1950年代に書かれたと思しい中短編を集めた。作者30代の最初期の作品を集める。
大佐に手紙は来ない ・・・ 腸に病気を抱える75歳の大佐とぜんそく持ちの妻の二人暮らし。10月は彼らの体調を崩し、灼熱は町を茹で上げる。彼らは職を持たないし、金もない。彼らの望みは金曜日に軍人恩給の支給が始まる手紙が来ること。しかし、その手紙は15年待って未だに届かない。彼らは家の中のものを売り、小銭をつくっては飯を食う。家の中はがらんどう。そうすると希望は町の人々が熱中する闘鶏に出せる軍鶏だけ。妻と軍鶏を売るかどうかで口喧嘩をし、売りに行こうとしてはプライドと人付き合いのなざが妨げる。という具合に、老年夫婦の貧困と孤独が描かれる。「あたしたちは何を食べればいいの」という妻の問いには「糞でも食うさ」と答える大佐はゆるぎない気分になるが、読んでいるこちらはうすらさむい。
という現在の話には過去があって、大佐は59年前にマコンドの革命政府軍に参加し、政治運動をしてきた。19年前に軍人恩給支払が決まり、8年かけて手続きをし6年まって名簿に載りそれっきり。今の政府は戒厳令を敷き、若者たちは軍事政権打倒の政治運動をしている。それに参加している大佐の息子は9か月前に逮捕され射殺された。そして大佐は町をうろつきながら革命運動の秘密文書を運んでいる。そのような20世紀前半から半ばまでのコロンビアの歴史が折りたたまれている。大佐は妻の前ではだらしのない無能な生活者であるが、その背後には不屈の闘士であることが隠されているわけ。
リアリズムの乾いた文章で大佐の無能さと高貴さが際立っていき、愚痴をこぼしてばかりの妻の孤独と夫への愛も痛いほどに伝わる。そのうえに政治小説でもあり、歴史を現在に伝えるものでもあり…と、さまざまな読み方のできる稀代の傑作。
火曜日の昼寝 ・・・ 汽車にのってきた女の子連れの女は駅を降りてまっすぐに教会に向かう。神父に最近死んだ泥棒の墓の場所を尋ねる。だれもいない灼熱の午後に、教会の窓には子供と大人がびっしりと集まっている。スティグマを受け入れる女の強さとか、民衆・群衆の無礼さとか。
最近のある日 ・・・ 村長が抜歯を頼みに来たが、歯医者はいないといえといった。しぶしぶ治療を開始した医者は麻酔なしで抜歯する。その理由。医者の「同志20人の命」、村長の着る軍服で一挙に事態が明らかに。
ガブリエル・ガルシア=マルケス「悪い時」(新潮社)
この村に泥棒はいない ・・・ 20歳の青年ダマソは玉突き場兼パブに深夜押し入り、球を盗み出した。それはこの村の久しぶりの盗難事件。容疑は村に一人の黒人にかかり、逮捕され隣町に護送されることになる。ダマソと妻アナ(37歳)は気が気でないし、次第に自首しなければという気持ちになるが、二人でいると喧嘩になってしまう。そして夜、家を追い出されたダマソは玉突き場に球を返しに行く。容疑がかかっていないのに気になって仕方のない強迫観念、追い詰めらていく焦り、そしてたった数行で世界を転倒させるどんでん返し。
バルタサルの素敵な午後 ・・・ 大工のバルタサルは2週間かけて美しい鳥かごをつくった。美しいという評判は町中に轟き、高額で購入したいという医師も現れるほど。しかしバルタサルは町の名士の息子のために作ったのだった。名士はそんな約束はない、金は払えないと突っぱねる。そのあとのバルタサルの決意と行動。何とも皮肉で物悲しく、ギリシャ悲劇のコーラスのように群衆は無慈悲で残酷で皮肉家なのだなあ。
モンティエルの未亡人 ・・・ 街の資産家で名士のモンティエルが死んだあと、未亡人に残されたものは、莫大な負債と町民の無視と軽蔑だった。国を出た息子や娘は帰ってこない。未亡人は一切を放棄し、家に閉じこもる。のちに「族長の秋」に至る権力者・独裁者の孤独と死のテーマの水源がここにある。そしてマコンド・サーガの端緒でもあって、ママ・グランデが初(?)登場。
土曜日の次の日 ・・・ 鳥が窓にぶつかって死亡する事故が町で相次いで起こる。そのときに97歳のアントニオ・イサベル神父は正気を失い、かつて悪魔にあったことがあるという話をして信者を失ったように、彷徨えるユダヤ人にあったと断言したのである。街に来た青年は2か月間脱いだことのない帽子を頭にしたまま、教会に来て、神父は帽子に気を取られる。スーパーナチュラルなことが当たり前に起こり、人々は動転も驚愕もしないまま生活をするというマジック・リアリズムへの第一歩。それにしても「鳥」の事件と言い、登場人物のレベッカ夫人といい、これは映画好きにはたまらない仕掛け。
造花のバラ ・・・ 盲目の祖母と暮らすミナ。造花のバラをつくる内職をしながら何ごとかをしているが、祖母はみんな分かっているのではないかと疑う。暑い昼下がりのけだるい会話。
ママ・グランデの葬儀 ・・・ マコンドを100年も支配してきた女族長(メイトリアート)ママ・グランデが死去する。遺言の執行、葬儀の準備、放置され腐敗する死体、カーニバルのような葬儀、突然の権力の喪失にうろたえる支配者、などが誇張された修辞、大量の名刺の羅列で語られる。作家によると当時のコロンビアの新聞の文体のパロディだというが、自分にはバロック期の文体を思い出させた。ラブレー「ガルガンチュワとパンタグリュエル」の物語がこんな感じだったよなあ。正確に記載しようとする細部への執着、単語が果てしなく並ぶことによる幻惑、身体の過剰や欠損や異常にフォーカスした人物描写。近代文学の仮構とした内面なんかいっさいない。そこのすがすがしさと裏腹に、独裁制の恐ろしさや愚かしさが浮かび上がる。
この作家は若い時から大家の風格と技術をもっていたのだなあ、と感嘆することになった。
そういう驚きもあるし、このあとの「百年の孤独」「予告された殺人の記録」などから振り返ると、まだ若書きでテーマや主題は生硬だし、マコンドの想像力の萌芽であって、現在と過去と未来を折りたたんで圧縮したような文体はまだまだ現れていない。そういう点では物足りないけど、そのあとを知りたくなるという期待を読者は持つことになる。そう思わせるだけでも、すごいのだ。
あとなかなか良い文献はないと思うけど、コロンビアや周辺諸国の1800年から現在に至る歴史はおおざっぱに把握しておいたほうがよい。ヨーロッパとアメリカの資本や思惑に翻弄されて、反映と貧困、革命と独裁、コスモポリタニズムとナショナリズム、移民と先住民、都市と自然、などが交錯し、反発しあう場所はこの島国ではなかなかわからないので。
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