odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

エルンスト・ヘッケル「生命の不可思議 上」(岩波文庫)

 エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel, 1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)は、ドイツの生物学者であり、哲学者である。生物学者としては海産の無脊椎動物の研究と図版作成で知られている。荒俣宏「図鑑の博物誌」(工作舎)などで紹介されている。クラゲや貝などのページはため息をつくほど美しい。それ以外には「個体発生は系統発生を反復する」という反復説が高校の生物学教科書にのっているくらい。

Art Forms in Nature: The Prints of Ernst Haeckel (Monographs)

Art Forms in Nature: The Prints of Ernst Haeckel (Monographs)

 存命中および没後しばらくは生物学者としてより哲学者として評価されていたようだ。多くの著作も戦中までは定期的に翻訳されていたらしい。この本も初出は1904年で、翻訳が出たのは1928年。宮沢賢治埴谷雄高などが読んでいたという情報がある。あるいは、北杜夫「どくとるマンボウ青春記」でも、この本に似たタイトルの自然哲学の本を熱中して読んだというエピソードがある。この本では哲学と生物学の融合と、宇宙的な霊的進化論がかかれているので、宮沢賢治の主張にあったのかもしれないし、18世紀の二元論哲学の中心としてのカントが執拗に批判されているから、埴谷雄高のおめがねにかなったのかもしれない。そこは妄想するしかないけど、どうやら20世紀前半にはこのような神秘主義的な自然哲学が流行ったようだ、というのは確かなことだろう。なぜヘッケルが流行ったかはこの本一冊を読むくらいではまったくわからないので、その方向への推論は止めることにする。
宮沢賢治とハヴロック・エリス
古本夜話153 埴谷雄高とヘッケル『生命の不可思議』 - 出版・読書メモランダム

 そのかわりにヘッケルが何を考えていたのかのをこの本でまとめてみることにする。とはいえ、繰り返し本文に書かれているように、この本は1860年代からヘッケルが考えてきたことをまとめる複数の著作群の一冊であるらしく、重要な思想は別の本に詳述されていて、この本では省略している場合がある。少なくともこの本の前に書かれた「宇宙の謎」も読まないと、全体はわからないのかもしれない。そのうえ、この人の文体は衒学的で、博物学や生物学の記述は詳細で微細なところまで書くのに、他人の考えをいろいろ紹介して批判するのに、自分の考えや思想を語るときは口ごもり気味で、きわめてあいまいにしている。ショーペンハウエル「著作と文体@読書について」でニセ学問の特長をいくつか挙げている(「仰々しい文体を使う/美辞麗句を多用する/あいまいで朦朧とした文章を書く/言葉の定義に無頓着である/主張を隠蔽しようとする/主観的である(文章の意味を自分だけで理解して満足する)」)が、まさにこの指摘があてはまる難解な文章。本文から主張を読み取ろうとしても、とりとめなくて、どうにもまとめようがない。付録でようやく主張の概要がわかるという仕組み。そのような朦朧としたしろもの。著作家としてはとても不誠実であると思うので、自分のようなもの好き以外は読むまでもあるまい。自分にしても、進化論に関係した人という事前情報がなければ、この本を買わなかったに違いない。
 以下、目次。

第一篇 方法論(生命の認識)
第一章 眞理/第二章 生命/第三章 不可思議/第四章 生命の知識/第五章 死
第二篇 形態論(生命の形態)
第六章 プラスマ/第七章 生命の単位/第八章 生命の形態/鮪九章 モネラ
第三篇 生理(生命の活動)
第十章 栄養/第十一章 生殖/第十二章 運動/第十三章 感覚/第十四章 精神生活
第四篇 系統論(生命の歴史)
第十五章 生命の起原/第十六章 生命の進化/第十七章 生命の価値/第十八章 生命の風習/第十九章 二元論/第二十章 一元論
附録

 さてヘッケルは自分の哲学を一元論という。一元論の先達者はルクレティウススピノザ(あれライプニッツのことはふれていなかったかな)。対してプラトンアリストテレスデカルト、カントなどの形而上学の系譜にある哲学は二元論であるのだそうだ。よくわからないのだが、心-物、主体-客体、魂(=意識)-肉(身体)の対立項をつくってその相反とか補完でみるのを二元論というらしい。それに対してヘッケルは、プラスマだかフロネマだかのなにもの/ことかに意識と身体の結合した実体があって、その状態の変化でもってすべてが説明されるらしい。このプラスマだかフロネマが宇宙から細胞までを連なる統一原理を持っていて、相互に関連しあっている。プラスマだかフロネマという実体によって、魂=意識を研究する哲学や形而上学と、肉=身体を研究する生物学がつながり、18世紀以来分裂していた学問を統合することができるわけだ。さらにプラスマだかフロネマという実体は宇宙と細胞をつらぬく原理を共有している。なので、宇宙的な、地上の歴史的な出来事と個体や細胞のできごとはおなじような原理で説明できる。重要なのは、プラスマだかフロネマという実体にはそれ自体に変化を起こし、適応していく能力があり、おのずと進化していること。その記憶はプラスマだかフロネマという実体に残っていて、新たな個体や細胞は過去の系統発生を反復するという。過去に自然発生で生まれた生物は現在まで進化してきた記憶を持っているので、「反復説」が要請される。この本を読むと、反復説は観察記録から帰納された科学仮説ではなく、このような霊的進化論に基づく哲学的主張であったのがわかる。

  

 2016/09/12 エルンスト・ヘッケル「生命の不可思議 下」(岩波文庫) 1904年 に続く

<追記 2019/8/9>
 寒村自伝にヘッケルの名が出てきた。1908年9月の赤旗事件(山口某の慰労会で、寒村と大杉のイタズラで赤旗を掲げて外に出たところを警察が規制してそのまま逮捕。1年半の有罪)の収監中に、差し入れられて読んだ本の中に、「生命の不思議」があった。当時は翻訳はないので、寒村が読んだのは英訳。
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