伊豆の西にある月琴島にある大道寺家。戦後窮迫したので、総出で東京の分家に移ることに決めた。この家のややこしさは、19年前にさかのぼる。当時の当主の娘・琴絵は旅の大学生といいなかになり、子供を産んだ。その直後、大学生は転落死を遂げている。そして現在(昭和26年)、琴絵の娘・知子19歳は離れの開かずの間に血まみれの月琴を発見した。さて、行き先は琴絵の夫の欣造であって、戦後実業界で急速に力を得た。そこには琴絵の家庭教師であった神尾秀子と元女中の蔦江がいる。さて智子らの出迎えには、腹違いの弟・文彦に、遊佐・駒井・三宅などの青年がつれそい、しきりと智子にいいよる。ほかに、ギリシャ彫刻風の見事な肉体をもつ多門連太郎、怪行者にして占い師である九十九龍馬も見えかくれ。さらには、皇族につながる衣笠智仁に旅芸者・姫野東作などが主要人物。ふう、メモを残しておかないとどうにも覚えきれない。
智子らが欣造に招かれるところから、惨劇の開始。まず智子のもとに「ここには来るな」の脅迫状が届く。遊佐が松籟館なる古風な旅館の時計塔の中で刺殺さて、姫野の死体も近くの祠で見つかる。三宅も殺され、琴絵の秘密を教えるといった九十九についていくと、突然襲い掛かり、気が付くと九十九は撲殺されている。
金田一は、大道寺家の顧問弁護士の依頼で脅迫状の調査で欣造に付き添うのだが、しこたま酒を飲んだ帰り道、賊に襲われ、重要な手掛かりである写真七葉を奪われる。
なんとも、秘妙(ダグラス・ホフスタッター「ゲーデル・エッシャー・バッハ」白楊社の解説参考)な小説。なるほど、密室トリックに時間錯誤、それに意外な犯人と探偵小説の妙味はそろっている。それでも読書はスイングしていかない。自分の思いついたのは次の諸点。
・ヒロイン智子に感情移入するほどのできごとがなかったこと。脅迫状では彼女は「女王蜂」に例えられ、近寄る男を破滅させると指摘しているが、そこまでの悪女でも運命の女でもなかった。東京に移動した後、清純な装いから一変して妖艶な姿になったとされるが、男のあしらいはそれに追いついていない。まだまだ頼られる乙女のまま。彼女が真犯人と目されることもないし、犯人に襲撃されることもないし。タイトルと描写に齟齬。
・視点が一定しないので、ストーリーが進まない。ときに智子、ときに多門、ときに金田一、ときに文彦と頻繁に語り手の視点が移動。だれにフォーカスして物事をみるのかわからなくてねえ。素人の浅知恵だけど、ここは特攻隊崩れの多門連太郎視点で書くのがよかったのでは。戦後の荒地でのらくらしていたのが、謎の人物の依頼で陰謀に加わることになり、あまつさえ殺人事件の犯人と目され、一方、美女に一目ぼれして追いかけ、それがさらに自分の居場所を危うくする、というような。九十九龍馬なんて、笠井潔「ヴァンパイア戦争」にできてもおかしくない黒幕でフィクサーだし、その殺人のもようは派手なアクションにできそうだ。素人が犯罪に巻き込まれてロマンスも一緒に進行するとなると、横溝ではなく、カーになってしまうが。
(たとえば「プレーグコートの殺人」「死者はよみがえる」「爬虫類館の殺人」「青ひげの花嫁」「眠れるスフィンクス」「パンチとジュディ」など)
・最重要なのは、昭和26-27年のこの小説には戦争体験が描かれないこと。なるほど大道寺家は戦後窮迫したとか、欣造は闇市からのし上がったとか、多門は特攻隊崩れとかの描写はある。でもそれはストーリーの主要なモチーフではなく、行動の動機になっていない。「蝶々殺人事件」「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」などの傑作で戦争体験がいかにストーリーに絡んでいたか、人物たちのモチベーションがいかに戦争体験に依存していたか、を思い出すとよい。まあ、当時の読者にとっては、戦地からの帰還、農地解放や新円凍結などの経済政策、それによる大きな家の没落と小作人の解放などはヴィヴィッドな「現在」で、上記の作品に書かれた戦後の様子はヒリヒリするような皮膚感覚で共感できた。横溝の昭和20-24年までの作品はまさに「社会派」だったのだとおもう。
でも、昭和26年(1951年)になると、上記のような社会問題は小説の中から消える。作者の意識は「もはや戦後ではない」に変わったのかしら。戦争体験を捨てた小説は、みかけは1920-30年代のミステリ黄金時代に似てくる。でも、戦前の貴族、新興の資産家、芸術家らを主人公にすると、とたんに古くさい、バタ臭いものになってしまう。1930年代に書かれていれば傑作、でも戦後を迎えると古くさい。
同じころに、外国小説の翻訳を出版できるようになり(占領期間中は禁止されていた)、海外作品が紹介されると、この種の作品はしだいに読者の支持を失う。
百日紅の下にて 1951 ・・・ 読んだのは「日本探偵小説全集 9」創元推理文庫だが、独立したエントリーがないので発表年が同じ作品の記事に含める。年は昭和21年9月。片足義足の男が百日紅の木にもたれて泣いているところに、復員者風の男が声をかける。3年前の毒殺事件を戦友から言付かってきた。真相を確認したいので、話をしてもいいか。15歳も年の離れた年下の妻を持つ男。徴集され戦地から帰ってきた後1週間目に自殺した。その一周忌で、彼女を取り巻く男4人とジンを飲む。そのうちの一人が青酸カリを飲んで殺された。ひとりが嫌疑者となったが、確証はない。結局、自殺ということになった。嫌疑者になった男は復員者風の男に繰り返し事件の話をしていたのだ。復員者風の男は話を聞いただけで、真相に到達する。まあ衆人環視の中でどうやって毒を入れたのでしょうというのが謎。手慣れた佳品。重要なのは最後の三行で、復員者風の男の正体と次の行き先が暴露されるところ。あの長編の前奏曲になります。
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