odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジュール・ヴェルヌ「海底二万リュー」(旺文社文庫)-1 冒険小説のアクションはなく、博物調査の詳細がえんえんと描かれる。19世紀の博物学が海洋生物に注目しだした事情が反映している。

 昔読んだ旺文社文庫版では「リュー」、今回読んだ集英社文庫版では「里」。ほかに「リーグ」「海里」など表題の単位表記にはさまざまなヴァリアントがある。
 きわめて高名な冒険小説。1870年に書かれてから、この国で何度も翻訳され、ジュブナイル版も出たりした。なんども読んでいるはずなのに、妙に記憶に残っていないので、読み直す。

 1866年、海上事故が多発する。「でっかいもの」が船を襲っている。鯨、軟体動物などの説が出て、大混乱。ようやくアメリカが「エイブラハム・リンカーン」号に調査させ、そこにパリ自然博物館教授のピエール・アロナックスが招かれる。およそ3か月の航海で日本沖にでたところで、「でっかいもの」に遭遇。軍艦は沈められ、教授とその助手、もうひとり捕鯨の銛打ちが鋼鉄の船に助けられる。ネモ船長となのる不思議な人物は、本来見捨てるところを忖度の情で助けた、ついては船から下船できないので心するように、と艦内においた。8か月後、ノルウェー沖でメールストレムに会い、鋼鉄の船は沈没。3人は助けられる。ストーリーはこれだけ。集英社文庫版全580ページでは、船(ノーチラス号)に乗り込むまでで100ページ。脱出に20ページしか使われない。
 では残りの460ページに何が書かれているかというと、潜水可能な船に乗っての、太平洋、インド洋、大西洋、南極の世界一周の博物観光旅行。おもに海産生物の生態、分類がえんえんと記述される。冒険らしいのはパプアニューギニアの島で狩りをするのと、南極点に到達するのと、オオダコと格闘するのと、国籍不明の軍艦の襲撃に逆襲するくらい。あとは徹頭徹尾、博物調査の詳細が書かれる。
 そうすると、「冒険小説」というくくりでこの小説を読むと挫折するのじゃないかな(20歳のときの自分がそう)。むしろ、19世紀半ばには、いかに多くの人が博物学に興味を持っていたかに、着目したほうがいい。そうすると、荒俣宏図鑑の博物誌」「大博物学時代」「目玉と脳の大冒険」などで情報を補完してたほうが面白い。いずれも手元にないので、記憶だけで「海底二万リュー」に関係しそうなトリビアを羅列してみる。

・18世紀の博物学は、もっぱら地上の生物を対象にしていた。19世紀になってようやく海産生物に興味を持つ人が現れる。きっかけは南太平洋の魚類図鑑のきっかいな魚の図譜が送られてきたこと。そしてようやくイギリスやフランスの海に入って、入り江や浜の生物を調べる人が生まれる(フンボルトあたりと記憶するのだが、どうか)。そしてガラスの水槽ができて、海産生物を横から見ることができるようになる。その驚きから水族館がつくられる。海産生物の博物学図鑑も作られるようになり、白眉はエルンスト・ヘッケルのクラゲの図譜。
・水槽で魚を飼うのも趣味として認められるようになったのも、海水浴が上流階級の趣味になったのもこのころ。
ダーウィン種の起原」は1859年初版。でもこの小説では全く無視されている。なにしろアロナックス教授はパリ自然博物館の教授だが、ここにはかつてビュフォン、キュヴィエ、ラマルクなどフランス博物学の泰斗が勤めていた由緒ある国立博物館。アロナックス教授はこの博物館所属であるからネモ船長も一目置く権威を持っている。
ノーチラス号の航路はほぼ地球を一周するくらいに大掛かりなもの。南極とノルウェー沖に行ったことを除くと、ダーウィンのビーグル号の航跡に重なるところが多い。まあ、「海底二万リュー」はほとんど最後の博物学冒険旅行といえるわけだ(このあとは短期的、目的を限定した現地調査になる)。

 ここらへんが「海底二万リュー」に至るころまでの博物学の変遷。博物学の些末な知識がエンターテインメントになるくらいに、当時の読者や市民は博物学に精通していたのだ、と思う。

      

2016/07/22 ジュール・ヴェルヌ「海底二万リュー」(旺文社文庫)-2 1870年 に続く。



 映画版も併せて紹介。
20,000 Leagues Under the Sea (1916) 世界初の水中撮影。
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20000 Leagues Under the Sea(1956) カーク・ダグラスのネッド・ランドより、ピーター・ローレのコンセイユに目が行ってしまう。
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20,000 Leagues Under The Sea (2008、DICアニメ版)
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