1977年から翌年にかけて、「大江健三郎全作品第II期」全6巻(新潮社)が刊行された。その際に、各巻末に「わが猶予期間(モラトリアム)」を総タイトルにしたエッセイが収録された。のちに、岩波書店で刊行された「大江健三郎同時代論集全10巻」のたしか第9巻にまとめられた。ここでは「全作品第II期」で読んだ。
表現生活についての表現 ・・・ 作家生活の第2ディケイドを終えて、作家の生活に現れる「猶予期間(モラトリアム)」を考える。E.エリクソンの定義したモラトリアムは、活動期に対す縮みこみの時期で、内部に危機を抱えながらも勢い、潜勢力を蓄えている時期とされる。それが作家の日々であり生活。「現実生活の経験、それも宇宙・世界・社会のなかで、人間として全体的に生きていることを自覚する経験」が生きている意味であるとする指摘が参考になった。個々の言葉の意味はあいまいであるけど。
(ほぼ同じ時代に「モラトリアム」が流行語になり、たいていは若者、特に大学生が無責任で放埓で無軌道な行動をすることを非難する意味であった。それはエリクソンの元の意味をめちゃくちゃにしたものだった。そういう使われ方をしたのに「パラダイム」「癒し」があって、自分はこれらの言葉をつかえない。)
現実世界の乗り換え ・・・ G.バシュラールの「想像力は与えられたイメージを作り変える力」という定義。それからみた作家の想像力の発揮の仕方を最近の作品を例に説明。短編と長編の違いについて。
(このエッセイで「ピンチランナー調書」の完成稿で削除された「夢」の稿を公開。そこには「三島由紀夫」が出てくる。読了時には思いつかなかったけれど、「洪水は我が魂に及び」のラストシーンは、「天人五衰」のラストシーンに対応するもので、強い批判を込めたものだったのね。純粋天皇の幻像に陶酔するのと「すべてよし」と生と世界を全面的に肯定するのと。)
詩が多様に喚起する ・・・ 詩と短歌の偏愛。とりわけオーデンと正岡子規。文体は意識と肉体と根源的につながっているもので、簡単に変えられるものではないし、意識的につくるもの。
恐怖にさからう道化 ・・・ 深刻癖、悲劇的な思い込み、厳粛さに陥り硬直しがちな思考や文体になるのを押しとどめるのが道化の力。四国の村の夏祭りの記憶。道化の語り手としての母親。
(村祭りの牛鬼の記憶は「同時代ゲーム」「懐かしい時への手紙」で想像的に再現された。)
喚起力としての女性的なるもの ・・・ 自然な姿として、第二の自我(byユング)によって女性は「僕」を驚かせ、批判的であった。また侮蔑的、差別的に扱われる弱い人間の姿としても、問題を提起する。
(そういう女性の例が、中南米からメキシコにきてクーデターなどで帰国できなくなったものや、障害学校に子供を通わせる親など。またマルケス「百年の孤独」のウルスラ刀自などにも。)
危機的な結び目の前後 ・・・ 避けがたい個の死、あるいは肉体的な苦痛に耐えながらも、未来を構想する。すなわちより確実に生きるために文章を書くのではないか。前の仕事(大きな長編)を終えて次の仕事を構想する期間としての猶予期間を過ぎ、自分は次の作品(仮名「同時代」)を準備しつつある。それはメキシコのピラミッドを上りながら、姿を見せたのだった。
(この部分は「同時代ゲーム」のまえがきにあたるな。文庫の最初にいれるといいのに。)
モラトリアムの意味は「表現生活についての表現」について書かれた通りなのだが、作家はあわせて家を離れてメキシコに単身赴任し、日本文学と現代思想を講義するという境遇にもかけている。なにをしているのか誰も知らない社会にいることで、社会的位置(ソーシャル・ステータス)を意識しないでいられる時間を持てるから。たんに優雅な休暇を過ごしているわけではなく、作家は想像力を働かせて、社会や人を観察し、小説に変換しようとつねに作業をしているわけで、見かけほどののんきさはあるわけではない(もうひとつの意味は「危機的な結び目の前後」にあるとおり)。
それでも他人の視線を無視できる境遇は作家の筆を自由にしているらしく、このエッセイではいつになくリラックスして駄弁(だべ)っている様子が現れる。ほとんどのエッセイで、構成はゆるやかで、ときに連想飛躍を働かせて話題を変えたり、半生の思い出を書いたりする。それは全作品第II期というある程度読者を想定できる媒体に発表することと、自作解説の役割も併せ持たせたいというねらいもあるからだろう。ここで作家は楽屋裏(というか書斎の中)を少し公開して、作家の仕事も紹介したりするわけだ。作家は珍しく(のちのエッセイではよくあるのだが)自分を道化にして、親しみやすさを演出している。まあ、ここに書かれた文学理論や方法は「小説の方法」(岩波現代選書)に詳しいので、ここをとっかかりにして読むのがよいだろう(って、どれもこれも入手難じゃないか)。
あと、このメキシコ体験から中南米文学に開かれていったようだ。同じ大学の講師にマルケスがいて、話をしたことがあったり、何度もオクタヴィオ=パスやマルケス(とりわけ「百年の孤独」)が言及されていたりなど。