「隅田川近辺の川岸に建つ石とレンガの古色蒼然たる3階建ての洋館―元は正方形の屋敷だったものを対角線で真二つにしたため、付近の人々から三角屋敷とも三角館とも呼ばれる蛭蜂一族の洋館で、1月下旬の雪の日の深夜、突如として1発の銃声が鳴り響いた。二つの蛭蜂家には、双子の当主が生き残り競争を賭けた巨万の遺産相続権をめぐる執念の敵意が、異様な情況をここに寄る一族すべての者たちに及ぼし、ついには第2の殺人が!犯人は内部の者に限られていた。7人の容疑者のうち、はたして真犯人はだれか…?―篠警部と森川弁護士をホームズとワトソン役にして怪事件のナゾを解く、アメリカの作家ロジャー・スカーレットの本格編「エンジェル家の殺人」を原作にする傑作翻案小説」
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サマリーのように、翻案小説。舞台をロンドン(?)から築地に移し、人物は日本人だけになった。大戦間のできごとが戦後のことに変わり(となると、この国で億円の資産を当時持つことは難しかったのではないか。新円切り替えで銀行口座が凍結されたりしたし)。その代わりに三角館(L字型の西洋館を左右対称になるように区切ったもの)の構造はいっしょ。おかげで昭和26年現在としては非常に珍しい建物になった。
ストーリーは「エンジェル家の殺人」に書いたので省略。面白いのは、乱歩自身による編集が加わっていること。いくつか目に付いたところは、作者が登場して物語を解説すること、人物の会話や行動の描写をすこしばかりカリカチュアライズして乱歩の長編にでてくる異様な人物にしていること(とくに執事の猿田老人)、逆に探偵とワトソン役の二人の主人公の個性を控えめにしていること、こういうところかな。原作のロジャー・スカーレットは30代の女性二人の合作だったわけで、男性の描写があまりうまくない、というか書き分けが不足しているという感想をもった。乱歩が書き変えると、男性、とくに健康の優れない兄(2番目の被害者)の二人のぐうたら息子が生き生きとしてきたし、四角四面な弟(最初の被害者)の養子の旦那も存在感のある人物になった。まあ、その代わりに原作では印象的だったオールドミスや館付きの女中などが類型化して、印象に残らなくなった。まあ、男性作家の常として仕方ないか。
犯罪のプロットや事件を起こす動機は原作そのままなのだが、こういう編集による効果のためか「犯人当て」は容易になったのではないかしら。昭和26年の光文社「面白倶楽部」の連載で、犯人あての懸賞を出しているんだ(こういう趣向は「不連続殺人事件」だけかと思っていた)。そうしたら「犯人当て」に成功した人はずいぶんたくさんいて、動機まで正確に見極めた人も数十人いたと見える(こういうところまで復刻する創元社はエライ)。
あわせて初出雑誌の挿絵の復刻もよい仕事。富永謙太郎の挿絵は、西洋館の新奇なところと家族が遺言にとらわれた陰鬱な雰囲気をうまく書いていると思う。とりわけガマのような顔の猿田執事の絵は、悪夢にでてきそうな異相。だが、俺の年齢だと指揮者ロブロ・フォン・マタチッチの晩年の顔を思い出してしまうので、むしろ吹き出してしまう(念のためですが、自分はこの指揮者のファンです)。
あと、いくつかの見取り図があって、これには「エンジェル家の殺人」にはないものが含まれる。これもまた探偵小説を読むときの楽しみなので、たくさんあったほうがよい。もちろん読者の推理にはまず役立たないのだが。
個人的な思い出を書くと、たしか最初に読んだ乱歩の長編。読みなれていないころだから、深夜の待ち伏せにどきどきしたものだった。もちろん、犯人当ては失敗して、乱歩スゲーと思ったのだった。あのときの無知な状態で探偵小説を読めればいいのだがなあ。