odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

高崎宗司「植民地朝鮮の日本人」(岩波新書)

 1876年の日朝修好条規締結から1948年の引き上げ完了までの、在朝日本人の軌跡をまとめる。統計資料や政治文書も使用するが、生身の人間のふるまいを描くために、多くの人の回想録を使用する。できごとや政策を知るには物足りなき術だが、日本人がどのように朝鮮をみてふるまったかが明らかになる。

はじめに ・・・ 日本の朝鮮統治政策は「草の根の侵略」「草の根の植民地支配」であり、民間人が深く関与した。在朝日本人史をまとめ、二度と繰り返さないための担保を獲得したい。

(1) 釜山に上陸した日本人1876-84 ・・・ 1876年日朝修好条規締結。開港、公使派遣。日本人が移住し、貿易と高利貸しを主な生業に。暴利と粗暴な取引で嫌われる。何度か反乱や襲撃事件が起こる。関係した著名人に渋沢栄一、大倉喜一郎など。仁川に日本租界ができる(なるほど日露戦争で宣戦布告と同時に仁川に海軍軍艦が派遣されたが、その理由がこれだったわけね。

(2) 高まる植民熱1884-94 ・・・ 1884年の甲申事変で居留民は減少したが、すぐに上昇に転じる。当時の朝鮮の輸出品は米。日本の買付業者とトラブル発生し、日本に有利な解決にする。清商との競争が生じ、次第に日本は朝鮮を植民地にしようともくろむ。1894年の朝鮮王宮のクーデターで暗躍したのは日本人。九州右翼も朝鮮の利権擁護に暗躍している。

(3) 戦争への協力と移民の奨励1894-1905 ・・・ 日本国内の生産性が上がらず、漁業資源の減少などで、過剰人口の行先が国内にないので、朝鮮への移民ブームが起きた。朝鮮に移住した日本人はまっとうな仕事をしたものもいるが、高利貸し、土地買占め、贋金つくり、詐欺、強奪など犯罪行為が行われ、日本人官吏は黙認し、朝鮮の抗議を無視した。1894年に日本円銀を朝鮮の法貨にし、1905年に郵便を日本に委託させた。1895年には閔妃(明成皇后)暗殺事件が起こり、首謀者は日本人であった。

(4) 激増する在朝日本人1905-10 ・・・ 日露戦争後、1905年、1907年と日韓協約を強要。永住の意志に乏しい日本人移民が急増し、日本文化(日本人会、日本風地名、日本人小学校など)を押し付ける。農民であるより地主になり、朝鮮人への横暴が増える。古墳の盗掘と古美術品の密売も増える。1907年に韓国軍が解体され、「暴徒」や「義挙」も増える。

(5) 植民地支配の先頭に立つ居留民1910-19 ・・・ 1910年8月、日韓併合。韓国を朝鮮と呼び、自治機能停止。独立運動を弾圧し、憲兵政治を強化し、言論の自由がなく、日本語を国語にし日本語教育を強制。民族差別と(日本人内の)階級差別が強まる。日本人は朝鮮と朝鮮人を食い物にするために移住し、収奪のためにインフラを整備した(植林を含む)。

(6) 「文化政治」の中で1919-31 ・・・ 1919年3月1日に大規模な独立運動(三一運動)が起こる。政府は警官増員で暴力的に対抗。移住民も自警団などを組織。日本人に資産や職を奪われた朝鮮人が日本や満州に移住するようになる。日本国内の不況のために朝鮮に移住する日本人も増える。大正デモクラシーの時代であるが、朝鮮問題を取り上げる日本人はほとんどいない。

(7) 「内鮮一体」の現実1931-45 ・・・ 1931年9月18日柳条湖事件。ここから朝鮮の戦時動員が強化される。三一運動の流れで、中朝国境付近で独立運動レジスタンスが起こる。日本政府は警官増員で対応。1939年から強制連行が始まる。朝鮮人が兵隊、労働力、慰安婦、挺身隊員などに強制的に動員。戦局悪化とともに公共サービスはほぼ停止。内地以上に動員が強化される。一部の日本人には朝鮮人の人権保護に動くものもいた。

(8) 敗戦と引揚1945-48 ・・・ 敗戦時、北朝鮮に27万人、南朝鮮に50万人、満州からの難民12万人の日本人がいたとされる。数年でほぼ日本に帰還する。

おわりに ・・・ 戦前朝鮮に滞在経験のある日本人が敗戦後に持つ感情パターンは、1.正当化、2.郷愁、3.自己批判に分けられる。


 たとえば成田空港建設に伴う強制代執行で、機動隊や警官は農民や支援者に暴力をふるい、資産を破壊し、賠償や保障をしなかった。それに強い憤りをもったのだが、国家組織だからそうしたのではなく、戦前の韓国・朝鮮で在朝日本人が韓国・朝鮮人に日常的に行ったことだった。高利貸しになった日本人が利子も払えなくなった朝鮮人の家族に、これと全く同じことをやっていた記述が本書にある。どこから日本人の差別の意識が生じたのかはよくわからないのだが、本書の記述のスタート地点になる1876年にはすでにこの卑しい感情は一般的になっていたと思われる。
 この歴史を振り返ると、日本人が植民地統治下にした韓国・朝鮮で行った様々な行為は正当化することはもちろん、郷愁したり、彼の国は親日であると勝手に思い込むこともダメなことがわかる。自分の行為ではないのに、その種の言説を聞いて何度も恥の感覚を持ったものだ。ともあれ、この植民地統治下の日本人は韓国・朝鮮を理解する努力をほぼ放棄していて(大正デモクラシーの主要論者ですら、植民地化を支持していたくらい)、自分を持ち上げるための特権のうえに居座っていたわけだ。敗戦直後に日本の権力が空白になり、貧困化したときだけ、差別されていた者のことを慮るというのは鈍感に過ぎる。敗戦後、この国はしばらく鎖国状態になり、分断された韓国にも渡航するのが困難な時期がながかったので、戦前の偏見や差別は未だに温存されている。
 ということで、この国の民族差別を撤廃する運動は重要なのです。