odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「Yの悲劇」(講談社文庫)-2 傑作とされる探偵小説は、冒頭30-50ページの要約だけでも魅力的。

2016/11/17 エラリー・クイーン「Yの悲劇」(講談社文庫)-1 1932年 の続き。


 解説はミステリマガジンの編集者だった各務三郎氏。退職後は翻訳やアンソロジー編集などで活躍。出版年1975年からすると編集者をやめてフリーになった直後の執筆みたい。

 この解説では「パズルストーリー」をキーワードにして議論を展開している。おもしろかったので、いくつか箇条書きに。
・パズルストーリーの形式はヴァン・ダインが完成。それを継承したのがクイーン。ヴァン・ダインの影響が濃厚だが、より洗練して小説として面白いものにした。
・トーキーになったときに、パズルストーリーが映画になったが、どれも面白くない。捜査の過程が映画的でないし、俳優を見れば犯人がわかるから(おお、フレミンジャー「ローラ殺人事件」がそうだった。「ケンネル殺人事件」もそんな感じ)。
・パズルストーリーは、探偵に論理的な解決をさせるために苦しい書き方(こじつけとも)をする。「Yの悲劇」だと、死者が残した小説のスクリプトにおける化学物質の記載法。なぜ瓶の番号や化学名を克明に書いたのか。個人で実験室をもつほどのディレッタントが自分のメモにするなら、そこまで書かない、不自然だ。でも、読者は苦しい書き方やこじつけにはさほど留意しない。それは、発想のあざやかさや不可思議な謎に魅了されるから。
江戸川乱歩は探偵小説の三要件として、謎、サスペンス、合理的な解決、といったわけだが、そのうち「謎」の魅力に注目するわけだ。なるほど、傑作とされる探偵小説は、冒頭30-50ページの要約だけでも魅力的になる。合理的な解決は小説内で破綻しない程度の論理的整合性をもっていればいいのだろう。)
・その点、クイーンの「Yの悲劇」は、1)小説としてのテーマを持つ、2)犯人像の質的変化をもたらした、3)プロットテーマをツイストして物語に迫力を生み出した、のが特長。
・パズルストーリーは名犯人を主人公とする物語。ドラマを演じきった犯人が抜け殻となったとき、はじめて探偵は犯人を逮捕することが許される。なので、レーンは「Yの悲劇」(にかぎらず「Xの悲劇」でも「Zの悲劇」でも)では精彩がない。それは名犯人のドラマにおいては脇役だから。それに嫉妬したのか、レーンは「最後の事件」で名犯人に変貌し、自分のドラマを演じることになる。
(この議論はボワロ&ナルスジャック「探偵小説」文庫クセジュに出てきた議論を思い出す。探偵小説の主要な役割を探偵、被害者、犯人の3通りとし、これまでの探偵小説が探偵に偏重していたから、戦後の探偵小説は被害者か犯人の物語にしようというもの。各務の議論では、探偵のことばかり書く探偵小説でも、犯人が主人公であるという指摘。なるほど、探偵小説では犯人は犯人とみなされないようにするために努力する。そのためにできるだけ自分を凡庸に見せ、犯罪と無関係であると思わせる。しかしさりげないしぐさの端々に、あるいはうっかり言葉を滑らしたり、ほかの人に過去の言動を暴かれたりして、ドラマの描き手であることが暴露される。そうすると、探偵小説は犯罪の犯人あてであるのだが、同時にドラマの主人公探しでもあるわけだ。だから、探偵小説のラストには、犯罪のプロットの説明と同時に、ドラマの振り返りがある。その二つを行うことで、謎ときとドラマに「終わり」をつけることができる。なので、ときに名犯人を期待する探偵と読者のために、犯罪者ではないのに名犯人に名乗りを上げる人がいる。かれは犯罪を犯していないが、ドラマの主人公になるという特権的な立場に立つという欲望に突き動かされているのだ。)


 「Yの悲劇」という多くの人に読まれてきた本から、新しい見方を引き出していて、解説者の腕に「お見事」と声をかけたくなる。上記の「1)小説としてのテーマを持つ、2)犯人像の質的変化をもたらした、3)プロットテーマをツイストして物語に迫力を生み出した」はめったに読むことのないすぐれた指摘。すでによく知っている物語にまだ読み取るべき深みがあるのを知らされました。
 それは後半の「名犯人こそ主人公」という指摘についても同様。もちろんこの指摘は1920-30年代の探偵小説黄金時代にには有効であって、1890-1910年までの短編探偵小説黄金時代にはあてはまらない。こちらでは、不可解な謎を捜査し読者の創造の上を行く解決をもたらす探偵がドラマの主人公だった。また、この論旨で戦後の探偵小説がミステリに変化したことを説明可能かはわからない。それに、探偵小説のドラマの主人公がいつ、だれによって転換されたかという系譜や発生は解説者の議論では解くことはできないにしても、この時代の長編探偵小説を説明するには有効ではないかな。
 自分の貧しい読書では、21世紀になってからの文庫ミステリー(特に海外もの)の解説は質的に優れてきたと思う。きっかけは創元推理文庫の「日本探偵小説全集」あたりだと記憶。そのあとは、作家情報が詳細になり、書誌情報が充実し、作品解説も立派になってきたのだが、この各務三郎のはその嚆矢にあたる。