odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

江戸川乱歩「堀越捜査一課長殿」(講談社文庫)「月と手袋」「ぺてん師と空気男」。戦後の短編。セルフパロディとた作品の引用でできた技巧的な作品。

 戦後、仕事の軸足を創作から評論と雑誌編集に移したので、創作小説は極端に減ってしまった。長編は「化人惑戯」「影男」「十字路」、翻案の「三角館の恐怖」、中短編はほぼこの一冊。創作の意欲は本人が認めるように薄れていて(国策小説を書いたこととか、海外の新作がどっと入ってきたこととか、いろいろ理由があるのだろう。「うつしよは夢」をじっくり読めば状況はわかるかもしれない)、ここに収められた小説はどこかで読んだことのあるような物語ばかり。

月と手袋 1955 ・・・ 業突く張りの元貴族に弱みを握られたシナリオライター、呼びつけられてゆすられることになった。そんな金はない、と突っぱねようとしたらもみ合いになって、首を絞めて殺してしまう(カメになった相手のバックをとって、チョークスリーパーをかけて。こんな用語は使っていない)。かねてから計画していたとおり、自分は外に出てパトロールの警官といっしょに現場に踏み込む。その直前に芝居をしろ、と命じ、ついでに容疑者を増やすために、債務者名簿と現金を焼いておいた。うまくいったのだが、捜査一課長の花田警部が何度も訪れ、明智小五郎の名前を出す。シナリオライターは次第に不安になって…。なるほどドスト氏「罪と罰」と自作「心理試験」、それにポー「天邪鬼」の語り直しか。そのうえ、カー「皇帝のかぎ煙草入れ」も言及され、小説に関する小説なのでした。だから、この微細な内話が書かれるのだね。 作中のプラクティカルジョークのネタ本は、アレン・スミス「いたずらの天才」(文春文庫) 。


防空壕 1955 ・・・ 東京に空襲のあった夜、広大な屋敷の防空壕に逃げ込んだ独身青年、そこで絶世の美女に会う。次の瞬間死ぬかもしれぬ時、行きずりの男女の情欲が都市を焦がす炎と一緒に燃え上がる…。まあ、皮肉な落ちではあるのだが。それにしても空襲を、都市の大火災を凄絶・荘厳な美とみなす乱歩の倒錯ぶり!空襲と防空壕を舞台にした小説は他に、乱歩「化人幻戯」久生十蘭「ハムレット」都筑道夫「東京五月大空襲@東京夢幻図絵」など。

堀越捜査一課長殿 1956 ・・・ 5年前の東和銀行の現金強奪事件。真昼に札束の入った袋を奪い取って、犯人は近くのアパートに逃げ込んだ。犯人は自室に追い込んだはずなのに、姿がないし、現金も消えている。アパートの住民もそのような男はみていない。事件は迷宮入りになっていた。3つの趣向。一番目は消えた男と消えた札束。いずれも古めかしいけど、なまなましいトリック。二番目は当時の乱歩が注目していた「大統領の探偵小説」の改作。エッセイで指摘していた不自然さを克服するために乱歩は工夫した。それはいにしえの「D坂」から「幽霊塔」など数々の著作を思い出すメタモルフォーズの欲望。三番目は、枠物語。かつての「人間椅子」へのオマージュ。という具合にこれもまた、小説に関する小説だった。

妻に失恋した男 1957 ・・・ 妻に失恋するのがいやだといってピストル自殺した富豪がいる。動機の奇妙さが気になる刑事は執拗な調査を開始する。解説によると、カーの長編のトリックをいただいちゃったそうだが、どれだったのかなあ(記憶がアルジャーノン並みになっている私)。
追記:ネット情報によると、「『カーのトリックを借用している』とあるのも、「謎と魔法の物語」解題の新保博久氏によれば、「レオナード・グリッブルの短編『ジェイコブ・ヘイライン事件』が正しい」のだそうです」とのこと。
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ぺてん師と空気男 1959 ・・・ 物忘れの激しい通称「空気男」と呼ばれる私が、プラクティカルジョークに講じる通称「ぺてん師」とであう。二人でジョークを楽しんでいるうちに、仲間を集めてジョークの発表会もするようになる。ただ、「ぺてん師」の妻が私にしきりにモーションをかけてきて、その妖艶な姿態に私は深みにはまっていく。そして逢瀬を「ぺてん師」に見つかった。プラクティカルジョークの元ネタはアレン・スミス「いたずらの天才」(原著1953年、文春文庫)とどこかで読んだ。なるほど、この本に書かれたジョークがそのまま小説に書かれている。ポオ「使い切った男」をそっくりいただいたシーンもある。それだけではなくて、この小説は乱歩の昔の小説を思い出す。高等遊民が自堕落な生活をしているのは「D坂の殺次事件」、仲間内でジョークを仕掛ける「二銭銅貨」、生活に飽いた連中がそれぞれの話をする「赤い部屋」(作中のプラクティカルジョークの議論はプロバビリティの殺人に通じる)、上記の「使い切った男」のシーンは「芋虫」でもあり、暗闇の中でふたりっきりの皮膚感覚が鋭敏になるのは「孤島の鬼」、自分の仕掛けを他人がどう反応するかを楽しむのは一連の「怪人二十面相」シリーズ。という具合に、自作をなぞるかのように物語が進む。彼らの隙見、覗きの趣味と人生を劇場化する趣味は谷崎潤一郎のもので、とりわけ「白昼鬼語」にふさわしい。というわけで、この小説もまた小説に関する小説。

指 1928→1960 ・・・ 昔、小酒井不木と合作したのを、30年ぶりに発表したショートショート。合作のいきさつは「うつしよは夢」講談社文庫に収録された随筆に詳しい。


 探偵小説普及にかける意気込みは、探偵小説の博物学になる。収集された本を読み漁り、メモを取り、分類し、体系化し、歴史を調査し、それを人に紹介する。その行為は自身の眼を肥やすことになった。一方で、自作に対する評価が厳しくなり、途中で嫌気がさしてしまう。戦前でも、ファンの高評価とは裏腹に自信喪失がなんども筆を断つことになりもした。戦後はそれほどの鬱な気分になることはなかったとはいえ、創作の自信がよみがえることはなかった、といえる。
 実際、ここには若い時の意欲のある短編と比較すると、目につくよさはない。とはいえ、自作を振り返り、そのよいところを紡ぐ技術はあり、たくさんの読書で消化した情報を小説に反映する余裕も生まれるのであった。
 これらの、ほとんど最後の小説で、自作を振り返る。そして乱歩の「すべてよし」の高らかな肯定の言葉が反響する。読者のもその翳りのない小説世界で、乱歩の言葉を繰り返し発する。すべてよし!

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