odd_hatchの読書ノート

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イーデン・フィルポッツ「闇からの声」(創元推理文庫)

 引退した元判事ジョン・リングローズは、イギリス海峡に面したオールド・マナー・ハウスホテルで、深夜子供の叫び声を聴く。「そいつに僕を見させたりしないで、ビットンさん」。それが二回続き、隣室の老婆から一年前に少年が脳膜炎に似た症状で亡くなったことをきく。直前には叫び声のようになにかに怯えていて、どんどん衰弱していったという。老婆はそのころ奇妙な顔を見ていて、スケッチを残していた。リングローズは病死と思われる事件が実は奸智にたけた者による犯行であると確信し、卑劣な犯人を追い詰めることを決心する。
 その少年はブルーク卿のひとり息子であり、事件の起こる前に、父のブルーク卿はスイスのコモ湖畔(「赤毛のレドメイン家」の舞台でもある作者のお気に入りの場所)で事故死ないし自殺していた。ブルーク卿の資産と肩書は父の弟に贈られ、独身で象牙細工の収集家でもある新ブルーク卿は優雅にすごしている。闇からの声にでてきたビットンは少年の従者であるが、その前は新ブルーク卿の従僕をしていて、事件後にロンドンで暮らしている。リングローズは彼らの仕業と確信したものの、証拠はまったくない。そこで、変名を使ってまずビットンに近寄る。彼を追い詰めて自白させるために。

 フィルポッツは1862年生まれなので、1925年発表のこの作品を書いたときは63歳か。リングローズは55歳と設定されて、山登りにも苦労するのは作者の状況の反映か。フィルポッツは乱歩の熱烈な支持のおかげで「赤毛のレドメイン家」の本格探偵小説の雄であると思い込んでいたが、解説を読むと犯罪心理小説を多く書いたらしい。少し後の 「医者よ自分を癒せ」でもそうだったし、ここでも罪を感じることのない犯罪者の心理を書くのに費やされている。犯罪者の心理が人間の「闇」「無意識」を表現する特異な状況だというのは19世紀の作家(ポーとかドストエフスキーとかボードレールとか)だが、それを通俗的なところにまで落とし込むというのがフィルポッツのやったことなのだろう。フィルポッツはとくにイギリスの上流階級の「異常性」「犯罪性」に着目する。こういうマナーやジェントルマンシップに従う紳士にこそそれらが見いだせる。労働者や貧困者などの粗暴で激情的な犯罪よりも、かれらの計画的で利己的な犯罪のほうがより深い暗黒を示すのだ。そういう認識はまあ、詮索しないでおこう。むしろ問題は探偵の側にある。
 リングローズはまずビットンの近くに下宿を借り、パブで知り合い、家に出入りするまで近しくなる。そして事件の核心ともいうべき仮面をふいにビットンに突き出して消耗させる。結局自白を得られないまま、ビットンは自殺する。次にリングローズは、象牙商に変装してブルーク卿に近づき、体よく追い出された後は、少年の主治医にあい、彼を経由してブルーク卿に心理戦を展開。ついに、父の自殺現場に誘い出すことに成功する。リングローズの正体をすでに見破っていたブルーク卿はコモ湖を眺める山腹で、自分の犯罪を悔悟する告白をする。そしてしきりにワインを薦める。ワインを飲んだリングローズは猛烈な眠気と吐き気を催しだして・・・。
 ブルーク卿は奸智にたけた冷酷な犯罪者という設定で、それなりの周到な計画で事件を遂行するのはよしとするも、彼の告白などからうかがわれる「異常性」「闇」「犯罪思想」はそれほど深みのあるものではない。放蕩者が資産を喰いつぶしたので、親族から奪い取ろうという愚かさくらいが目立つだけ。まあ、1925年にはイギリスの上流階級もそれくらいに落ちぶれていたのだという暗喩かもしれないと思うくらい。
 それよりもなぜ法の裁きの届かない犯人を私的に裁くことができるとリングローズが考えたことのほうが理解できない。ビットンを追い詰めるさまは ウィリアム・モール「ハマースミスのうじ虫」(創元推理文庫)と同じ手法をとっているのだが、そこでも感じたように私的制裁をすることを私人である自分に許すのはいかがなものか。少年の死亡は病死として処理され、そうではない殺人であると考えたのは老婆たちとリングローズのみである。どうして、彼ら少数者の直観が正しいとされるのか。ビットンやブルーク卿の見た目が怪しく、事件後不正な金を獲得したらしいという偏見で犯人と処断したのは正しいのか。リングローズは自分の直観を検証しなおすことをついに行わなかった。今回は、直観通りに正しい犯人を指摘したからいいものの(それも自分を被害者にすることで逮捕させ過去の事件を捜査するというやり方は法が許す手続きなのか?)、そうでなかったときにはどうやって冤罪の責任をとるのか。そんな具合に、正義と法の使い方に疑念がますばかり。ここはやはり私人が私的制裁をするのではなく、第三者の組織である警察に移譲するのがよいのではない。クイーン「ダブル・ダブル」もそうだけど。