odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」(創元推理文庫)

 大量生産・大量消費、メディア革命、家庭電化推進、モータリゼーション革命など現代化が進んでいる1920年代のニューヨーク。そこに前世紀からの古めかしい館がある。20年前に死んだ当主の遺言で、遺族は25年間その館に住まないと莫大な遺産の相続権を放棄したものとみなされる。未亡人は10年来の寝たきりで、介護は姉と末の妹に任されている。ほかのすでに働く必要のない若者たちは退屈し、角突き合わせ、互いを無視している。腐った雰囲気がよどみ濁り切ったとき、館で連続殺人事件が起こる。深夜、拳銃を忍ばせ毒薬を持った殺人犯が暗躍し、寝たきり老人が徘徊し、開かずの間である書斎で夜な夜な蝋燭の火で書物を読む者がいる。家族は次々と殺されるが、犯人は容として知れず、稀代の名探偵にも焦燥がつのる。

 1928年発表の大作。退屈な箇所はほとんどなく、ページをめくる手はとまらない。たぶんベストセラーになって当時の読者を熱狂させたのみならず、後続の作家に模倣・引用されるなど多大な影響を及ぼした。なので、これがオリジナルなのにもかかわらず、どこか懐かしい(まあ一族が次々と殺されるというのはフィルポッツ「赤毛のレドメイン家」など先行作があるが)。実際に、小栗虫太郎黒死館殺人事件」1934年はストーリー、舞台の転換、人物の出入りなど「グリーン家殺人事件」をほぼ忠実になぞっている。
 前の「カナリア殺人事件」がつまらなかったのに、次の作でこれほど変貌できたというのはすごいと思った。四半世紀ぶりの再読で、これが稀代の傑作であることを再確認した。
 その面白さはいくつかの伝統の継承と改革にある。箇条書きにすると、
・上記のような現代化の進むニューヨークで「幽霊屋敷」の怪奇小説を物語ること。昼間は明晰な理性の時間であるが、深夜になると奇怪なもの、幽霊みたいなものが徘徊する。すでに家庭の電化は進んで、ここには電灯も電話もエレベーターもあるのに、前世紀の遺物のような幽霊がいるという不思議。
・19世紀の幽霊屋敷が、住民の無意識やヒステリーの象徴であったように、このグリーン家でも家族の抑圧やうっぷんがたまって怪奇現象を起こしている。その中心にあるのが、故トラビアス老人の開かずの書斎。ここに収蔵された犯罪学、猟奇犯罪、精神医学の莫大な蔵書が家族の怨念や抑圧を蓄積していた。ここを開放することで犯罪が起こる。収蔵された書物を読むことで過去と現在の謎が解かれる。
・莫大な蔵書の中にあるなかで、中心にあるのはグロッスの「予審判事便覧」。過去の犯罪事件の浩瀚な資料集。この本が「グリーン家殺人事件」を引き起こした。書物が人を狂わし、人を犯罪に導いたという例になる(たとえば、クイーンの代表作だし、笠井潔「梟の巨なる黄昏」(講談社文庫))。
・謎は現在起きている連続殺人や窃盗などの犯罪だけではない。死んだもの(多くは家の権力者)が秘匿していた情報や隠された家族関係などにもある。これらの過去の秘密や因縁が現在の家族を疑心暗鬼にし、不安を増長する原因になっている。過去の秘密や因縁が暴かれることで、現在の成員は桎梏や不安から解放され、抑圧のない生活を送ることができる。ここでも事件が終えた後に、グリーン家に囚われていた人たちは解放され、新しい人生を送ることができる。抑圧や桎梏を象徴していた館は壊され、更地になるのがそのメタファー。ただ、1928年のアメリカバブルの時代に、グリーン家から解放された人は、ヴァンスを含めてみな欧州に渡ってしまった。翌年の大恐慌、さらに10年後の大戦開始を思うと、彼らの選択に暗涙を隠せない。
・これ以前の作家の探偵小説では登場人物はリアルであって、容易に内面を見せない複雑さをもっていた。「グリーン家」になって、人物はキャラクターになり、わかりやすい記号になった。主要な人物を取り上げると
グリーン夫人: 10年来の寝たきり。小言をふりまき他人に攻撃的な口うるさい老婆。第4の被害者。
ジュリア: 夫人の介護で消耗。最初の被害者
チェスター: 気が弱く女好きで頼りにならない能無し。第2の被害者
シベラ: あばずれで皮肉屋、派手好きな女性。
レックス: 知的だが社会適応力のない引きこもり青年。第3の被害者。
アダ: 献身的で神経質な美貌の女性。経歴不明の養女。銃殺されかけたり、毒殺されかけたり。
スプルート老人: 複数の外国語を操る執事。邸内で最も知的。
フォン・ブロン医師: 女好きで粗忽物。
アンハイム料理人: なぜ雇用されたかわからない口下手な独身老女。前の大戦で大陸に渡ってきたドイツ系難民。
 読みなれた人にはプロフィールを読んだだけで犯人が分かりそうだな(笑)。作家が作ったキャラクターは、その後の通俗探偵小説のテンプレートになった。くわえて探偵・検事・警部・記述者でカルテットをつくるのも。彼ら類型的なキャラクターが誇張され戯画化された行動をとっていく。読者にはきわめてわかりやすい。作者は説明の手間が省ける。
・物語のスピードが速くなった。前作「ベンスン」「カナリア」では事件―捜査―まとめに300ページを費やしたのを、ここでは70-100ページに圧縮する。それではすぐに終わってしまうので、事件を次から次に起こさせ、もう一度事件―捜査―まとめを繰り返す。書き手の側がストーリーに工夫を凝らさなくても、読者の興味を引くことができるのだ(そのうえ、ラストシーンにはカーチェイスでスリルを加える)。これも後続作家に模倣された技術。
 あと、ここでもファイル・ヴァンスの探偵法が美学的探偵法(@カナリア殺人事件)であることが詳述されている(23章)。

 なんと、1974年にイタリアでテレビ映画がつくられていた。2時間もの(107分)。
Philo Vance - La Fine Dei Greene
www.youtube.com

 製作されたのは「ベンスン」「カナリア」「グリーン家」の三作品。