odd_hatchの読書ノート

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江戸川乱歩「孤島の鬼」(創元推理文庫) 自己を探究しみずから変革する成長物語には第三者の冷静で客観的な眼で眺める傍観者「探偵」がいる余地はない。

 内気で女の子に話しかけられない蓑浦君(25歳)は、新人社員の木崎初代(18歳)にひとめぼれ。でも半年も声をかけられない。ようやく話ができてデートもするようになると、初代は家族親類のない淋しさをまぎらすためか、自分の身の上を語る。記憶にある海岸のスケッチと系図帳を箕浦に預けた翌日、大正14年6月25日、日本家屋の密室で殺された。失意の箕浦は探偵・深山木に捜査を依頼するが、何かをつかんだ探偵、「重要なもの」を箕浦に預けると、脅迫されていると怯える。衆人がみている海岸でなら大丈夫と思うも、子どもに砂をかけてもらうと、しばらくして刺殺されているのが見つかる。
 という探偵小説の物語は、全体の3分の1で、箕浦の先輩であり相談相手である諸戸道雄によってあっけなく謎が解けてしまう。深山木の資料を開けると、少女のたどたどしい自伝が書かれている。諸戸はその書付は自分の実家に監禁されているものが書いたのであり、しかも実父がおぞましい計画を遂行しているのではないかと疑惑を膨らませる。箕浦もたどたどしい書付に異様な興味をもち、箕浦に従って、和歌山県の岩屋島に乗り込むのであった。

 1930年の乱歩最初の通俗長編。これが大成功になって、次から次へとオファーが舞い込み、人気作家となる。この長編も発表から約1世紀を経てなお、読者を魅了するのである。
 このあと、岩屋島で奇怪な体験をすることになるのであるが、これ以上サマリーにする必要はないだろう。そのうえ、フリークス、人体改造、男色(ママ)などさまざまに論じられているあれこれに、おれが屋上屋を架す必要もないな。そのあたりに触れないで、気付いたところをいくつか。

・期せずして、この長編は黒岩涙香「幽霊塔」と同じストーリーになった。すなわち女性に奥手な美青年に絶世の美女が現れ、彼女(および幻影)を追いかける。その途次で財宝のありかを示す暗号を入手し、自身に降りかかる危機をかわしながら、暗奥の迷宮へアタック・アンド・エスケープを敢行するのである。主人公は魅惑の女性を疑うことなく、どのような苦難にあっても、彼女への忠誠を誓うのである。そういう愚直なボーイ・ミーツ・ガールの物語が進行する。
黒岩涙香「明治探偵冒険小説集1」(ちくま文庫)「幽霊塔」所収
江戸川乱歩「幽霊塔」(創元推理文庫)

・岩屋島の最奥の秘密は、地下の迷宮「八幡の藪知らず」である。そこには財宝があるが、同時に財宝を守る「竜」もいる。そこに箕浦くんはロープをもって入るのである。この物語はそのままテーセウスによるミノタウロス退治の神話。以上はうぶな箕浦くんの物語。

・もうひとつの物語も同時進行していて、それは諸戸道雄のエディプス・コンプレックス克服の物語。子供のころから父を嫌悪し、父から離れることができたかと思ったときに、箕浦および木崎初代の結婚の約束、および初代の殺害を知り、父との対決し決着をつけなければならなくなる。さらには母の打倒も視野に入ってくる。おぞましい近親相姦の記憶が呼び起こされ、罪や汚れを一身に背負っているかのような罪障感を払しょくしなければならない。それが岩屋島の実家への帰還であり、幼少時代の記憶のよみがえりとその再解釈を経なければならない。そこでの父による幽閉、地下迷宮の放浪、自身の性癖の禁欲などの苦痛は、父母を克服する試練となるのである。諸戸は「孤島の鬼」事件の冒険ののち、唯一幸福を獲得できなかったのであるが、それは父殺しを果たし、エディプス・コンプレックスを克服したあと、彼はアイデンティティを喪失したからである。

箕浦と諸戸の物語は、事件の謎ときのみならず、自己を探究しみずから変革していくものに他ならない。メンターのごとき指導者や地下の老人の知恵を借りることもできず、すべてを自己で解決し、前進しなければならない。すなわち事件を第三者の冷静で客観的な眼で眺める傍観者「探偵」の存在は不要。だから深山木探偵は登場してすぐに退場し、「明智小五郎」も事件に介入する余地はない。

・この長編の魅力の一つは、「父つぁん」と呼ばれる異形の怪物にある。こののち乱歩は「吸血鬼」「人間豹」「黒蜥蜴」など奇態なふたつなをもつ怪盗、怪人、サイコパスを種々創造するのであるが、そのだれよりもこの「父つぁん」のほうが恐ろしい。復讐以外の欲望を持たず、探偵との対決など全く意に介さない、なかみががらんどうの人物は文字通りの「怪物」であって、心理分析も知的対決も不可能なのだ。どのような介入もできず、共存もできず、殲滅するしかない怪物。心底恐ろしい。


 「孤島の鬼」は春陽文庫、角川文庫などさまざまな文庫で出ているが、今回は創元推理文庫版にした。雑誌連載時の挿絵が復刻されているのがよい。竹中英太郎の畢生の傑作挿絵を堪能しよう。

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