odd_hatchの読書ノート

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ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮社)-4 愛が欠如する憂鬱症の男は町を出て好き放題し、家刀自は家から出られず、ともに孤独である。

2016/12/13 ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮社)-1 1967年
2016/12/12 ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮社)-2 1967年
2016/12/9 ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮社)-3 1967年


 タイトル「百年の孤独」で、孤独は、ブエンディーア一族の憂鬱症の表れだけではない。そういう「憂い顔の騎士」は男の側に輩出して、子供のときから孤独の表情がはりついている。それが理由でか、彼らの中からはすさまじい行動力を示すことがあり、叛乱を組織したり、ストやデモを扇動したりもするわけだ。あるいは女でも、よく言えば自由奔放、悪くいえば社会性や協調性のなさのために奇矯なふるまいをした挙句に破滅的な人生をおくることになる。廃墟にこもるレベーカ、私生児を生んで追い出されるレメディオス(メメ)、(戸籍上の)甥と不倫に走るアマランタ・ウルスラなど。気丈に家を守ろうとするウルスラ(家刀自)も、アマランタもフェンルナンダ・デル・カルピオも、過剰な人口に、あるいはあまりの過疎に、家事に追い回されて、自己を振り返る余裕はない。彼らが老年を迎え、子供が家をでて、友人が減り、偏屈を増していくときに、彼らは自分が孤独であることを自覚する。
 その理由のひとつと思えそうなのは、ウルスラ(家刀自)のこと。彼女は、終生、一族に豚のしっぽがついた子供が生まれることを恐れていた。尻尾を隠すためにだぶだぶのズボンをはき、清らかな童貞をまもったあげくに若死にした男のことを覚えていたから。この男が生まれたのは一族の男系のひ孫同士が結婚したことにある。親族のものはこぞって反対したのだが、押し切った結果の末であった。なので、ウルスラは子供や孫の結婚に注意深くなる。
 一族に共通するのは愛の欠如か。なるほど、熱心に異性をかき口説き、結婚にこぎつける男もいるし、異性をライバルを取り合うほどの女もいる。しかし、彼らの中には西洋的な愛(相思相愛)の関係を作り上げた人はいない。結婚しても即座に相手の興味をなくし、自分のやりたいことに熱中する。男は家の外に出て好き放題したり、逆に部屋の中に引きこもったり。女たちは家を守ることに忙殺されたり、家を出て一人暮らしをしたり。愛を熱望する人たちがいてもそれは実現しないし、思いが空回りしてすれちがったり。まあ、「愛の欠如」は、奇形なこどもを産まず、ときに莫大な資産をつくったり、町(や国家)の名士になれたりもしたのだがね。それでも孤独の形態は異なりながらも、ほとんどすべての人に訪れて、疲労と悲哀が積み重なっていく。疲労や悲哀は一族のみならず、彼らの開いたマコンドという土地にも積み重なる。
 世界の周縁にある町マコンドはグローバル経済に翻弄されるわけで、自分らの意思とは無関係なところでも浮き沈みを経験することになる。開拓されてからの数十年は生産性の高い場所であったのだが、一族の孤独がまし、疲労と悲哀が堆積するにつれ、回復が難しくなっていく。それを決定的にしたのは、4年の長雨と10年の旱魃という自然災害による(このおとぎ話じみた災害の描写のなんとファンタジックなこと)。いやそれは誤りであって、町の衰退を決定付けたのはバナナ会社に対する労働争議を軍と警察が完全制圧したこと。3000人が町の広場で殺され、200両の貨車に詰め込まれた死骸を海岸に運んで遺棄した(どこかで読んだが、この事件は実際にあったとのこと。小説と同じように政府とメディアで「なかったこと」にされ、当の現地の人ですらそれを信じていたらしい)。そういうこともあって、長雨や旱魃は1929年の株価暴落とそのあとの長期不況のことのように思える。そのあと、バナナ会社はマコンドから撤退し、もはや復活できなくなる。
 因果はわからないが、ウルスラ(家刀自)の死がそのころに起きたというのも象徴的。この最初の入植者で、働き者で、男を御することができ、未来を見据えて物事を決める女性の存在が大きいのだなあ。彼女の包容力と生産力がブエンディーア一族とマコンドの豊饒さの原動力だったのだろう。そのあと、家を束ねることになるアラマンダやフェルナンダにはウルスラの大きな度量や生産性が失せていた。近代になるということは、このような呪術的象徴的な力を失せることなのだろう。それは男でも同じで、初代のホセ・アルカディオ・ブエンディーアやその息子のアウレリャーノ(大佐)の奔放さ、破天荒さは、資産の増大とマコンドの都市化によって次第に失われていく。最後になると女性の生産性は低下し、男どもは引きこもりになっていく。近代の自我とか市民性はそれ以前の否定と喪失で獲得したのだろうが、それがよかったことかはわからない。確実なのは近代に生まれたものはそこから離れると何の役にもたたないということか(最後から二番目の私生児のアウレリャーノは、百科全書的な知識とみていない土地や出来事の記憶を持っていたが、食料がないという事態で役立たずだったのだ)。

2016/12/07 ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮社)-5 1967年

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