湯川とかいう物理学の准教授のもとに、高校生がやってきて、部員獲得のためのデモンストレーションのアイデアを相談する。数回打ち合わせをしたあと、連絡はなくなったが、突然刑事がやってきて、高校生のことを教えろという。聞くと、高校生は行方不明、その姉が1年前にホテルで不審死。どうやら彼女は、地元でスーパーテクノポリス誘致計画を推進している元文部大臣の代議士と関係があったらしい。この計画には低濃度の放射性物質の保管も含まれているらしく、地元では反対運動が起こっている。その事件を追っていたフリーライターが殺されているのが見つかった。どうやら、失踪した高校生は代議士を遠距離で殺す計画を立てているらしい。阻止するべく、湯川に支援を要請したが、なぜか彼は断る。
帯には「ここに登場する湯川学は『シリーズ最高のガリレオ』だと断言しておきます」と作者のコピーがついている。ふーむ。すれっからしの読者である俺の評価は、できのわるいエンターテイメント。
・複数の事件がパッチワークのように書かれているが、時間の推移がよくわからない。事件の推移がまとまるのは、半ばあたりの捜査会議を聞かなければならない。
・事件の構成が単純。というか、なぜ二番目の事件の犯人が、前振りなく伏線なく逮捕され、過去の因縁を語りだすの。
という具合に読者が推理を働かせる余地がない。「ミステリー」じゃない。そのうえに、
・「現代」を描写するために、スーパーテクノポリスとかいう科学技術都市計画を持ち出し、そこに自然環境破壊の反対運動を起こさせる。この設定が時代遅れ。企業や公立の研究所誘致を自治体や国が率先してやるというのは、1980-90年代にさかんに行われたが、成功例がないまま立ち消えになっている。そんな計画を国は立てていないし(世界的にもないよなあ)、賛同する自治体もない。そのうえ自然環境破壊の可能性をアセスメントするのは、計画段階で行うようになっているから、用地買収の段階で反対運動もおこりえない。秘密裏に低汚染放射性物質を持ち込むのも無理。なので、背景のリアリティがまるでない。
・ある悪徳代議士が描写されるが、1970年代以前の「ムラ」社会の議員のステレオタイプ。粗野で脂ぎって、人脈を持っているが、知的でなく洗練もされていない。ついているのは怜悧で合理性をつきつめたような秘書。若い頭の切れる女性が近づき、代議士の性のさそいにすぐにのる。この紋切り型の人物と設定。
・殺人方法にあまり知られていない技術を使用。ラストシーンで「科学者は万人を助けるために個人を殺してもよいか」「科学の成果でおこるさまざまな蛮行や愚行に、科学者はどのように責任をとるか」という問題が投げかけられる。まあ、その職にある人には重要かもしれない。しかし未成年がその問題に直面しないように、配慮するのが大人の役割じゃないの。おれのいっているのは、その殺人方法を考案するもとになったデモンストレーションを高校生に提案して制作支援したことだ。進学校の優秀な生徒であっても、その実験を高校の構内でするわけにはいかない。警察案件になっているのに、なぜ協力しないで、一人で対応しようとするの。人が殺されるかもしれない事態で、なぜぎりぎりの危険な状況を作り出すの。なので、ラストシーンでの湯川とかいう准教授の犯人への語りかけも真摯に聞こえてこない。湯川は「責任をとる」と繰り返すが、薄っぺらで軽い言葉だ。
まあ、1960-70年代なら小説中の政治や科学の批判は正しく当事者にむかっている。でも21世紀の第2ディケードには誰に向かってのメッセージなのかまるで分らない。