作家が主に中学生時代に見た印象深い映画を回想する。雑誌連載が1979年から81年にかけて。始まったばかりのころは民生用のビデオデッキは高価で普及していない。そのために、ビデオソフトも出ていない。なので、映画の記憶をたどるために、作家は戦前の「キネマ旬報」を全冊購入した。それを読みふけり、自分の記憶と照らし合わせ、ほかの雑誌や本を収集して、ひとつの映画を再構成する(この連載の最中に「美藝公」が書かれている。資料の読み込みと記憶の呼び起こしが創作に結実したのだろう)。
取り上げた映画は以下の通り。
モンティ・バンクス/「黄金狂時代」/「ロイドの巨人征服」/「モロッコ」/「キング・コング」/「鯉名の銀平」/シャリアピンの「ドン・キホーテ」/「にんじん」/「世界の終り」/「 丹下左膳餘話 百萬兩の壺」/「密林の荒鷲」/エノケンの「どんぐり頓兵衛」/エンタッ・アチャコの「あきれた連中」/「海賊ブラッド」/「モンテカルロの銀行破り」/「エノケンの千万長者」/エンタツ・アチャコの「これは失禮」/「おほべら棒」/「隊長ブーリバ」/エノケンの「江戸っ子三太」/「戦国群盗傳」/「ターザンの逆襲」/リチャード・夕ルマッジ/「巨人ゴーレム」/エノケンの「ちやっきり金太」/「海の魂」/「キング・ソロモン」/「歴史は夜つくられる」/「奴隷船」/「軍使」/「路傍の石」/「冬の宿」/「エノケンの法界坊」/「水なき海の戦ひ」/「水戸黄門廻園記」/「ロイドのエヂプト博士」/「エンタツ・アチャコの忍術道中記」/「ロッパの大久保彦左衛門」/「右門捕物帖・拾葛雨秘聞」/「エノケンの鞍馬天狗」
戦前のある時期から洋画の輸入が制限され(昭和12年ころから始まり完全に停止するのが16年)、戦後も輸入できなかったので、戦前に仕入れた古いフィルムを回す。なので、作家が映画をみまくった昭和22年ころからサンフランシスコ講和条約までは、洋画の旧作と邦画の新旧作が同時上映されるという稀有な時代だった。なので、作家の記憶にある映画はとても幅広い。
ついでにいうと、作家の興味はコメディ、とくにアクションと音楽にあるので、取り上げる印象に残った映画にはいわゆる名画がほとんどない。あっても「つまらなかった」「ギャグが不十分」「メロドラマがじゃま」という感想になる。ここがほかの映画好きの回想とずいぶん異なるところ。代わりに大量の喜劇映画が取り上げられる。
作者の証言で貴重なのは、「大仏廻国記」。大仏が歩き回る奇怪な特撮映画が戦前にあったらしいと、ネットで騒然となった。
だ…大仏が…! 衝撃的な戦前SF映画『大仏廻国』の存在が露わに - NAVER まとめ
フィルムが残っていないので、スチールから想像するしかなく、見たという証言もない幻の映画だったが、作家が若いころにみていた。その感想。
「『大仏廻国記』などというパート・カラーの観光映画、しかもブッ切れで数十分の代物を、まるで怪獣映画みたいに大仏さんが都会の真ん中で電車を持ちあげ、人間が逃げまどっている、総天然色みたいに見えぬこともない大看板を出して客を集めていた。ぼくも見てしまった方だが、志賀廼家淡海が大仏さんに淡海節を歌って聞かせたりするつまらぬ映画だった。(P257-258)」
まあ、特撮以外には期待しない方がよさそうだ。
取り上げた映画は「キネマ旬報」に掲載されたあらすじに、作家の記憶による注記や感想がつき、批評や興行成績がのっている。まことに懇切丁寧な仕上げであるが、映画がディスクや配信で販売され、著作権切れの映画(取り上げたもののほぼすべてが対象になる)はパブリックドメインで廉価に購入でき、一部はネットで見ることができる。映画やスタッフの情報も検索できるようになり、この本のように詳しく筋を書く必要はなくなった。
では、どこが21世紀にこの本を読む意味を見出すかというと、敗戦直後のティーンエイジャーの生活を見るところ。敗戦直前の空襲で住まいの大阪は焼け野原になり、エリートも庶民も、公務員もサラリーマンも、貧困という点で平等になった。そのような社会をどのように見たか、ということには大人たちによる記録は目につくのだが、ティーンエイジに見聞きした記録はなかなかない。大阪に限れば、開高健1930年生、小松左京1931年生、高橋和巳1931年生、小田実1932年生、筒井康隆1934年生などがこの年代に当てはまるのだが、彼らにして記述は少ない。作家に限ると、幼年時代の思い出を書いたのは「不良少年の映画史」だけなのではないか。
作家はほかの人に比べると恵まれていたらしいのは、動物学者の親がいて、戦災にあわなかったところ。それであっても食い物には不自由し(昭和20年の「本土決戦」準備で、第一次産業従事者を徴兵してリソースを奪ったこと、農具・肥料などを生産・輸入しなかったこと、空襲によって物流リソースが破壊されたこと。とくに前のふたつが大きい。たった一年の失政が回復まで数年を要した)、娯楽に乏しい。小学校高学年のIQテストで170という高得点をあげるほどの秀才がふつう中学にいって授業を馬鹿にし、そのために学校に出席しないで、繁華街をほっつき歩いて、映画を片端から見ていった。映画を見るために、父の蔵書や母の着物を闇市に売り飛ばした。洋画の美人が出てくれば暗闇で自涜をし、男娼の誘惑を振り切ったりする。ここらが「不良」と自称する由縁。今の視点からみると、愚連隊(死語)に加わらず、ひとりでほっつき歩いていたのが常習的犯罪者にならずに済んだといえる。暴力に快楽を感じたり、徒党を組んで承認欲求を満たしたりすることをしなかったのは、頭がよい子供だったためだろう。
(貧困において平等といったが、もちろん夫が帰ってこない/なくなった、親がともどもなくなった、原爆に被災したという、より厳しい条件に置かれた人たちがいることを忘れてはならない。)
瓦礫と闇市、修復中の建物とバラック、復員服と焼け残った戦前の服、横流品と代用品、日本語と英語の混在する看板、スすし詰めの電車とバス。満員の映画館と屋台。そういうものが混在する空間。この時代がよかったとは一切思わないが、記憶と記録に残しておかなければならない時代。
あと「ぼくが作家として五十年現役であり続けようとしたならばあと三十年以上書き続けなければならないのだから。もちろん、そんな馬鹿げたことをやる気はない(P446)」と書いているのがほほえましい。連載開始時43歳、この記述は45歳1981年のとき。書き込んでからもう40年近くたっている。書き続ける意志の持続に敬服。
モンティ・バンクス
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シャリアピンの「ドン・キホーテ」
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山中貞雄 丹下左膳餘話 百萬兩の壺
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密林の荒鷲(Young Eagles)
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海賊ブラッド
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巨人ゴーレム
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海の魂
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キング・ソロモン
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奴隷船
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テンプルの軍使
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ターザンの逆襲
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リチャード・タルマッヂ(Richard Talmadge)
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