと森のフシギの物語」(岩波書店)で語られたものとほとんど同じ。なので、この「同時代ゲーム」に関するエントリーでは省略することにしよう。細部の違いにフォーカスするので、見取り図がほしい人は下記エントリ―を参照してください。
2014/01/18 大江健三郎「M/Tと森のフシギの物語」(岩波書店)-1
2014/01/17 大江健三郎「M/Tと森のフシギの物語」(岩波書店)-2