odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」(新潮文庫) WW1の最中になると、ホームズは国家の危機を救う秘密諜報員になる。

 ホームズの人気は登場後20年を経ても衰えることがなく、1917年までに断続的に書かれてきた短編をまとめた。おりから第一次世界大戦の最中であるが、探偵小説の出版を止めないのはイギリスの矜持とするところであるだろう。


ウィステリア荘 Wisteria Lodge ・・・ ある人が田舎の邸に招かれ、楽しい一夜を過ごしたが、目覚めると誰もいないし、宴会の跡もない。不思議なことよとホームズに相談にいくと、追いかけてきた刑事に殺人事件の犯人にされてしまった。その屋敷を借りた青年が一マイルほど離れたところで撲殺されていた。現場を監視していた巡査は怪しい顔の巨躯の男を見たと戦慄の様子を語る。このあとホームズは単独で捜査を開始する。途中のアクションは省かれて、ホームズが説明するところに事件の関係者が相次いでやってきて解決する。この短編のホームズは秘密諜報員。国家の危機を救うための秘密任務を買って出るのだ。ここから007までは、ほんのひと飛び。

赤い輪 The Red Circle ・・・ おかしな下宿人がいる。もう十日も引きこもり、まったく姿を見せない。必要なものはメモで要求し、新聞と食事の差し入れを求める。ホームズは新聞の三行広告に目を付け、深夜灯による信号が部屋に向けられているのを発見する。探偵小説趣味はここまで。あとはイタリアとアメリカを股に掛けた冒険譚。ここでもホームズの役割は秘密諜報員。

ブルース・パティントン設計書 The Bruce-Partinton Plans ・・・ 兵器工場の事務員が失踪。のちに線路わきで死体が発見された。汽車から飛び降りたのに失敗したようだが、なぜか切符を持っていない。その兵器工場からは最新兵器の設計図が盗まれている。兄マイクロフトは政府の代表として、事件の解決をホームズに依頼した。詰め込み過ぎた短編。「恐怖の谷」より、こちらを長編にした方がよかった。「ディクソン魚雷事件(アーサー・モリスン)」で魚雷の設計図が盗まれ、「潜水艦の設計図(アガサ・クリスティ)」で潜水艦の設計図が盗まれた。ほぼ同時期のリュパン潜水艇を個人所有していた(@奇巌城)。かように19世紀末から20世紀冒頭は海軍の兵器開発は重要だったのだ。

瀕死の探偵 The Dying Detective ・・・ ハドソン夫人が慌ててワトソンを呼び出した。ホームズが死にかけているというのだ。実際、ホームズの容態はよくない。ワトソンが診察しようとするのを拒否して、東洋に縁のある民間人を呼んでくれと妙なことを言いだす。解決編だけでできた探偵小説。ホームズがハドソン夫人に家が買えるくらいの家賃を払っていたというのがすごい。

フランシス・カーファクス姫の失踪 The Disappearance of Lady Frances Carfax ・・・ タイトルの貴族娘が失踪した。行方を調べると、ロンドンの悪党の家にいるらしい。ホームズは無理やり捜索したが、棺があるくらいで、家の中にはだれもいない。いったいどこに隠れているのか。

悪魔の足 The Devil's Foot ・・・ コーンウォールのある屋敷で、姉がショック死、兄弟が発狂していた。なにかの恐怖にあったらしい。数日後、別に残った兄もショック死した。ヴァン・ダインの二十則に抵触するトリック。でも、秘境冒険作家のドイルとしては、当然あってよいとみなしている。

最後の挨拶 His Last Bow ・・・ 開戦前夜。ドイツの提督とその部下が数年間のイギリスでの諜報活動を終え、帰国する。最後の土産は暗号帳であり、持ってくるのを待っている。ああ、ホームズの活躍が主に1890年代であるならば、1910年代は引退していておかしくない年齢か。ドイツを悪く言う小説はほかになかったと記憶するが、ドイツを悪者にするのは時局がらというわけか。


 イギリスの矜持といったが、内容が反戦やドイツ賛美を含んでいれば、出版は後回しにされるのでもあろうが、ことホームズ譚に限っては、そのような要素はない。この短編集は犯人あてやトリックの解明を楽しむ探偵小説ではなく、冒険小説であり、ホームズは国家の危機を救う秘密諜報員に代わっているのである。まあ、王族や首相や貴族や大臣らがじきじきに依頼にくるとなると、おのずと愛国心は芽生えるものであり、これまでに警察を馬鹿にしつつもその人海戦術や科学捜査には依拠してきたとなると、治安維持や国家安寧に意識はむかうものである。そういえばほぼ同時代のリュパン第一次世界大戦においては愛国者の顔をのぞかせたものだが(モーリス・ルブラン「オルヌカン城の謎」(創元推理文庫)、国籍を持たないリュパンは影としてしか愛国者になれなかった。ホームズは素顔のままで愛国者になれる。探偵の理性はインターナショナルなものであるが、人格や行動性向はナショナリズムであるということか。
(そういえば日本の探偵で、警視総監や首相がじきじきに依頼に来た事例はあるのかな。ジュブナイル明智小五郎くらい?)


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