ゲオルギアーデス(1907〜1977)はギリシャ出身のドイツ音楽学者。本にもネットにも情報がほとんどない。 テオドール・アドルノ「ベートーヴェン 音楽の哲学」(作品社)にゲオルギアーデスの名前が出ていたので、高名な学者であったらしい。
この本で、音楽と言葉の関係を歴史的記述する。取り上げるのはミサ曲。ひとつの歌詞に作られた作品数の多さでは世界最大になるだろう。作曲期間は1500年を超える。その代り、宮廷音楽や民衆の音楽など教会の外で奏でられた音楽は一切切り捨てる。教会音楽にフォーカスした西洋音楽史の試み。
1 序論 ・・・ 18世紀まで音楽は常に「コンテンポラリー」なものであったが、1830年代ころから「クラシカル」の概念が生まれ、過去の音楽も聞くようになり、「音楽史」が構想されるようになった。この小論では、同一の歌詞に音楽がつけられたミサ曲に注目することで音楽と言語の関係を考察する。著者にとって「音楽は普遍的精神性のごときものに従属する」とのこと。
2 古代およびカロリング朝以前の時代 ・・・ 古代ギリシャ語の韻文ではことばが固定された音や長短リズムを持っていた。なので音楽と言語は一体化したムジケーであった。2世紀ころのギリシャ語韻文にはその力はなく、ラテン語も同様。なので、教会儀式で同じ詩句を読むときに、言葉をどうやって音楽かするかが問題になった。
3 カロリング朝時代 ・・・ ヨーロッパの音楽の源流として1)キリスト教(肥沃三角地帯からの流れか?)、2)ローマ・ビザンツの伝統、3)北方ゲルマンがあるとする。カロリング朝はフランク王国時代の中世初期。多声音楽としてのオルガヌム。たぶんイタリア北部、フランス南部の修道院で起きていた改革運動。
4 中世盛期 ・・・ 11〜13世紀。「作曲」する行為が発生。人間を表現する課題に多声音楽が立ち向かうようになる。
5 十四世紀と十五世紀 ・・・ 儀式としてのミサが定式化することで、ミサ曲も音楽的統一を求められ、儀式とは独立した芸術であるという認識になる。作曲者の固有名が現れる(マショー、ダンスタブル、オケゲム、ジョスカン・デプレなど)。
6 パレストリーナ ・・・ 中世以来の音楽と言語の研究はパレストリーナ(とラッスス)で完成。
「精神が音楽的素材を完全に支配し、個々の音をしっかりと捉えた。音楽は言語を映す鏡となり、言語を語る存在をしての人間を実現する能力を得た(略)。パレストリーナとともに音楽史上の新しい時期、すなわち人間の表現としての音楽という時期が始まった(P96)」。
音楽の完全なる言語化が彼によってアカペラ(無伴奏合唱)という形式で達成された。
7 モンテヴェルディ ・・・ 反宗教改革で生まれたミサ曲(モンテヴェルディの新規性をミサ曲に見出すのには失敗した模様)。
8 ドイツ語と音楽 ・・・ ドイツ語がいかに音楽的か、いかに音楽に寄与したか。ドイツ語ミサの創始者ルターを賛美。(極東の読者は、ああ、そうですかというしかないな。)
9 シュッツ ・・・ 宗教改革で生まれたミサ曲。「テキスト、楽譜、アクセント、ふしまわし、歌い方が正しい母国語と正しい声から生じる」べきというルターの要求を満たした唯一の作曲家。モンテヴェルディの革新はドイツ語との融合を通じて音楽の革新(ウィーン古典派、ベートーヴェン)を可能にした。(なんで議論の方向を自国賛美にもっていくのかなあ。)
10 器楽とJ・S・バッハ ・・・ 「バッハ以降、言語は音楽の目標ではなくて手段にすぎなくなり、自己自身以外のなにものかを指示する単なる指標にすぎなくなる(P142)」。バッハが器楽家であり、ミサ曲に器楽パートを入れて可能性を広げた。同時に音楽の言語化と言語の音楽化を完成させた。一方、教会の典礼は16世紀で変化をやめたが、音楽は変化を続け、典礼の外に押し出された/押し出していった。キリスト教的精神性が普遍的精神性に変わり、(典礼)音楽の世俗化が始まる。器楽の楽しみと典礼音楽の厳粛さを融合する音楽が開拓され、そこに精神性の深化を見出せる。(このあたりの記述はヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」にそっくり。)
