odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

筒井康隆「美藝公」(文春文庫)

 この世界にはなかったにもかかわらずなんとも懐かしい思いにさせられる社会が描写される。中心にあるのは映画会社。5つくらいの会社がそれぞれしのぎを削る。といっても粗悪品の量産ではなくて、芸術家が潤沢な資金と余裕のあるスケジュールで大作、小品、佳品をつくる。映画を制作する人、俳優から監督、脚本家、美術家、音楽家などはそれぞれ大変に尊敬されている。なかでも俳優は大きな人気を得ていて、特に優れた男優には「美藝公」の名称が与えられ、それに見合う名優をみつけて次に継がれていくのである。そのうえ、映画の企画に政治、経済などが歩調を合わせていくのだ。結果、国民は映画の制作に興味を持ち、関係者に憧れ模倣するのである。映画の関係者は芸術の制作に敬意を持ち、立ち居振る舞いは優雅で気品に満ちてエレガント(なのでタイトルは「優雅で感傷的な日本映画」とつけてもよい)。国民は良識を持つ人となり、自分の役柄を心得え、他人に不快感を与えないように自律するものとなるのである。なんとも懐かしい雰囲気を漂わせるユートピア。そして国民の意思を反映しながら、絶妙にコントロールする国家が描かれる。
 物語は前作「活動写真」の大成功をうけて、次作の「炭鉱」を制作するプロジェクトが描かれる。まあ、この社会では映画製作がすべてに優先されるので、人の軋轢は起きないし、リソース不足で滞ることはないし、ミッションやビジョンの曖昧さで混乱することはないし。主人公の脚本家「おれ=里井先生」も、首尾よく脚本を書き上げ、国民的ヒロインである町香代子との恋愛はサクサク進む(まあ国民の期待のために結婚はできないが)。映画も大成功。
 ただ、心に刺さっているのは「こんなに幸福でよいのか」という疑問。そこで、この社会が裏返しになったらと空想する。そのアイデアを気心のしれた連中にブレストで持ち出した。頭の良い関係者は、この社会から見たディストピアを語りだす。それはこの芸術社会、映画立国社会を裏返す経済立国、大衆消費社会、平等主義、不満社会となって表れ、気が滅入ることに読者のいる物理現実の社会そのものとなる。彼らが慄然としたときに、誰かが「おいおい、これは空想だよ、虚構だよ」といって、そうだったそうだったと上機嫌でわかれる。
 ここで語られる大衆社会批判にはまあ触れないでおこう。発表の1980年当時でいえば、ごくあたりまえで、読者の物理現実を批判する言説としてはありふれたものだったから(その前提にあるのは、持続的な経済成長があり、国民の多くが「中流階級」と思い込める程度に収入があったということ。21世紀になって格差が拡大すると、「大衆」が実態を持たなくなって幻想になり、書かれた大衆社会批判もまたユートピア的と思われるかもしれない。)
 むしろ、小説内の現実とされる「芸術社会」を見ておきたい。この郷愁を誘う国家(登場人物の名前が戦前の昭和の俳優めいたものであたり、映画のタイトルもその時代もものであったりするのがその理由のひとつ)では、映画製作にかかわるエリートが社会の中心にいる。大衆から芸術家の資質を持つ者、強烈な個性を発揮する者を選抜し教育するシステムはあっても、映画に進みたい若者がたくさんいるが、才能のないことを知れば家業を受け継ぐ。エリートコースに乗れなくとも、自分の役柄をわきまえ、出しゃばらない礼節をもった「国民」になる。映画にあわせて国家が石炭産業を進行すれば、映画に影響された若者が大量に求職する。なるほど、社会は優雅でエレガントでモラルの高い秩序だった社会だ。でも階層の変動はおこりそうにない静的な世界。
 なんともよさげに思えるが、自分が危惧するのは、こういう「芸術社会」は国家社会主義ファシズムやボルシェヴィズム)もまた目論んでいたこと。彼らは政治を芸術化したし、芸術を政治化したりした。小説内の社会では「美藝公」が哲学者のように礼節と中庸を心得ていて、全体主義化は避けられているようだが、さてそれは持続的なシステムであるだろうか。プラトンカンパネッラなどの哲人が統治するユートピアは、収容所と秘密警察のディストピアと表裏一体なのだ。
<参考エントリー> 芸術社会のバリエーション。
ウィリアム・モリス「ユートピアだより」(岩波文庫)
福永武彦「廃市・飛ぶ男」(新潮文庫)所収の「未来都市」
 という具合な方向に想像してしまったので、なかなかこの小説に入り込めなかったから。むしろ演技とシナリオに関する「おれ」の長い講義から「文学部唯野教授」を、映画関係者の優雅な会話から「フェミニズム殺人事件」を、記念パーティから「朝のガスパール」をとのちの作品、あるいはこれ以前に書かれた芸能人だけの国会を描いた短編とかマスコミやテレビ局や宗教団体を風刺する短編などあれこれを思い出したりして、集中できなかった。まあドラマがないから仕方がないか。