odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」(ハヤカワ文庫)

 大富豪の老婦人が寄付してできたオランダ記念病院。当の老婦人が糖尿病の治療中転倒してけがを負う。ちょっと脱線するが、この手術室には患者の関係者が手術の様子を見るひな壇が設けられている。西洋ルネサンスころに人体解剖をするようになったが、教授たちが解剖する様子を弟子や学生がこのようなひな壇で見学していた。その名残と思う。それにしても、衛生観念やグロテスクに対する社会的許容など、今日の世界とは大違い。閑話休題
参考: 昔の手術室の様子
Travel Clinic: Medical museums | The Sunday Times

 その手術の日、ストレッチャーで運ばれてきた婦人は針金で首を絞められて殺されていた。現場と目される準備室には出入り自由。だれかわからない手術着を着た人物が出入りしていた証言がある。遺留品は、裾を縮められた医療者用ズボンと、切れた靴紐を粘着テープ(発表当時は高額で稀少品:この病院では厳しい備品管理の対象になっているほど)で応急処置されベロが押し込まれたサイズ6の靴(男性用としては小さい部類)。
 老婦人と病院のまわりであるが、こみいっている。婦人の弟は遊び人で、ギャングに借金を負っていて、肩代わりを頼むつもり。ひとり娘は婦人の顧問弁護士と婚約中。遺産を受け取れるひとり。婦人は世話係を雇っているが、宗教に凝っているうえに、いつも婦人と口論している。それだけ仲が悪いのに解雇するわけでもない。弟に金を貸しているギャングはこの病院に入院中。手下が病室の周りをうろついている。執刀医ジョニー博士は婦人の昔ながらの知り合いで、彼女の主治医でもある。手術着をきた<ペテン師(名無しの人物をエラリーたちはこう呼ぶ)>はジョニー博士によく似ている(この病院では医師、看護婦、事務員とも制服着用義務のため見分けがつかない)。そのうえ、ジョニー博士はクナイゼルというマッドサイエンティスト風の人物と一緒に新合金製造の研究に没頭。その研究資金は婦人から出ているが、数か月前に支援打ち切りの話がでている。最近ジョニー博士は外科の主任に昇格したが、そのために降格された婦人科医師はジョニー博士に恨みを持っている。なんともおおすぎる容疑者が、エラリーたちのまえに出入りしては、事件当日の証言をしたり、うわさ話をのこしたり、病院のルールを説明したり。それが260ページも続くものだから、なかなか大変。読書の眼が滑ることがなんども。
 さて、今度は最大の容疑者ジョニー博士が自分のオフィスで同じく針金で絞殺される。その直前には後頭部を殴られていて、博士机のまわりは資料であふれて狭くて、後ろにどうやってはいったものか。エラリーは友人の医師から、机のわきのキャビネットが実は後ろにあったという証言を聞いて天啓が訪れる。「読者への挑戦状」が挟まり、真犯人逮捕のためのコンゲームが行われる(なかなかにサスペンスフル)。
 1931年作。解説によると、この長編を書いてからフルタイムの職業探偵小説作家になったという。書きたいことを書きたいように書いた「アマチュア」時代の最後の作品だ。そのために、犯人当てのゲーム小説としては、とんでもなく高みに達してしまった。重要な証拠はそれぞれのパートの最初3分の1にあらわれ、さまざまなレッド・へリングが読者を惑わし、多すぎる容疑者のために一人に絞ることが困難(というかメモを取らないと人物名すら覚えるのが大変)。なので、重要な証拠を忘れてしまい(ないし注意深く検討することをしないので)、最後の「さてみなさん」に驚愕する。その説明の鮮やかさに再度びっくりし、フーダニット、ハウダニットホワイダニットと続く説明がその順番でなければならないことにも納得する。「挑戦状」からあとの50ページのなんと緊張感に満ちたものか。謎解きのサスペンスでこの作品に匹敵するのは、「エジプト」「シャム」くらいしか思い当たらないなあ。
 とはいえ、この小説は3度目の読み直しになるけど、どの回の読書でも途中で退屈になってしまった。おそらくヴァン=ダイン「カナリア殺人事件」と同じく、捜査と尋問の繰り返しが読書の緊張感を壊したからだろう。途中で何の事件も起きないものだから、会話の連続に疲れたのだ。なので、プロになってからの作品には途中でだれないストーリーを入れるようになったのだろう。そのぶん読者へのフェアプレイとか本格探偵小説の純粋性とかが失われるなどする。どっちをとるのか、うーむ。
 創元推理文庫の解説は法月綸太郎。細部にまで目の行き届いた優れもの。今回では本文よりもこちらの方が面白かった。