1966年秋にサルトルはボーヴォワールと一緒に来日し、講演や対話を行った。公的な発言はすべて収録され雑誌に掲載されたり本になったという。そのひとつの「知識人の擁護」と名付けられた本書は、3つの講演を収録。
サルトル/ボーヴォワール「サルトルとの対話」(人文書院)によると、もともとは核兵器に関する講演もする予定だったが、日本で知識人論が盛んであるのを知ったので、急遽「知識人」論3つに切り替えたとのこと。核兵器に関する議論は、べ平連の集会などで発表したという。
ボーヴォワールの講演は「女性と知的創造」にまとめられたというが、これは未入手で未読。この3冊でサルトルとボーヴォワールの1966年来日時の公式発言はすべて読めるという。
知識人の位置 1966.9.20 ・・・ 戦後知識人批判が行われた(ここでは知識人と科学者は区別されている。理由はよくわからない)。批判の要点はいろいろあるが「自分と関係のないことに差出口をする」というのを取り上げる。西洋の知識人の歴史を見ると、まずは修道院の僧職として誕生。支配階級のイデオロギーを代弁するもので、成員を内部で育成する閉鎖的な集団だった。それが啓蒙時代に「知識人」(哲学者と自称)となる。自分で恒産をもっていて、支配階級とは対立したが、当時勃興したブルジョワジーの思惑と一致していて、王政廃止後に支配階級に取り込まれていく。19世紀から支配階級は「知識人」のパトロンとなり、知識人を育成するようになる。知識人が職業化して、設備や給与を出すパトロンに対抗することが困難になり、労働者階級からは疎外され、階級的に孤立する。しかし、科学的思想として現在や体制を否定するのは当たり前のことであり、職業的良心や実践的知識の活用から「知識人」は異議申し立てをする。いや、しなければならない(人間存在の開示としての「投企」として)。
(ここでの知識人の歴史は廣重徹「科学の社会史 上・下」(岩波現代文庫)で概説した「科学の体制化」に対応する。知識人も近代国民国家には有用な存在。法律家・高級官僚などとして。そこで金をかけて体制が育成する。その仕組みが働くにつれて、設備と給与を握られた知識人は、啓蒙時代の「哲学者」のような社会や体制を批判する行動ができなくなっていく、というわけだ。サルトルはそれでも知識人は社会や体制に批判的であると考える。職業的良心や実践的知識がそう行動させるというわけだ。ここは論理的にみちびかれるのではなく、「にもかかわらず」批判的であろうと選択する、人間的な話だと思う。)
知識人の役割 1966.9.22 ・・・ サルトルがいうには、知識人は支配階級の設備や給与で生活していて、教育で支配階級のイデオロギーにとらわれているけど、「実践的知識」「普遍性の獲得」という仕事を通じて、仕事の矛盾を感じるもの。だからどっちもどっち論も過激な相対主義も取らない。でもって、支配階級のイデオロギーに批判的になり、その表れである人種的偏見・特定の集団殺人(ジェノサイド)・人種差別行為などを正当化する詭弁を絶えず告発するのだと。で我々の時代のあらゆる葛藤に参加して、真理の徹底主義を実現しますよ。サルトルが言うには、知識人は「ある」のではなくて、「なる」のである。でも誰かに委任されているわけではないし、他人を解放しないと自己を解放できないというやっかいな存在。なので、知識人になるには自己批判と実践に具体的な関与の二つが必要。そういう報われない存在だけど「恵まれない階級」の人は知識人とそうでない支配階級をきちんとみぬきますよ。というわけで、サルトル「知識人の役割」をプロテスター、レイシストカウンターの勧めとして読みました。
(サルトルは、知識人は「恵まれない階級」に尽くせ、啓蒙しろ、権利を代弁しろなどといい、知識人と大衆の区別を気にしているが、1960年代フランスでは妥当かもしれないが、21世紀には無用なことなので、全部無視してよい。そんな階級的区別は無駄で不要なイデオロギー。)
作家は知識人か 1966.9.27 ・・・ 作家は「いうべきことを持っている人」であって、でもいうべきことを持っていなくて……。フランスのさまざまな作家の名前を作品名と文体論が出てきて、全体として散漫で、なにを言いたのかよくわからない。
(前の講義にあるように、知識人は「ある」のではなくて、「なる」ものだとすれば、作家もまた知識人になるものもいれば、そうでない人もいる。別に作品だけが社会参加や実践への具体的参与であるわけではなく、小説を書いた後に、小説のことを忘れて(ないし無関係に)デモしたり街宣したりできる。そんなこと(作家は知識人かという問い)に悩むより、デモや集会の頭数になったり、プラカやコールを考えたり、お手伝いになればいい。作家は特権的な職業であるわけではない、他の幾多の職業と差はないので、このような問いを立てることが、参加や参与の壁をたかくしているのじゃない。ぐずぐずいわんと、「現場@小田実」にいけや。ってサルトルはちゃんと路上に出て実践に具体的な関与をした人。)
1966年には「知識人」という概念(職業でも階級でもないわな)は意味を持ち、人々を社会変革の現場に誘い出す力を持っていたのだろう。そのような問題意識は、小田実や大江健三郎にもあって、1960年代に「知識人」論を書いていたのだった(解説などを見ると、「知識人」論は当時のこの国の文壇で流行したらしい)。
でそれから50年。知識人という概念は有効であるとは言えない。中産、プチブルというような資産もちの階級であって「いうべきことを持」っていて、言葉を紡ぐことで糊口をしのげ、支配階級に批判的であるという人はまずいない。それに彼を支える「恵まれない階級」もまた、少なくともこの国では姿を消している(階級ではなくて貧困層がいるだけ)。多くの市民や大衆も「知識人」に社会批判や運動主導の機能を期待していない。なので、上の図式で説明できる階級や職業は存在しない。(サルトルがいた時代のフランスの社会の仕組みがこの国の明治以後のシステムと異なっているので、サルトルの議論をそのまま使用することができない。フランスだと高等教育を受けて社会のエリートになるのは極めて少数でたくさんの制限がある。一方、この国では建前では身分や職業や資産で制限されているわけではない。そのかわり、「知識人」層の所得や資産は乏しく、国家の補助が不可欠になる。)
というわけで、この知識人論は21世紀にはひどく退屈。しかし、中産階級で、支配階級の育成システムに乗ってなどの知識人の立場を無視すれば、社会批判、政権批判する人を社会参加に導くための理論には使えるかもしれない。それが「知識人の役割」のサマリーに書いたこと。21世紀の10年代に「プロテスター」「レイシストカウンター」とでも呼ばれる一群(いや群れていないけど)の人々の意識はサルトルの議論で説明できるかもしれない。ま、「プロテスター」「レイシストカウンター」であると自己規定した人は、だいたいサルトルの言っているのと同じような議論をしていて、似たような立場を表明しているのだ。
この本は極めて古い。「知識人」論として読む意味はまずない。しかし、可能性は「支配階級のイデオロギーに批判的になり、その表れである人種的偏見・特定の集団殺人(ジェノサイド)・人種差別行為などを正当化する詭弁を絶えず告発する」個人に「なる」ところにある。読むところはそこだけ。