odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中央公論社)-2

 仮構されたショスタコービッチ=ヴォルコフの人格をDSと呼ぶことにして、DSの言うことを聞いてみよう。
 DSは記憶の重要性をいう。というのは、ソ連文化政策では一貫して、オーウェル1984年」のように歴史は書き換えられるもので、粛清や虐殺は記録されず、姿を消すと同時に過去の記録も改竄されたのだった(記録を持つことだけで、逮捕・粛清の可能性があった)。そのために殺されたものの歴史は人々の記憶にしか残っていない。なので、ソ連の人々は記憶を持ち続けなければならない。
 そこでDSは、章ごとに失われた歴史を語る。1章と2章でペトログラードお学院の院長グラズノフを、3章で粛清されたメイエルホリドとトハチェフスキーを、4章で封印された作品「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を、第6章で処刑者たち(民族音楽の伝承者が虐殺された証言は衝撃的)、第8章はマヤコフスキーエイゼンシュタインを。戦慄的なのは最終章のスターリンの肖像。小心で気まぐれで残酷な卑劣な男と、それに振り回される臆病な男たち。ここに書かれたことは当時ほとんど知られていなかった。深夜の逮捕、弁護抜きの裁判、粛清や収容所送りなどは漏れ聞こえていても、実態はほとんど不明。記録や文章に残されないできごとや歴史は、ソ連(ないしロシア)では語られない記憶に残るといい、DSの作品はそのような言葉に記すことのできない歴史や記憶を代弁する手段であったという。だから第5章で、交響曲第5番終楽章は「強制された喜び」であり、第7番はナチスに対するソ連市民の抵抗ではなくスターリンの圧政の記録であるという。これが真実であるかどうかは研究者や識者の検討を待つことにして、代わりにソ連崩壊後に市民は記憶の言語化に取り組むプロジェクトを起こし、強制収容所に送られて殺された人の記録を掘り起こす運動を行った。DSの記述は別の人によって実行された。
 DSは共産党政治において、作品は指導者に気に入られるかどうかで判断されるという。作品の内的価値は指導者の趣味の前では意味がなく、無知で粗野なリーダーの趣味によって、くだらない曲が量産されるという。優秀な人も終わりなき制限によってスポイルされて、才気を失う。ごくわずかの優れた人は、スケープゴートにされて憎悪の対象になる。そのような位置に置かれたのがDS自身であり、最初のプラウダ批判からずっと彼は危うい立場に置かれ、綱の上を歩かねばならなかった。彼の戦略は言葉では沈黙することで、作品にアレゴリーやメタファーを仕込むことである。多くの友人や知人(上記に登場する人たち)を逮捕や処刑で殺されているので、彼の恐怖は深刻であった。「なぜ私は自分の生活を危険にさらさねばならないか(P399)」と自問しながら、DSは多重の意味を持つ作品を作り続ける。芸術家は作品発表で目立つとき、目立つことがそのまま死の宣告である状況(フランケル「夜と霧」みすず書房)でいかに生き延びるか(彼は家族のほかに養う人をたくさんもっていた)。
 しかし、時がたち、彼の子や孫の世代になると、権力に抗する人々が出てくる。ソルジェニツィンロストロポーヴィチ、サハロフであり、アシュケナージクレーメルマイスキー、ペルトという人たち。前者の人たちはDSに保護を求めたが、彼は拒否した(まあ、障害や体調不良の時期でもあったのだが)。それがDSに対する失望と無視につながっていく。後者の人々はチャンスをみて国外に亡命した。
 複数のDS関連の本を読んで、そこに書かれた言葉からDSの性格をみよう。「運命に逆らうだけの意志力を奮い立たせられない」「最も信頼のおける人たちに対してさえ慎重で心の内を明かさなかった」(ファーイの本)、「はにかみ屋」「繊細」「皮肉と冷笑」「するどく欠点を観察しひどくあざける」「怒りっぽい」(ソレルチンスキー「生涯」)。自伝や証言からも自分に絶大な自身とプライドを持ち、実績を上げている一方で、かんしゃくもちで他人に攻撃的な姿を見せる。自分を攻撃するものにそれ以上に強く攻撃的になるが、権力には臆病で恐怖を常に抱いていた。子供っぽさが残ったまま成長し、人格的な完成を得ることのできなかった人のように見える。その上に、晩年の不自由が僻みと愚痴になる。ファーイは「病に襲われた者の語るいたましい臨終的打ち明け話」と「証言」をみなす。読み終えた後、ファーイの評価は妥当で、「証言」に書かれたことがDSの本心や思想であるとみなしてはならないと思う。
 「証言」がよく読まれたのは、当時の読者がおぼろに感じていたソ連の不自由や不条理を、期待以上の陰惨さで記述していたからだろう。全体主義や監視社会などの恐怖を見出したいときに、見たいものを強調してくれるゆがんだ鏡として提出されたものだった。