odd_hatchの読書ノート

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堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-1

 ヨーロッパの美に近づこうとするには、「ギリシャキリスト教・科学精神」を我々のものにしないといけないが、自然に入ってきてくれるものではない。なので無理と努力がいることになるが、それが精神のどの部分かをねじまげることになる。でもここではなるべく努力をしない、自分の自然を保ちたいと思う。ということであるが、これは万人に通じるのではなく、作家は富山の廻船問屋の息子として幼少時から墨絵や書をながめ、琴や三味線を演奏し、長じては西洋芸術を聞いて見て過ごしている。およそ芸術に関する素養と修練には年季がいっている。そこらの不勉強な凡人が「感性で」「自然に」などというのではない。
 そういうことで、作家は約2年かけて、西洋の絵を見て、考えて、書く。のちに「ゴヤ」に通じる一歩。1966年から1967年まで「藝術生活」誌に連載され、1969年に一冊にまとめられた。自分が読んだのは1983年初版の新潮文庫。タイトルはプラーテン(生田春月訳)の「トリスタン」(Tristan)という詩の冒頭句から。

アルハンブラ宮殿 ・・・ スペイン・グラナダ。この宮殿は「優雅繊繊」「非集中、非統一」「温雅な生活感」「宮殿の閉鎖性によってこそ統合融一」であり、「西欧の人生観、世界観などとは完全に別のもの」。のちに何度もこの宮殿のことを書くが、その端緒。
ガウディのお寺 ・・・ スペイン・バルセロナ。近くで見るより遠くからみたほうがよいとか、建築と同じくらいにそれを決定した人々の意志も大きい。そのうえで「神様は、ガウディ老を迎えて、しばらくはロをもぐもぐさせながら、/「ガウディよ、御苦労だった……、しかし、君……あれは……、あれは……、あれはどういうものなんだろう……?」/と、にこにこしながら、問う……」という作家的想像力がいい味。
天壇をめぐって ・・・ 北京。「人王である中華歴代皇帝は、ここで天の皇天上帝と出会う。そののわきにある祈年殿は「天の中心に立つ戦燥と、地に生きるしあわせの双方を、一度に、同じ場処で感じさせてくれる」。
異民族交渉について ・・・ インドのアジャンタ石窟。900年の巨大な人種博物館。「文明とは、歴史とは、一言で言ってそれは異民族交渉」。
アフリカの影 ・・・ キューバのシェンフェゴス美術学校。アフリカは西洋の植民地になってから、土俗芸j通品は壊されるか持ち去られるかで、現品も制作者もなくなってしまった。20世紀半ばから復興を模索中。
黙示録について ・・・ 「原爆水爆とブッヘンワルト・アウシュヴィッッ――現代も、ある意味では黙示録的時代であると言いうる(P140 )」。黙示録は、一言で言ってキリスト教世界の危機感の表現である。
FETE GALANTE ワットオの黄昏 ・・・ 別題「シテール島への旅立ち」。肺結核で若死にしたワットオの生き急ぎとせっかち、ルイ王朝のメランコリーがもとでのかかるものであること、ルネサンスから当時までの美術工房(プロダクションの複数人作成)について。なんとも知識と著者の思考が詰まった一編。
ヴェラスヶスの仕事場に私の派遣したスパイ ・・・ プラド美術館の所蔵の「宮廷女官像」。「画家が絵のなかからわれわれ自身を見ている絵をわれわれが見る」という視線の交錯、モデルの人々の歴史的うんちく。なんともみごとなエッセイ。読み終えて、ため息をつく。
楽園追放 アダムとイヴ ・・・ ローマ時代からのさまざまな楽園追放の作品について。アダム、エヴァ、蛇、神の表情や心理を読み取る。これもみごと。
ヴェネツィア画派の栄枯盛衰について ・・・ 15-16世紀のヴェネツィア画派。「思いもかけないほどに巨大な天才和たちがある狭い地区と短い時間のあいだに集中して存在するものであるらしい(P189)」例として。この海洋都市は地中海貿易でもうけ、大西洋航路の開拓によって没落し、今でも没落中(マン「ベニスに死す」など)。この画派は都市が蓄えた富で生まれていて、非現実を映すことに集中した。(ここで1200年前後の日本の宮廷文化との共通性を見いだせるかも。堀田善衛「定家明月記私抄 正・続」(ちくま学芸文庫
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫)
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫)


 こんな目の詰まった、知識と思考の詰まったエッセイを書ければなあ、と羨望の思いで読んだ。数編も読むうちに、そんな大それた思いを持つのは不遜なことだと思いしらされる。作家は絵画(のみならず芸術作品)を見るときには、知識にとらわれず、むしろ忘れて感性を大事にという。でもこの作家には膨大な知識と、ほかの作品の鑑賞体験があって、「見る」行為からさまざまな言葉を引き出すことができる。そのうえ、過去数十年にわたって同じ作品を繰り返し見て、考えて、調べているのであって、個人的な体験からも言葉を引き出してくる。この知識と体験の奥行きが豊かにあるので、このように作品や製作者について書くときに「知識」を忘れて、という態度が可能になる。無教養な輩(自分のような)が知識や教養を無視して、「感性」で見たところで、たいした感想は生まれず、人に感動や感心を伝えることなどできないだろう。
 というわけで、自分ら読者は作家の案内について行って、作品を見ることになるのだが、そこから見える世界のなんと広くて深いこと。作品の細部にこだわりを見せ、古い絵画からは物語を読み取り、文化史のみならず政治史を明らかにし、作者や制作集団の仕事を解説し、同時代の反響やのちの世代の影響を見出し……。という具合に、作家が示してくれるものは広大かつ深甚。素晴らしい。
 西洋芸術(音楽を除く)に関する本で最初に読んだのがたぶんこれで(まあ高階秀弥著の新書は何冊か読んでいた)、そのあとたいていの本はこれほどの愉悦を示すことがないので、「美術評論」の本を読まなくなってしまった。それでなくしたものは大きいだろうが、30年ぶりの再読で十分に埋めることができたと思う。

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2016/04/19 堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-2 に続く。