1972年から1974年にかけて雑誌連載された連作短編集。書かれた年にはすでに任侠映画の人気は下降、西部劇映画も制作されなくなっていて、ギャング映画はすたれている(というところに、「ゴッドファーザー」1972年が大ヒットしていたわ)。もちろん直後にカン・フー映画が流行したし、テレビドラマでやくざや暴力団が登場することは頻繁にあったので、読者は小説世界になじみがあり、バイオレンス描写になじんでもいたのである。
物語はやくざ。上記の任脅映画やギャング映画みたいに、地方都市にありそうな弱小暴力団の構成員が主人公になる(物語相互には関連性はない)。アンチヒーローの暴力や挫折を描くのだが、ここで少しばかり異なるのは、主人公がすこしばかり「普通(当時の基準として)」でない性向を示すこと。タイトル(スイング・ジャズ時代のスタンダード・ナンバーを使用)ごとにみてみると、
夜も昼も: 自涜中毒
恋とはなんでしょう: 同性愛者
星屑: マゾヒスト
嘘は罪: 虚言症
アイスクリーム: 児童虐待のための暴力嗜好
あなたと夜と音楽と: 学歴コンプレックス
二人でお茶を: 二重人格
素敵なあなた: 動物愛
このような性向を持つ者が、やくざの抗争、監禁、拷問、護衛、脅迫などで過剰な暴力を引き出し、失敗し、ときに死んでいくまで。任侠映画やギャング映画でも反社会的あるいは非社会的なアンチヒーローが死亡することがあるが、彼らに見られるヒロイック性はまったくなくて、いずれもが悲惨で(外側から見ると滑稽な)挫折を経験する。まあみっともない男の末路を感傷抜きで味わうことになる。さすがと、21世紀になると、これらの「普通(当時の基準として)」でない性向を笑いものにするのはおかしなことで、読書中に脳裏を冷たい風が流れて、白けてしまうときもあった。まあ、もう読まなくてもいいでしょう。
感心したのは、それぞれ異なる性向を8種類もリストアップし、それぞれにふさわしい物語をつくった作者の技術。同じシチュエーションにさまざまな性向を持つ人間を投げ込んで、心理や行動を描写するというのは作者のよく使う手法。思い出すだけでも「俗物図鑑」「家族八景」「死にかた」を思い出す。
「現代SFの特質とは」(国文学1975.03)ではSFはジャンルではなく、「虚構性」にあるという主張。まだ思考の途中で、「〜〜ではない」というしかたで説明するだけ。