odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「トーク8(エイト)」(徳間文庫) 「唯一の対談集となるであろうことは確か」。このあとは自作解説や小説内で小説理論や技術を書くようになり対談で語らなくなった。

 1970-80年の対談を集めたもの。あとがきによると「唯一の対談集となるであろうことは確か」とある。そうであるのかどうかは不明。ちなみに、1980年代の新潮社版全集には未収録。

山下洋輔トリオ・プラス・筒井康隆山下洋輔・森山威男・中村誠一) 1970.04 ・・・ たぶん主題は即興で、集団の音楽と孤独な小説の違い。そこで共通になるのがこういう座談。話題(主題)も即興で、途中にはトリオの連中の即興のことば(音)が出てきて、フィナーレなしで唐突に終わる。全学連の「自己否定」にいちゃもんをつける

夜の神戸でジャズを語ろう(河野典生) 1975.01 ・・・ 河野典生1935年生まれ、筒井1934年生まれ。同世代で神戸在住で、ジャズ好きが共通点。「七瀬ふたたび」の証言

「書いていてあれほど面白くなかった小説はない。ハートがこもっていず、狂気がない。小説理論で組み立てただけで、一つの物語をでっち上げられるエンターテイナーという自覚ができた(P71)」

へえ〜、そうだったの。どういう理論が背景にあったのだろう。その他。「人間のドタバタ的な側面しか興味がない」「バーを舞台にした小説(「「蝶」の硫黄島」「日本以外全部沈没」)は一幕ものの芝居だったらこういうふうになるという考え方でいく」「ぼくが想定するぼくの読者は、ぼくと同じ程度に小説を読み込んでいて、ぼくと同じ年代で、同じような考えをする連中に限られる。若い読者を想像して書いたことは一度もない」「騒春私小説を書けと言われて仕方なく書いた」「叔父に日本秘密探偵社社長というのがいる」。河野は昭和の終わりで創作のキャリアを終了。

悪夢ごっこ吉行淳之介) 1975.10 ・・・ 小説になる(睡眠、中にみる)夢、ならない夢。紅茶キノコが流行っていたころ。

オレがSFなのだ(荒巻義雄) 1977.07 ・・・ 「奇想天外」で発表。中間小説雑誌がSFばかりになり、純文学がSFの勉強を始め、老大家がSFに怒り心頭の時代。SFの可能性を楽観的に語る。(自分はこの時代のあとに、SFを読み始めた。SFが蔑視されていたり、持ち上げられていたりしたのを知らなかったので、この対談は妙な感じ。)

小説のおもしろさ(中島梓) 1978.05 ・・・ 「波」で発表。「富豪刑事」の感想。中島梓は新進評論家(かつ作家)。最初の評論集「文学の輪郭」が評判になった。対談は、小説の形式や技術について。意図や内容、目的に関する話はなくて、ただ「面白いことが大事」と繰り返す。なるほど、この対談時期のころから修養を目的にした教養主義に代わって面白さに注目する快楽主義が出てきて、その先鋒がこの二人といえる。(補足すると、面白がるためには、小説のパターンや形式、先行する諸作品などの知識が必要。知識があるほど楽しめるので、勉強は大事)。

悪への想像力(相倉久人山下洋輔) 1979.08 ・・・ 廃刊した「カイエ」で発表。「大いなる助走」の感想。現実が虚構を模倣。

相倉「ニューミュージックは人生相談ソング。どう生きたらいいかの問いかけと答えがある」。

おお、ニューミュージックの気持ち悪さがようやく納得いったぞ(アリスとか海援隊とか吉田拓郎とか井上陽水とか荒井由実とかイルカとかオフコースとかの「よさ」をそのころ解らなかったし、今もわからない)。個々の犯罪から社会の問題を摘出するという相倉さんのやり方はあまり共感できないので、流し読み。

意識と無意識(岸田秀) 1979.10 ・・・ 「現代思想」で発表。当時、岸田秀の「唯幻論」が人気。自分はこの議論と精神分析は好ましく思わないので、パス。

ジャズ・文学・80年代(山下洋輔) 1980.01-02 ・・・ 廃刊した「カイエ」で発表。「海」に連載中の「虚人たち」の感想から、文学や音楽の実験について。即興セッションなので、あっちゃこっちゃに話題が飛ぶ。


 1980年に単行本が出たとき、筒井康隆の文庫は売れていて、ドタバタ、アホ話、ハチャメチャ、スラップスティック、悪趣味などは年少の読者に大いに読まれていて、熱烈なファンを産んでいた。彼らは、小説のつもりでこの対談集を買って、大いに面食らっただろうね。小説のような「面白い」ことは一切書かれていなくて、作家の仕事の後ろで何をやっているか、それを学問のスタイルで語るのだから。そのうえ、説明なしでジャズに文学史に小説理論に精神分析に・・・と縦横無尽の知識を披露している。読者の側を考慮することなく、自分の知識に思考を述べている。なので、読者はちゃんと読み取るためには、それ相応の勉強をしていないといけない。そのあたりの事情は小説には書かれていないからねえ(でも精神分析博物学の知識が出てくる短編がよくあったから、わかるひとにはわかっていたはず)。そういえば「みだれ撃ち涜書ノート」では、とりあげる本が難しくて困るという苦情が読者からあったらしいことが書かれていたなあ。
 自分の興味からすると、作家の小説理論や技術に興味があるのだが、あいにくそちらは断片的。かわりに小説の発想は自作を例に挙げて細かく説明。あいにくどういう発想をしたかは、自分の読み取りにはあまり関係がないので、この対談集は参考にならなかった。「虚人たち」のころから自作解説をエッセイに書いたり、小説本文の中で意図を解説したりするようになったので、座談などで説明する必要がなくなった。

  

1988年に大江健三郎井上ひさしとおこなった対談が出版されている。
odd-hatch.hatenablog.jp