odd_hatchの読書ノート

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ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中公文庫)-1 60代のDSは右手の傷害と病気に苦しみ、友人たちは周辺から去って孤独になる。

 まえがきによると、1960年ころにある音楽学生がDSと昵懇になり、家への出入りを許されるようになった、卒業後ジャーナリストになって、DSに頻繁にインタビューを行う。DSの話をメモに取り、適宜編集したものをみせると、DSは自分の文章としてよい、ただし発表は死後に、という条件で認めた。インタビューは1967-8年ころから1973-4年ころまでに行われ、DSが承認したとされる文章は少しずつソ連に持ち出した(たぶん出国する旅行者などに内容を知らせないで渡し、西側で投函して集められたのだろう。ソルジェニツィンの小説もそうやって国外に持ち出されたという。スパイ小説みたいなできごと)。ジャーナリストも1976年に出国し、1979年に「ショスタコービッチの証言」のタイトルで出版した。この国では1980年に翻訳された。

 その反響は大きかったのだが、その背景も知っておいたほうがよいだろう。当時、ソ連および東欧の情報はほとんど入ってこなかった。入出国が限られているのに加え、検閲制度があったため。それでも、ソ連や東欧では深刻な人権侵害が行われていてるらしいことは知られていた。1970年代には、西側諸国にも有名な人が拘束されていたり、国外に追放されたりした。ソルジェニツィン(ノーベル文学賞の授賞式出席が当局によって阻止された)、ロストロポーヴィチ、サハロフという人たちが代表。スターリン時代からの知識人、文化人弾圧は知られていて、彼らの帰趨に多くの人が注目していた。「証言」の内容がソルジェニツィンロストロポーヴィチ、サハロフなどの文章や発言によくあっていて、ソ連の内情を伝える重要な発言であると思われたのだった。そのうえ、DSは体制派の作曲家として知られていたのだが、そのDSから体制批判、文化的な弾圧批判、粛清の証言などが出たのだった。だから、口を開かないソ連の市民には体制への不満や怨嗟などがたまっていると思われたのだった。すくなくとも1970年代以降にソ連の経済成長はとまり、生活物資の不足でデパートお売りが我からであるとか食料品店に長蛇の列が出来るなど、生活の不自由さはよく知られていたので、そこからの推測を補うものだった。
 もう一つの衝撃は、DSの作品解釈。交響曲第5番の終楽章は、歓喜や解放ではなく、「強制された喜び」であるとされる。ほかに、第7番などは社会主義リアリズムの典型的な作品であると思われたのが、全く逆の意図を込めていたとされる。そこからDSの作品のイロニーや皮肉、暗喩などを読み取り、隠された意図を読み取ろうという試みもなされた。また、DSの盟友と思われる人たちへの容赦ない批判。とりわけムラヴィンスキープロコフィエフに対するもの。前者はDSの作品の意図を理解していない、後者は管弦楽法の基礎がダメと手厳しい。内向的で、穏やかに見えるDSからこのような手厳しい言葉が出るのも意外だった。
 のちにファーイなどDS研究者が検証したり、DSの家族や友人が反証するなどして、「証言」の内容の真偽は問われている。どうもDSの語りをそのまま書き起こしたとは思えなく(実際、各章のあたまは「自伝」に収録された文章をほぼそのまま引き写していたりする)、DSの関与した部分は少ないと推測されている。上記の作品や他人の評価も、聞き取り時期が1970年前後とDSの体調が思わしくないと時であり、相当愚痴っぽく、恨みつらみを吐きだした感情的なものとみなせる。ムラヴィンスキーはなるほど交響曲第13番やピアノ協奏曲の初演を1960年代前半に拒否してDSと疎遠になったのだが、1974年には交響曲第15番の初演を担当するなど聞き取り時期の後に関係は修復している。それらを含めてファーイは「病に襲われた者の語るいたましい臨終的打ち明け話」とみなして、DS研究の資料にしないように勧めている。そのような本だ。
 自分は研究者ではないので、DSと編者であるヴォルコフの意見の切り分けはできない。DSの本心だけを抽出する試みも多分挫折するしかないだろう。そこで、自分はDS=ヴォルコフという合成された人格によるソ連社会の記録、証言としてみるという立場をとる。

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2016/06/14 ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中央公論社)-2 に続く