odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「日本庭園殺人事件」(角川文庫)

 子供の時から日本に住んでいたアメリカ人女性作家39歳がいる(ラフカディオ・ハーン死去の年1904年に7歳だったという。もしかしたら漱石や逍遥などと面識があったかな)。「八雲立つ」という小説で一世を風靡。このたび世界的な癌研究家のジョン・マクレア博士53歳と結婚することになった。40歳になると莫大な遺産が入ることになっていて、結婚式を控えたある日、彼女は自宅に警察を呼ぶ。同じ日に博士の養女エレンが自分の結婚を報告するために、作家を訪れていたが、そこに発見したのは、首を切られて死んでいる作家の姿。マンションの最上階に日本庭園をもつ作家の部屋は窓には鉄格子がはめられ、ふたつのドアのうち片方は閂で締められ、もう片方はエレンがいるだけ。人の出入りはないのに、どうやって事件が起きたのか。前半は容疑をかけられたエレンの焦燥。優れた医師である婚約者は冷たくなり、事件に居合わせたガラの悪いヤンキーである探偵はエレンのそばを離れない。箱入り娘で世間知らずのお嬢さんは泣いてばかり、頼りにできるのは探偵だけ。

 さて、ヨーロッパから帰る客船でエラリーはマクレア博士に知り合い、事件に関係する。そこで知ったのは、婚約者である女性作家カレン・リースの異常な姿。すなわち、彼女の作品は妹エスターの書いたものを横取りしたものであり、在日中に夫を射殺し自殺したと思われたエスターを自宅に監禁して、作品を書くことを強要していたのだった。そのエスターも事件の数日前に家出していた。そして事件の2日前に遠く離れたフィラデルフィアで自殺しているのが発見されたのである。
 創元推理文庫では「ニッポン樫鳥の謎」、ハヤカワ文庫では「日本庭園の秘密 」。解説では「日本扇の謎」。「The Japanese Fan Mystery」、「The Door Between」などのタイトルも紹介され、確定したタイトルはない模様。事件にあうのは「The Door Between」であって、窓格子と二つの扉の間にある密閉された部屋で起きた事件、どうやって侵入ないし脱出があったのでしょう、という意味になる。
 一連の国名シリーズの中では評価の低い一編。なるほど、綿密な調査、事件を巡る様々な解釈、警察の執拗な尋問、謎めかす探偵の一言など、本格探偵小説にありがちな場面はない。そのかわりに若い女性とガサツだがうぶな男のラブロマンスがずっと続くからねえ。
 別の面から見ると、この小説はとても輝いている。すなわち、描写が映像的になり、そのまま書き写すと映画のスクリプトになるくらいなストーリー。ゴシックロマンス的な異様な状況と奇矯な人物たちという国名シリーズの舞台とはおさらばしている。事件の関係者はぐっと少なくなり、彼らの心理の移り変わりが詳しく書かれる。パズルには邪魔と思われるラブロマンスも、実は二つのロマンスが進行していて、もうひとつの過去を引きずるロマンスが事件の遠因になっているという具合。そのうえ、容疑者とされた若い女性はエラリーの家に逃亡して、心ならずもエラリーは事件の関係者になってしまい、父親の警察権力と対立しなければならなくなる。この小説ではエラリーは、そのことで苦悩することはないのだが。
 さらに事件の解釈の二重性。エラリーは表層の解決をして、幸いにそれは誰も傷つかなかったけど、もうひとつの深層も発掘する。最後には「対決」をすることになり、探偵は選択を強要する(ただし、探偵にその権利があるかという問いかけはない)。ここらへんは、中期といわれる「ハリウッド」もの、「ライツヴィル」もので何度も繰り返されるのだね。そのように、これはパズルに徹した「国名」「悲劇」のシリーズから次のステージに脱皮するためのさまざまなアイデアの詰まった一冊。くどいだろうが、中期の長編のかなりはこの小説のさまざまな変奏、パスティーシュです。
 もう一つの指摘は、この「日本」を主題にした小説が1937年に書かれていること。南京大虐殺事件が起きた年。すでに両国の関係は険悪になっていて、一触即発の時期。そのころに比較的正確で中立的な日本描写があったことに驚き。まあ、この数年後にはファシズムを嫌悪し悪者にする排外主義的なエンターテイメント小説がかかれるのだけど。