odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「ブロディーの報告書」(白水社)

 1970年。作者70歳。登場人物はブエノスアイレスのならず者か、草原地帯のガウチョたち。1900年から1930年ころまでのマッチョな連中の物語なので、とりあえずBGMは、Carlos Gardelの歌とAstor Piazzollaの「El Tango」にしてみた。初期タンゴのスターである前者とタンゴの改革者である後者の音楽ではどちらがボルヘスにあうのかしら。

  

「アルバムの前半は、ボルヘスの詩6編に作曲している。そのうち、長い、あるいは不定形の詩2編は、歌でなく語りのための音楽である。(略)ただしボルヘス自身は、この作品に大いに不満だった。彼がみずから認める「音痴」であるというほかに、現実に存在するすべてのタンゴが(昔のレコードでも)嫌いだったからだ(斎藤充正/西村秀人「ピアソラ タンゴの名盤を聴く」立風書房P92-93


じゃま者 ・・・ エドゥアルドとクリスチャンのネルソン。町中で拾った女と同居を開始。二人はそれぞれ女フリアナに恋する。兄弟同士の嫉妬と絆の奇妙な物語。

卑劣な男 ・・・ ブエノスアイレスの下町に住むロシア系の少年。フェラスというならず者の青年に目をかけられ、兄のように慕う。フェラスが加わっている連中が工場に押し入る計画を立てていることを知った。「卑劣な」はいったい誰のことかしら。

ロセンド・ファレスの物語 ・・・ 若いころに決闘になって相手を殺した男。党(1930年代というからファシスト党なのだろう。アルゼンチンにあったかどうかは知らないが)の用心棒になる。荒っぽい数年間のあと、酒場で飲んでいるときに自分と同じ顔をした男に決闘を申し込まれる。

めぐり合い ・・・ 田舎の邸宅に集まった10人ほどの若者。ポーカーがこじれて決闘することになった。獲物は邸宅の主人が収集したナイフ。一人が死に、もう一人は姿を消した。数年後、その話をしたとき、ナイフの由来を聞くことになる。物に怨霊が取りついたのか、物自身が怨霊になったのか。恐怖小説。

ファン・ムラーニャ ・・・ アパートを追い立てられそうになっている老いた母と私。いっしょに住む気のふれた伯母はファン。ムラーニャが助けてくれると繰り返す。追い立ての直前、大家に話に行くと、めった刺しで殺されていた。あとで伯母はファンの持ち物だったナイフを見せる。探偵小説的展開で、物に取りついた妄執の恐ろしさを語る。

老夫人 ・・・ 独立戦争の英雄だが教科書にはいっさいでないある大佐の娘。すでに100歳を迎えていて、忘却と幸福のうちに暮らしていた。独立記念日の日、大統領がその家に行くといって、大騒ぎが起きる。老夫人はひとこともしゃべらず、にこにこしていた。時、年齢、歴史などに思いをはせることになる不思議な味わい。老夫人はボルヘスの大叔母だそうな。

争い ・・・ 幼馴染のクララとピッサロが画家になり、画風をちがえてライバル心を燃やす話。普通はどちらが勝ったかで決着がつくのに、ここでは双方が老年に至るまでを記述。「争い」というタイトルの皮肉なこと。

別の争い ・・・ 1871年の内戦。畑の隣り合った二人が強いいさかいと敵愾心をもっていた。そのまま兵隊にとられ、戦友となるが、口をきいたことがない。その年、二人の軍は負け、彼らの確執を知っている将軍によって、処刑の賭け、違うな、賭けの処刑、あれ?が行われる。最後の戦い。ボルヘスの聞いた史実であるそうな。

グヤアキル ・・・ 1822年に「ペルーの父」と「解放者」は交わした書簡が発見された。その書簡を整理するために「私」が派遣されることになったが、亡命ドイツ人のツィマーマン博士が横やりを入れる。説得のために、「私」は博士を訪れる。会話だけだと何が起きたかわからないが、博士が買って栄誉を奪ってしまうのだ。たぶん書簡にも似たような会話が書かれているだろうと予感する。

マルコ福音書 ・・・ 村の大地主のインテリ息子。折からの大雨で、村人中を屋敷に迎え、洪水をやり過ごすことになる。もちろん村人は彼に心を開かない。そこで、マルコ福音書を読むと、村人(土俗の進行は持つがキリスト教は無知)が夢中になる。最後の一行の恐ろしさ。古典的な怪奇小説

ブロディーの報告書 ・・・ 19世紀初頭の本に挟まれていた手稿。そこには僻地にいった宣教師による「ヤフー族」の報告が書かれている。文をもたず、節もないという言語で、いつも隠れている王と常にみられている王妃による統治。現代版の「魏志倭人伝」か。あるいは未来のわれわれであるのか。スウィフトとの関係は不明。


 若い時に書かれた「迷宮」「円環的時間」「運命」「知の工匠」(解説のことばをそのまま転記、なんのことやらさっぱり)という仕掛けはない。シンプルな物語で、わかりやすい落ちがついているのもありがたい。なにしろ原稿用紙で30枚くらい。めりはりよく物語をかたり、平仄をあわせて、最後の20行足らずで急転直下のおちに。思索家、幻視者としてボルヘスではなく、ストーリーテラーとしてのボルヘスを楽しめる。一編読むのに10分程度で済むのだから、これは最初に読むボルヘス作品としてはぴったりじゃないかな。
 上のサマリーにも書いたように19世紀末から20世紀初頭にかけての、ブエノスアイレスと周辺の田舎が舞台。でてくるのは、ならず者にやくざに遊び人。血と暴力といらいらを体ににじませ、汗といっしょに女あさりをしている連中。信義が何より大切で、不名誉や侮辱には命をかけて復讐する。こういういきがりというか、男くささが作品中に充満している。このような連中はほかの作家(バルガス=リョサ、プイグ、ガルシア=マルケスら)も興味を持っていて、いろいろでてくる。20世紀初頭の好況は彼らのナショナルアイデンティティになるような魅力的な時代だったわけだ。ボルヘスだと、枚数のおかげで書きこみがあまりないぶん、人の造形が神秘的、神話的。隣にいそうな雰囲気はないが、物語によく登場する連中でその兄弟に思える。
 ときに、メリメの短編を思い出したりして(「エトルリアの壺」「マテオ・ファルコーネ」「コロンバ」など)。古いフランス南部の暴力的世界が今では神話的な装いになっているのとおなじように、ボルヘスのこの小説も懐かしさをもたらす。
 なので、ピアソラの音楽だと洗練されすぎて似合わないし、Carlos Gardelの甘いバリトンは血と暴力といらいらを覆い隠している。ボルヘスの作品にあう音楽はきっとの想像のなかにしかないのだろうな。