odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ダシール・ハメット「スペイドという男」(創元推理文庫) ハメットの探偵は警察に一目置かれないしリスペクトもされない。権力の庇護を受けない探偵は社会への不満や人生の鬱屈を聞かされる。

 サム・スペイドの登場する短編3つを収録。スペイドの登場するのは、これに加えてあとは「マルタの鷹」だけ。

スペイドという男 1932.07 ・・・ 江戸川乱歩「世界短編傑作集 4」(創元推理文庫)に所収。絞殺された死体のうえには薔薇十字会の紋章を書いたカードがのせてあり、死後裸にされている。男にはムショ帰りの兄がいて、ロシア系アメリカ人の結婚詐欺にあった養女がいて、宗教に凝った女中がいる。犯人には手か腕に傷を負っているはずだが、3人とも傷をもっている。一室でストーリーが完結するなど、古い探偵小説の仕掛けが満載。書き方と登場人物が(当時にしては)新しい。

二度は死刑にできない 1932.11 ・・・ オーストラリアでひと財産築いた老人の家をスペイドが訪れると、銃声が聞こえ、娘が射殺された。続けて執事も射殺され、老人は暗闇の部屋で昏倒している。娘婿は最近株式相場で火傷をおっていて、娘の小銭で汲々としている状態。さて犯人は誰でしょう? 仕掛けはそうとうに古い探偵小説そのまま。

赤い灯 1932.10 ・・・ 失踪した男は自作の詩集に献辞を書いてある実業家に送っていた。その後、射殺死体が見つかり、恐喝を働いていたのを知る。これも意外な犯人にこだわった作品。

 エラリー・クイーンはほかのハードボイルド作家には関心を持たないが、ハメットには興味を持っていて、短編集を編んでいる。その理由は、ハメットが古式な探偵小説の枠組みを残しているからだろう。序文などにスペイドや名無しのオプの性格分析などをしている。自分はそこよりも、ハメットの探偵という職業によるものの見方というか方法に興味がある。クイーンの探偵も事件に乗り込むが、彼は警察に一目置かれリスペクトされている。それはこの探偵が警察を凌駕する能力と経験を持っているから。そのうえ、警察官よりはるかに上流の階級に所属してもいる。しかし、ハメットの探偵は警察に一目置かれないしリスペクトもされない。むしろ邪魔者にされる(ハメットの探偵は良好な関係を持っているが、チャンドラーやマクドナルドの探偵は警察に邪見にされている)。そのうえ探偵は靴をすり減らす足の調査をしなければならない。ときに暴力にもあい、警察の庇護は受けられない。彼の会うのは中産階級から労働者、貧困者、独身、移民など。その言葉や生活から社会への不満や人生の鬱屈を聞くことになる。クイーンの探偵は最後にそのような人間心理にたどり着くが、ハメットの探偵はまず最初にそれを見て聞く。そのあたりが大きな違い。社会の不正というテーマは短編小説では目立たないが、長編になると深刻な資本主義や階級格差の問題が見えてくるし、現代人の鬱屈や内的なジレンマも現れる。探偵が「見る」ことによって、このような社会や人間が見えてくるのが新しい。もう一つ、ハメットの探偵は事件の関係者にコミットしようとする。カメラアイの観察者に徹することはなく、関係者のうちの困っている人や悲しんでいる人に積極的に介入して問題解決に助力しようとする。この点を継承している私立探偵、ハードボイルドの探偵はたぶんいない。


休日 1923.07 ・・・ 入院中の男に金が入ったので、競馬に行き、酒を飲み、娼婦にむしりとられる。陰惨で救いのない休日のありふれた風景。男はたぶんアルコール中毒

夜陰 1933.10 ・・・ ちんぴらに囲まれた女を拾って黒人用の酒場で飲む。彼女が立ち去った後の短い会話。日常的な差別のあり方。

ダン・オダムズを殺した男 1924.01 ・・・ 表題の男が脱獄して、泥濘の中を逃げる。山腹の一軒家に婦人と子供だけがいたので、そこで休憩をとることにした。自動車にレボルバーがでてきても、ほとんど西部劇。

殺人助手 1926.02 ・・・ 40代の醜男探偵アレック・ラッシュ。ある女が若い男に尾行されているから調べてくれと言われる。そうすると、女は最近結婚したばかりで、叔父が刺殺された日に結婚式を挙げていた。尾行する男は、女を殺してくれといらされたのだといい、万引き常習犯の女とつるんでいる。さて何があったのかという次第だが、人間関係の複雑さはチャンドラーやマクドナルドの世界。発表年代からみるとハードボイルド小説のストーリーのプロトタイプ。それにアルレー「わらの女」の仕掛けもあって、これは注目するべき佳作。

ああ、兄貴 1934.02 ・・・ 18歳のボクサーの「俺」はインファイター。大事な試合でコーチでもある兄貴はアウトボクシングをしろと命じた。相手のパンチは効いたが俺は倒れない。7ラウンド目に兄貴はインファイトを変えろと指示を出す。ひどく青ざめた顔付で。「俺」が10年後に出会う事件がウィリアム・アイリッシュ「死の第三ラウンド@短編集2」(創元推理文庫)だな。
 クイーン「正気にかえる」(エラリー・クイーン「エラリー・クイーンの新冒険」(創元推理文庫))もボクシング小説。

 以上はノンシリーズ。なるほど、ハメットの短編から社会性をなくし、センチメンタリズムを加えるとアイリッシュになり、ユーモアを加えるとフレドリック・ブラウンになるのだな。


一時間 1924.04 ・・・ 名無しのオプが頼まれたのは、エンジンをかけたまま停めておいた自動車が盗まれ、人をはね殺した、ついては即座に犯人を見つけてほしいということだった。殺されたのは印刷工場の社長。ご期待通りにタイトルの時間で解決したが、さんざんな目に合う。結成されたばかりのIWW(世界産業労働組合)というのが登場する。

やとわれ探偵 1923.12 ・・・ 名無しのオプ、ホテル・ディックになる。つつがなく務めた最終日、客室の戸棚に3人の死体を見つけた。チンピラ、詐欺師、馬券師など。同じホテルには大物やくざがいて、西海岸のボスにつながっていた。おびただしい銃弾、流れる血。
 以上の2編は名無しのオプの物語。


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 1976年初版の解説では、でたばかりのリリアン・ヘルマン「未完の女 1969」「Pentimento(邦訳名はジュリア) 1973」「眠れない時代 1976」を紹介して、ハメットの晩年の姿を描く。ヘルマンの本は1980年代に邦訳されて全部読めるようになった。ハメットファンはいずれも読むべき。

リリアン・ヘルマン「未完の女」(平凡社ライブラリ)
リリアン・ヘルマン「眠れない時代」(サンリオSF文庫) 
リリアン・ヘルマン「ジュリア」(ハヤカワ文庫)