odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-2

 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(以下DSとする)は1906年レニングラード生まれ。幼少の頃は特に神童エピソードはないが、6-7歳で音楽に関心を持った時、即座にピアノを弾けたというからすごい。13歳でグラズノフの推薦をうけてペトログラード音楽院に入学する。第1次大戦がはじまり、一家は困窮。一時期は映画館のピアニストになって糊口をしのぐ。この時期にロシア革命が起き、ペトログラードは革命の中心になる。少年DSはレーニンの到着後最初の演説を聞いたなどのいろいろ伝説がある(これは事実ではないという)。
 音楽院時代に会っていた人のリストがあるが、ものすごい。同世代がハイフェッツホロヴィッツ、ミルスタイン、エゴン・ペトリなど。若手から中堅の指揮者にはシュティードリ、クーセヴィツキー、ミトロプーロスなど。ほとんどがのちに亡命して、新大陸で大成功をおさめた人たちだ。国内の人ばかりではない。1924年にモスクワに移り、19歳で書いた交響曲第1番で成功する。モスクワ訪問中のブルーノ・ワルターがベルリン初演を申し出たという。しばらく後だと、オットー・クレンペラーが1936年にレニングラードを訪問してショスタコーヴィチと歓談し、交響曲第4番を南アメリカで初演する約束をしていたり(実現せず)。スターリンの政権奪取後にソ連鎖国状態になって、西側諸国の人は特別なコネがないといけないのだったが、その前は人の出入りは比較的緩やかだった。だからこのような豪華極まりない人名のリストができるわけだ。
 そのせいかどうかはわからないが、DSの音楽は当初から新しかった。メロディが、リズムが、楽器の使い方が、構成が。過去の作品と一線を画している新しさが若いころのDSの音楽にある。それは二つの方向において。過去の作品の模倣や踏襲から外れていること。19世紀のドイツ音楽やそれにインスパイアされた周辺諸国クラシック音楽の伝統を引き継いでいない。形式は使用するが、意味や価値を主張しない。自分の妄想では戦争と革命の混乱で過去の音楽(とくにロシア以外の物)に触れる機会が限られていたのだと思う(「自伝」のエピソードに、グラズノフの授業でブラームス交響曲第2番の連弾版を初見で演奏するというのがあったが、DSはそれまでこの曲を聞いたことがなかったという)。
 加えて民謡や民族音楽の影響を受けない。メロディはわかりやすいが、どこかで聞いたことのあるものではない。郷愁や協和のロマンティックな感情を喚起することはない。ここでも自分の妄想では、ペトログラードという工業都市では民謡を聞く機会が限られていたのではないかと思う。両親も都市民であって、民謡を伝える共同体とは無縁だった。
 過去、伝統、民衆などと切断されていたところに幼少から青年期のDSはいたのだと思う。彼の見たのは現代であって、混乱やざわめきのある都市や映画や演劇であったのだろう。そこから、DSは対比やイロニーを使う。重苦しい雰囲気の直後に騒々しい踊りの音楽になり、足が引っかかるような道化たリズムのあとに行進曲になる。重要なことをひそやかに、些細なことを重大にと、逆説的に表現する。現在はやっている歌が引用され、展開されないですぐに消えていく。結果として音楽は展開や発展や変奏されるかわりに脈絡なく変転するものになり、グロテスクな表情を持つので聞くものは安心できないし、カデンツァに落ち着かないのでカタルシスを得ることができない。そのような音楽をまとめてモダニズムとよぶことができる。
 DSの20代はほぼロシア・アバンギャルドの時代にかなさっている。革命によって皇帝の権力が一掃された時、芸術家ほかの表現者は新しい表現を試みた。今でも鮮烈な印象を持つ当時の芸術運動は、演劇、建築、写真、映画、ポスターなどで進められた。DSは演劇に興味があったので、メイエルホリドの演劇に協力したり、舞台作品の音楽を作ったり、小オペラを作ったりした。あいにくロシア・アバンギャルドのなかでは音楽はあまり注目されていないようだが、当時のモダニズム音楽の推進者であり、代表作をつくったのはDSに他ならない。
 また、この時代には、言語学や文学理論でロシア・フォルマニズムの運動もあった。この運動はあまりよく知らないので、詳細は書かない。ここでも言語表現で意味されることよりも、表現するものを重視する見方があって、おれのような素人はDSの音楽に親近性があるように思うのだ。このあと、DSはソ連共産党と文化官僚によって「形式主義者」とののしられることになるのだが、「形式主義」はフォルマニズムのことだと思う。DSの批判とほぼ同時期にロシア・フォルマニズムの言語学者への非難や迫害があって、それはDSに起きたことと無縁ではないと思うのだ。
(と思っていたら、wikiの「形式主義」の項目に同じことが書かれていた。
形式主義 (音楽) - Wikipedia  )
 「自伝」に収録された1959年の文章でDSは20代の自作を「思弁的な実験、実生活から遊離。技術的・形式的な実験」と否定的に評価する。自分には、その点こそがDSの音楽の面白さであり、優れたところだとおもう。DSについての本を読みながら、代表作を一通り聞き直したのだが、「マクベス夫人」以前の若いころの作品がもっとも精彩があって、印象的で、聞くのが楽しかった(あと好ましかったのは晩年の個人的・内省的ないくつかの作品)。


2016/06/21 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1  に続く