odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「心狸学・社怪学」(講談社文庫)

 1969.01-08に雑誌に連載。「心理学・社会学」の概念を使って、現在(1969年)の社会や家族を描く。本文ではこれらの概念に関する説明はないので、読者はあらかじめ知っていることが想定されている。

心狸学篇
条件反射 ・・・ 事故を起こした流行作家、緊急事態のために動物の臓器移植をうける。ドナー―レシピアントの問題がないので、よいのだそうな(前年にこの国初の心臓移植事件があった。 渡辺淳一「白い宴」(角川文庫)。動物の本能を使ったオチは置いておくとして、問題はマスコミや隣人によるレシピアントの人権侵害が当然のように起こること。

ナルシシズム ・・・ 女性ロボットができて、それを買った独身サラリーマンが翻弄される。かつては「女」の身勝手さをみたものだが、21世紀に読むと身勝手なのは男のほう。むしろ自分の欲望をロボットに投影した男の方がナルシストにみえる。

フラストレーション ・・・ 男性がいっせいにオナニーをするようになって、女性のイライラが募りました、というおとぎ話。「フリーセックス」が時代のことばだったので、その逆をねらった、というのだろうけど、21世紀に別の理由(貧困、学費高騰など)で婚姻率や出産率が低下してしまった。

優越感 ・・・ 建売住宅に引っ越した日から団地住まいによる嫌がらせが始まり、エスカレートしていく。のちに「三丁目が戦争です」ジュブナイルに改作された。当事者の大人の視点なので、容赦ない。

サディズム ・・・ ダッチワイフの製造会社にモデルになった女優が抗議に来た。言いくるめて、自社の、きわめて高飛車なダッチワイフを使うことにする。う〜ん、21世紀にはダメ。

エディプス・コンプレックス ・・・ 女性に興味をもてない独身の「おれ」が精神分析を受けることにし、最新の機械で「おれ」の精神にダイブする。通俗精神分析の解説を聞きながら、幼年期の記憶へ遡る。

催眠暗示 ・・・ 青山墓地で行為の最中、口走ったことばに影響されてか、脱いだステテコが宇宙空間でみつかった。それからおこるマスコミ騒動。「俺に関する噂」の前駆。


社怪学篇
ゲゼルシャフト ・・・ 銀行強盗が起きた。主犯は警察に逃げ込み、その犯罪を捜査する担当になった。天下泰平、事件がないと警察縮小論のでてくるご時世(まあ、組織の最大の目的は組織の維持にあるというのは現在にも通じる)。

ゲマインシャフト ・・・ 新進ジャズ評論家がハインライン「歪んだ家」のマンションに引っ越してきたと思いなせえ。管理人の家族同様の付き合いの意味。「三月ウサギ」も参考に。

原始共産制 ・・・ 東大安田講堂の攻防戦は1969年1月18-19日。学生は持ちこたえ、落城しなかった。当局は大学を封鎖し、周辺を無人地域にした。以来百数十年がたつ。学生たちの孫かひ孫の世代の「し本主ぎ」と「共さん主ぎ」。

議会制民主主義 ・・・ 総理、大蔵、外務大臣が事故で脳死になってしまった。議員はタレント出身ばかりでバラエティ化した国会運営をするためにとったやりかた。

マス・コミュニケーション ・・・ 家訓で二千人斬りを命じられた男、マスコミの力で達成する。上とあわせて「あらえっさっさ」1968の続き。

近代都市 ・・・ 安い下宿に引っ越してきたが、そこは国鉄(死語)の線路の脇だった。鉄道にトイレのタンクがついていなかったころの話。

未来都市 ・・・ 自宅に向かって通底車の工事が行われているが、許可した覚えはないし、説明もない、どうにかしてくれと役所に苦情の電話をなんどもなんどもなんどもかける。役所ののらりくらり。このころ、成田市三里塚で空港建設の強制代執行が行われた。他の案件でも多数の事例があった。


 もう半世紀前に書かれていて、その当時の読者にはSFではなく、現実の延長や誇張であるとはっきりわかっていたのだよなあ。それでいて、半生記の時を経て、変わったところもあれば、まるで変化のないところもあって、この国の在り方には嫌な気分になってしまう。
 全集10収録の「読書遍歴」というエッセイをみると、作家は社会科学書フロイトをたくさん読む(読んだ)とある。この連作短編のタイトルはそれらからの借用。この知識に現実のできごとに取材して、想像力を働かせて、エンターテインメント小説を書く手腕はみごと。例によって辞書や辞典を目指すかのように、気になる概念を全部枚挙してしまおうという努力(あるいは強迫性)には感服。
 その一方で、女性の人権に対する感覚はそうとうにふるい。21世紀には通用しない。自分がガキの時に笑えたものが、今では笑うどころか腹が立つことになる。それくらいに社会の中の一部は50年で劇的に変化した。