1969年下半期の短編。夏にアポロ11号の月面着陸があり、ウッドストック・フェスティバルがあり、三沢vs松山商の決勝戦は18回で決着がつかず再試合になり、ベトナム戦争は泥沼状態で、中国の文化大革命は得体が知れず・・という年。
母子像 1969.07 ・・・ 大学をやめて著述業になった「わたし」はシンバルを撃つさるのおもちゃを買った。おもちゃを赤ん坊は気に入った。翌朝、赤ん坊と妻が消えていた。サルのおもちゃが<消える世界>に呼んでいる。「わたし」は妻と赤ん坊を追いかける。ストレートな怪談(珍しい)。家族を失い追いかける男の物語は、このあと繰り返される(「脱走と追跡のサンバ 」「虚人たち」「残像に口紅を」)。あとのものは追い付かないが、ここでは取り戻す。が深い喪失感と諦念。
穴 1969.04 ・・・ 武田泰淳「富士」や埴谷雄高「死霊」の病院の患者と医師が集団で脱走したと思いなせえ。途中であう現実の人々もまたなんらかの症状を持っていて。学生5人が不発弾をかかえて街中を走るのは、山上たつひこ「喜劇新思想大系」の一話にあったな。
混同夢 1969.07 ・・・ 猛烈社員を要求する社長に、企画課の平社員は家族を優先し、型通りのレジャーをする。まったくあたりまえのことを言うこと/実践することが会社の「和」を乱すことになる不条理。一方で、型にはまった家族旅行しかできず、画一の劣悪なサービスに満足することの強い違和感。この国のことを書いていながら、SFになってしまう。
秘密兵器 1969.08 ・・・ もしも高校野球に女生徒が出て活躍したら。水島新司「野球狂の詩」1972の前の作品。
血みどろウサギ 1969.08 ・・・ 月にいる血みどろで恨めし気なウサギが地球を睨んでいる。1969.7.21に最初の人類月面着陸成功。
笑うな 1969.09 ・・・ 同僚が恥ずかしそうに、もじもじと切り出した。その告白を聞いたとたんに爆笑。
くさり 1969.09 ・・・ 買ってきた猫は日曜にいなくなり、その夜階下から鎖を引きずる音が聞こえる。母が死んでから父は実験室でなにか生物学の実験をしているらしい。猫はどこにいったのか。作家の作品ではおうおうにして「母」は抑圧的で陰険で暴力的である。
革命のふたつの夜 1969.09 ・・・ 機動隊に追われる女子大生をかくまったことから、最年少助教授に起きたふたつのありえた後日談。学生に喧嘩を売った場合と、学生の運動拠点にされた場合。小田実/高橋和巳他「変革の思想を問う」(筑摩書房)を誇張したと思いなせえ。もうひとつの別の在り方が手塚治虫「ネオ・ファウスト」に登場する助教授なので、これも参考に。
国境線は遠かった 1969.09 ・・・ 高級レストランで出会った美女に誘われて、マンションにいくと、彼女はヌートリア国王の第6夫人。嫉妬した王様が、トポロジー的につながったヌートリアから間男を始末するためにやってきた。窓を出て隣の部屋に移動しようとすると、王様は隣の部屋を買って国土を広げてしまう。とうとうマンション全部を購入してしまい、どうすれば逃げられるか。ドタバタなチェイス・アンド・アドヴェンチャーの最後は大阪万博広場。翌年に開催される催しを事前にパロディ化。一部屋違うと国が異なるというのは、ベルリンの壁をつくっていた時にあったこと。「ホンキイ・トンク」と比較せよ。
フル・ネルソン 1969.10 ・・・ ある実験室の教師と生徒の会話。であるようだし、複数のグループの別々の会話がシャッフルされているようだし。固有名詞が物理学やSFのものだし。細部は論理的だが、全体として支離滅裂。こんなん、よう書くわ。
レモンのような二人 1969.09 ・・・ 大学生の恋愛模様。しだいにずれていって・・・。おちがSF用語になる。このころに「フリーセックス」が流行語に。参考は庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」1969年5月@中央公論。深夜放送の女性アナウンサーが「レモンちゃん」の愛称で人気があったころ。
巷談アポロ芸者 1969.10 ・・・ アポロ11号の月面着陸(7月21日)にむけてテレビやラジオや雑誌の原稿に追われることになったSF作家。疲労の極で、からだをコントロールできなくなって。
泣き語り性教育 1969.12 ・・・ 校長先生が中学二年生の女子に性教育することになった。戦前生まれの性に抑圧された男性が、新世代の若い女性に圧倒される。このころ性教育の重要性がいわれて、手塚治虫が教育マンガを書いたり、永井豪の「ハレンチ学園」がPTAから攻撃されたり、かばごんこと阿部先生がテレビに出たり、ロマンポルノや洋物ピンク映画が上映されるようになったり。
悪魔を呼ぶ連中 1970.01 ・・・ 倒産寸前の会社の役員が悪魔を呼び出そうとするが、慣れないもので思惑通りにならない。疲れてしまって・・・。うーん、やはりプロジェクトは複数担当者の相互チェックが働くようにしないと(違)。
コレラ 1970.01 ・・・ カミュ「ペスト」に対抗する、東京を震撼させた「コレラ」蔓延記。音と色彩の饗宴。
上記のように1969年は印象に残る年であって(自分がものごころついたころというのもあるが)、できごとがたくさんあった。それだけ、都市も農村も渦中にあり、人も元気に活動していた(平均寿命は男性70歳未満、女性74歳だった。認知症(という言葉が当時はない)が問題になるのは1970年代に入ってから)。そのダイナミズムがこの短編にも反映。作家も若かったので、動く、動く。とりわけ、「国境線は遠かった」のバイタリティがすごいよ。
ときに「死」がテーマになるが、ここではとても抽象的(「くさり」「革命のふたつの夜」)。肉体の苦痛や精神の暗黒への不安や恐怖が具体的に語られるわけではない。まだまだ作家にとって「死」は三人称のもので、どこか遠かったのだった(たぶんこれから読む「霊長類南へ」の死も切実にはなっていないはず。「虚航船団」1984年の無数の死とはずいぶん違う)。