11 ウィーン古典派 ・・・ ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのミサ曲。ここに至ると典礼とは関係なく作曲され、むしろコンサートで聞くものになる。人間の表現に力が入るようになり、宗教の精神性と乖離してくる。(面白い指摘は、6世紀にローマの信徒たちは教会から出発して市中を「キリエ・エレイソン」の句を唱えながら歩いて、大教会に向かったとのこと。ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」のアニュス・デイで砲声が聞こえ、市中への行進が起きているような描写を連想する。)
参考エントリー:
テオドール・アドルノ「楽興の時」(白水社)-2
2にある、古代ギリシャ語の韻文が音楽と言語の融合(=ムジケー)であった。その後、言葉の変化がこの結びつきを失い、それぞれの言語で再構築する音楽の運動が西暦になってからの(西洋)音楽の歴史である。というのが、この音楽学者の歴史認識であるらしい。講義をもとにしたこの記述では、古代ギリシャの韻文におけるムジケーが解体した経緯や理由は書かれない。となると、著者の構想する歴史がどうも仮構に見えてしまう。そのあとでも、ドイツ語の他の言語に対する音楽的な優位性が唐突にでてくるのも、納得いかない(モーツァルトの時代ではイタリア語こそ音楽的言語という認識だったと思う)。
17世紀以降、音楽と言語の融合を目指す音楽運動がドイツで行われたというのは実際その通り。でもそれを言語の優位性や音楽的精神性で説明するのはどうかしら。イギリスやフランスはいち早く聖俗分離が進み、経済発展があって音楽のパトロンが教会から宮廷に移ったのだし、イタリアは地中海貿易が低落して商業資本が没落したので音楽家は周辺のヨーロッパに出稼ぎや移民したのだし。ロシア正教の膨大な教会音楽とその豊饒さを無視してよいものかしら。ギリシャとドイツに過去の栄光を見るというのは、偏狭な歴史観ではないかしら。著者のナショナリズムの発露ではないことを期待したい。
音楽と言語との統一ということであれば、非西洋音楽では言語のない音楽はまず考えられないわけで(中国でもインドでもイスラムでも)、西洋の中でも民衆音楽・世俗音楽でも歌はつきものだし。むしろ音楽と言語が乖離しているというのは、西洋の中の教会音楽でしか起きなかったのではないか(20世紀にはオペラの翻訳上演で、原語とメロディが合わなくておかしいという議論があった。とくにこの国で顕著。結局、翻訳上演は1980年代でほぼ終了。現在は字幕付きで原語上演するようになり、この議論は消えたようだ)。
古代ギリシャ語韻文の音楽性、ドイツ語が持つ音楽的精神性という議論から、自分は昔読んだハイデガー「形而上学入門」を思い出す。この本の議論の仕方や歴史認識がハイデガーの議論にとても良く似ているのだ。なので、ここまでの議論はあまり面白くない(記述の大半が和声なので、自分にはちんぷんかんぷんなのもある)。訳者あとがきによると、ゲオルギアーデスはハイデガーと個人的な親交があったとのこと。やっぱり。
(前回読んだときには、ほとんどのミサ曲を聞いたことがなかったので、本書にずいぶん感激したのだが、四半世紀の間にグレゴリオ聖歌から中世・ルネサンスのミサ曲、バッハのカンタータやヘンデルのオラトリオを聞くようにしてきたので、上のような感想になった。)
2017/04/17 T・G・ゲオルギアーデス「音楽と言語」(講談社学術文庫)-2 1954年に続く。