odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

開高健「白いページ II」(角川文庫) 大変な読書家で物知りであり、世界の隅々まで出かけて見聞が広いのであるけど、ここが大事であるという核になるものは空虚な感じ。

 1973-1975年に雑誌に連載されたエッセイ。1975年に単行本化。ほかの未収録文を集めた「白いページ III」があるそうだが、これは未入手。

遠望する ・・・ ミュンヘンオリンピック(1972年)のイスラエル選手団へのテロ事件。その後の推移をピタリと予測。ベトナム戦争取材時の勘がもどった。

解禁する ・・・ スウェーデンでポルノの表現規制を撤廃したら、一瞬過激になったがすぐに「文学的」な表現に落ち着いた。革命なき革命とはこういうこと。(註:日本でも21世紀のゼロ年代のAV表現は過激になったが、10年代になって沈静化した。これは表現者の自制ではなく、刑事事件を起こしたり外部の批判があったため。スウェーデンとは異なる。ただの自粛や。)

無駄をする ・・・ 使い捨ての割箸で、日本人はいったい毎日どのくらいの森林資源を浪費しているのか。

読む ・・・ 1973年、ベトナムサイゴン。グリーンの「おとなしいアメリカ人」を読み直し、いかに似せないで「輝ける闇」「夏の闇」を書くかに悩む。

続・読む ・・・ 長年読書を続けてきたことの述懐。

「昔、熱狂したり、衝撃をうけたり、頭があがらないほどの感動を浴びせられたりした本を数年後、十数年後、数十年後に読みかえしてみるのはいい鍛錬になる。たいていのそういう本は一変していて、なぜこれにあんなに感動したのか、なかにはまさぐりようもないと感ずるまでに変っているのもある。ただ読みすすむうちに当時の自身がありありとよみがえる懐しさがあり、それが擬態の情熱をにじませてくれるが、郷愁はやっぱり郷愁であって、発見ではないのである(P51)」

「よく読後に重い感動がのこったと評されている″傑作″があるが、これは警戒したほうがいい。ほんとの傑作なら作品内部であらゆることが苦闘のうちに消化されていて読後には昇華しかのこされないはずで、しばしばそれは爽やかな風に頬を撫でられるような《無》に似た歓びである(P52)」

などは身に沁みる。

試めす ・・・ サイゴンのグルメ。路上の屋台のワンタン。蟹、鼠など。ニョクマムはようやく21世紀には知られるようになったが、当時はまずいない。入手できない。危なくて行けない。

続・試めす ・・・ サイゴンで釣りをする。戦場で釣竿を持ち歩いて、歓待を受けたこと。

続々・試めす ・・・ ベトナム戦争当時のアメリカ軍サバイバルセットにある釣用具について。その周到さ、綿密さ。

伝授される ・・・ 井伏鱒二翁に、鮎釣りの秘伝を伝授される。5メートルの巻物を用意して、毛筆で書いてもらう。

枯渇する ・・・ オイルショック後の資源不足で、紙が不足している。小説家らしい空想的な解決策を考案。

火をつける ・・・ オイル・ライターについて。安岡章太郎ダンヒルのコレクションを競い合う。

思いだす ・・・ 昭和20年、大阪の飢えの記憶。飢えが高じる寒い震えと熱い震え。栄養失調による失神。(これを読むと、都市の方が飢餓の影響が大きかったようだ。江戸時代でも飢饉で死者が出るのは都市部だったとどこかで読んだ)

続・思いだす ・・・ パリでグルメをして、敗戦後の闇市を空腹で歩いた記憶、アメリカのCレーションを食べた記憶をよみがえらす。

励む ・・・ 小説を書くための缶詰の最中。読書と映画は孤独を紛らわすための孤独。久しぶりに人に会ったときの狂騒に後で恥じ入る。

釣る ・・・ 釣への偏執。(「フィッシュ・オン」「オーパ」などは現場のルポ。こちらは書斎であれこれする推理。)

罵る ・・・ 戦時中の増産で日本酒にアルコール添加してよいことになってから、味が落ちた。メーカー(こんな言葉を使うな)も味が変わったといわれるのが怖いといって、甘口のブドウ糖を加えた酒をあいかわらず造っている。ダメだ。(というのは1970年代の話。とことんまで落ちた1980年代後半になってちゃんとした酒をつくるようになった・・・という話をどこかで聞いたし、感想を書いたなあ)。

探究する ・・・ 酒田に釣りに行き、庄内竿の衰勢と餌の菅虫類に思いをはせる。

遂げる ・・・ 八丈島からさらに25時間船で南下して、「ソウフ」岩でカツオを釣る。「探求する」と「遂げる」は「私の釣魚大全」にも収録。

判定する ・・・ 新聞、マンガ、ラーメン、テレビ番組など日本の精神資源の枯渇を憂う。酒の良し悪しを知るには、安酒をたくさん飲んで、ときに上物をたしなむことが肝要。

もどる ・・・ 寿屋宣伝部、「洋酒天国」編集の思い出。酒と一緒の。この時代を書いたのはめずらしい。

申上げる ・・・ 

「″野郎″たちは痛い思い、辛き目に会わされるまでは自分で自分を抑制・克服すること、克己ということの剛健・爽快な修業を悦楽と感ずることはあるまいから、″合法的暴力″でゴッンとやるしかないと思う。甘い思いをするために辛い思いをさせる。優雅と豊鶴を守るために峻烈、苛酷なまでの強制を施く。(P208-209)」

ここではやらずぶったくりの釣師への嘲罵。

証言する ・・・ 「四畳半襖の下張」裁判で証言した記録。


 釣道具、オイルライターなどのものへの偏愛はのちに開高健「生物としての静物」(集英社文庫)にまとめられているので、ご覧あれ。「洋酒天国」は一部が新潮文庫で復刻されているので、これもご覧あれ。いずれも四半世紀前の初出なので入手難だろうとは思うが。
 さて、このエッセイ集、昭和の時代、自分の20代の時に読んでずいぶん感心した。「大人の遊び」の優雅と辛辣さであったり、観察の鋭さだったり、ものへの偏愛であったり、ルーティンの日常からかけ離れた作家の生活であったり、ページごとに目を開かされたと思う。
 それから四半世紀以上たっての再読では、そのような閃光や痛みを見出せなかった。戦前から活躍する大御所作家が存命中の1970年代に40代の戦中派が率直な物言いをしたことに、このエッセイの輝きがあると思うが、振り返ってみると主張は案外凡庸。とくに社会や企業へのものいいは歯に衣を着せている。日本酒メーカーを叱っても、洋酒メーカーには遠慮するとか。戦争の記述でも「どっちもどっち」とするところがあるし。大変な読書家で物知りであり、世界の隅々まで出かけて見聞が広いのであるけど、ここが大事であるという核になるものが空虚な感じ。なるほど昭和40-50年代の権力と反権力が拮抗して、いずれも暴力的・侮蔑的であったとき、どちらにも加担したくないという意思表明で「どっちもどっち」というのは有効な立場であったのだろう。でもそれは21世紀には怠惰な姿勢になる。そこに自分は物足りなさを感じた。

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