事件の依頼がなくて無聊をかこつホームズは、モルヒネかコカインに手を出すくらいのことしかすることがなかった。そこにモースタンという27歳の女性が来た。父がいなくなってから、高価な真珠が届くようになり、今度は会いに来てという手紙(四人が署名するという不思議なもの)がきた。ひとりでは行けないのでホームズとワトソンに同行を依頼。そこには印度人がいて、父から預かった財産をあなたに渡すために来たのだが、双子の弟が隠匿していて、自分をねらうようになったのだという。インド人も含めて4人で弟のところに行くと、密室で弟が首をつっている。死因は針に塗られたインド産の毒薬。部屋の屋根裏部屋は荒らされていて、何かを持ち出した跡が。追いかけるとテームズ河から船で出航した形跡がある。警察にも、ホームズらにも追跡できないと判断し、ホームズはトビーという犬にクレオソート(昔はコールタールと訳されていた)の臭いを負わせたが失敗。ベーカー・イレギュラーズの不良少年たち(いまだと低賃金で未成年を労働させるブラック企業みたいだ)にテームズ河周辺を捜査させる。
1890年に書かれた長編第二作。まあ、サマリーにすると探偵小説とはいえなくて、スパイ冒険アクションものとでもいえばよいか。クライマックスはテームズ河を二隻の船が追いかけるアクションシーン。犯人は推理で見つけるのではなく、捜査の過程の尋問・証言でわかってしまうのだし。なるほど事件は密室。でも、のちのルルーやザングウィルみたいに密室そのものの捜査は行われない。なので、探偵小説のファンが下なめずるような問題は肩透かし。解決はポオ「モルグ街の殺人」をそっくりコピーしたというか、パスティーシュにしたというか、別の解決を提案したというか、この時代には意欲的なものだったのに。事件の因縁話も退屈。ワトソンがモースタン嬢に一目ぼれして、結婚するというラブ・ロマンスがないと、読み続けるのはなかなか困難。
気づいたところ。
・事件の関係者はインドに行っていた経験がある。当時の印度はイギリスの植民地。なので治世と治安のために多数のイギリス人はインドに行っていたし、インドの上流階級はイギリスに来ていた。なのでロンドン市内にもインド人がいる。国籍の多様化は植民地化の必然として進行していたのだ。それにインドではイギリス軍への反抗、レジストも行われていて、極地的には勝利する(それが小説の因縁に関係している)。だが、解放から建国にまではいたらず、この次の世代のガンジーやネルーがイギリス留学経験をへてから、インドの独立運動が活発になったのだった。(支配国のコストを減らすために、インドの上流階級を施政者の代理人にするために、限定的な高等教育が許されていたのだ。それが革命運動者を生むことになるのは、中国や朝鮮の日本留学生と同じ)。
・ホームズがモルヒネやコカインに手を出すのは、日常が退屈極まりないため。薬物による幻覚作用が日常の桎梏下にある精神を開放し、高揚するから。瞬間の至高体験が自我を開放するという理屈だね。たしかワイルドやド・クインシー、コールリッジのような芸術至上主義者も同じような薬物に手を出していた。あと、たしかこのころから「天才」概念が生まれていた。ある一芸において突出した才能を発揮しして優れた成果を出す一方で、自己破壊的・衝動的・社会性のなさがあり、それを含めた奇矯な行動性向も「天才」の条件であるというような。ゴッホ、ヴェルレーヌ、ニーチェのような人たち。ホームズはその系譜にある人で、当時の「天才」を具現化したような存在だと思う。
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