odd_hatchの読書ノート

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ダシール・ハメット「ガラスの鍵」(創元推理文庫)

 州都ほど大きくはないが、数十万人の人口のありそうな1920年アメリカの田舎都市。市長、地方検事局は選挙で選ばれているのが、実質的な権力者は黒幕ともいえるギャングのボスであった。土建会社をトンネル会社にして、公共事業の受注を一手に引き受けるとともに、バー・賭博場など闇の商売にも精を出す。この町では、マドヴィックとオロリの二人のボスが覇を競っている。いまはマドヴィックが優勢で、それは上院議員ヘンリーを手中に収めているから。おりしも上院議員選挙が近づき、マドヴィックは市政関係者に手をまわしながら、オロリの打つ手に注目している。というのも、マドヴィックの権力は半ば公然となっているのだが、数年間の支配は腐敗と退廃を生み(賄賂や暴力の横行だな)、市政関係者はうんざりするようになっているから。というような背景は直接描かれないので、登場人物の会話から読み取らないといけない。

 さて、ここに賭博師ネド・ボーモンが登場する。彼は競馬や賭博の負けがこんで素寒貧。そこでマドヴィックに金をせびりに行く。このネド、賭博師を自称しているものの精神の退廃はなく、健康な法秩序を望む民主主義者。この町に来て数年たち、マドヴィックの下で動いているが、まあ19世紀の放浪のカウボーイみたいな男とみればよいのかな。マドヴィックのために危ない仕事をするかわりに、いろいろと便宜を図ってもらっている。このネドが深夜、酒場をうろついているときに、上院議員の息子テイラー・ヘンリーが撲殺されているのを発見する。選挙に重大な影響を及ぼすこの事件をマドヴィックに知らせ、彼は独自に捜査を開始する。というのも、競馬の配当をなじみのノミ屋から受け取れるはずが、ノミ屋は失踪。彼がテイラーの死亡に関係しているらしいから。
 ノミ屋はどうやらマドヴィックの敵のオロリ一家がかくまっているらしく、乗り込むとぼこぼこにされてしまう。ここに出てくるギャングとその下っ端がいかにも映画的な雰囲気の持ち主。実際に、1920年代の禁酒法時代には、こういう「ハンサム」「プリティ」な連中が三つ揃えのスーツにトップハット、きらきらの革靴で闊歩していたのだ。
 マドヴィックはネドに地方検事局の特別捜査官の資格を与え(ここで市政とギャングの結びつきを示す)、捜査を進めさせる。マドヴィックは上院議員ラルフの孫(殺されたテイラーの娘)ジャネットに惚れていて、結婚を申し込むつもりでいたから。事件を解決して、関係を強固にしたい思惑がある。同時に、オロリ一家の酒場や賭博場をいっせいに閉鎖させ、息の根を止めようともする。当然オロリは反発。マドヴィックの事務所にオロリが来て、示談の可能性を探るが、マドヴィックは拒否するシーンがあり、ここもまた映画によく出てくるシーン。ここまでくるとやくざ映画のように二組のギャングは全面対決せざるをえない。さらに状況を複雑にするのは、マドヴィックの娘オパルが父への反発をあらわにし、なんとオロリの側についてしまったこと。
 一貫してネド・ボーモンの視点で語られる。語りというが、彼は会話で自己の心情を吐露することはなく、なにが彼を行動に走らせているのははっきりしない。上のような法や民主の意識はあっても、そればかりを追求する正義感であるわけではない。最初は手に取るはずの金の回収が目的かと思えば、マドヴィックの政治戦略に反発して絶交するとなると食客関係でもって説明するわけにもいかず、オロリによる金の誘いも断り、何人かの女の誘惑にも動揺しないとなると、彼の「真実」への欲求がどこにあるのか。ハードボイルドの探偵がたいてい抱えている「妻との離婚」「妻子の不慮の死」「友人との死別」「ドラッグなどで死にかける」などの過去の問題やトラウマも持たないので、センチメンタルな感傷に浸ることもない。ようやく浮かぶのは、都市の群衆の中で、孤独であり空虚な自己の姿であるのかな。
 ネドがみるのはそういう自己の孤独や空虚で、同時に市政や有権者の腐敗や堕落。こちらにもネドは絶望している。不正や腐敗を排除する努力をする可能性が物語の最後のはほぼなくなってしまう。そういう決意を示すものがいるが、自身も不正や腐敗の中心にいるので、それが可能であるか疑わしい。なにしろ失恋で大打撃もうけたしね。そんな具合に民主政治は市政担当者など権力者の自助努力ではよくならないし、そのような市政を容認してきた有権者も改革の意思を見せない。そういうとところにネドは絶望している。それでもネドはマドヴィック、オロリ、ヘンリー、地方検事局長などの市政の関係者と対決し、真実を突きつけずにはいられない。ネドの心は傷ついたまま、都市を捨てることになる。ここで、映画「真昼の決闘」に似た後味のラストシーンになる。
 タイトルの「ガラスの鍵」は、ネドと恋仲になる女性のみた夢から。彼女は夢の中でくたくたに疲れ空腹なところで一軒家をみつける。なかにはごちそうにきれいな寝床がある。鍵を開けると、部屋の中のヘビが這い出てくる。扉を閉めようとすると、手にしたガラスの鍵が壊れて、ヘビは家から外にでてしまう。その壊れたガラスの鍵。まあ、それくらいにこの田舎都市にはヘビがうじゃうじゃしているともいえるし、ネドと恋人の行動がヘビの存在を周囲に知らせたともいえるし。ネドは都市のヘビを少しは退治したから気にするなということができる。では、ネドのいなくなったわれわれ読者は現実世界のヘビをどうするのでしょうか、それは放置するにしろ退治するにしろうっとうしいことですが、ごちそうときれいな寝床は放置するとつかえなくなりますよ、どうしますか、と問うているよう。1931年、禁酒法の時代には、小説と同じようなヘビが都市にたくさんいたからなあ。
 読んだのは創元推理文庫の大久保康雄訳。昭和30年代の不良やチンピラの出てくる青春映画やアクション映画風の口調。書かれた時代にはふさわしいけど、現代の読者には時代劇みたいで違和感があるだろう。新訳もでたので、そちらがよいかな。