odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ウィルキー・コリンズ「白衣の女 中」(岩波文庫)

2018/02/27 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 上」(岩波文庫) 1860年


 小説はさまざまな登場人物による手記や日記、手紙など。事件を鳥瞰できるものはいないし、神のようにすべてを見通す視点も存在しない。それぞれの人物による制約や偏見がある文書を読むことによって、「事件」の全体を鳥瞰する作業が読者に要求される(といってもそれほど難しいものではない)。みな、深夜や空き時間に一人で回想するから、冷静で客観的な記述になっている。おおむねが信頼できる語り手。また手記や日記にはそれぞれの社会性やジェンダーなどが反映されていて、他の人の記述による外部からの描写と、その人自身による告白で浮かび上がる人物像も一致。この多様な文体を書き分けるのはコリンズの才能(ディケンズはこういう書き方はしなかったはず)。

第2部
マリアン・ハルカムの話続き(日記からの抜粋) ・・・ パーシヴァル卿とローラが新婚旅行から帰還。いっしょについてきたのはイタリア人のファルコ伯爵夫妻。この60歳あたりの巨漢は愛想よく、礼儀正しいが、人と屈服させる力をもっている。パーシヴァル卿とは仲がいいのか悪いのかよくわからない。なにしろ犯罪は時に割が合うと豪語するくらい。しばらくしてパーシヴァル卿はローラに内容を伏せた契約に署名を迫る。ローラは拒絶したために、パーシヴァル卿は不機嫌になり、ファスコ伯はたしなめる。屋敷から離れたボート小屋でローラは、行方不明のアン・キャセリックと会い、「パーシヴァル卿の秘密を伝えたい」という。そこに人影が見えたので、明日にということになったが、パーシヴァル卿がかぎつけてしまった。そのあと卿は屋敷を不在にしたが、その間にアンを探していたらしい。ファスコはパーシヴァル卿に大切な話があるというので、ハルカム嬢は深夜バルコニーに潜んで、彼らの内緒話を聞く。それによると、二人とも返済期日の迫った借金があり、ローラの金を当てにしているらしいこと、場合によってはローラと父フレデリックを亡き者にしてもよいと考えていること、パーシヴァル卿はアン・キャセリックを探し出さないと身の破滅になることが明らかになる。雨に濡れたハルカムは重篤な病にかかり、ハルカム嬢を監視していたファスコ伯にこの日記を読まれてしまう。
(ここまでで全体の半分が終了。二人の若い娘に降りかかる災厄はますますひどいものになり、にっちもさっちもいかなくなる。ゴシック・ロマンスによくある女性と子供に危機が訪れるという事態だ。しかし、希望もないわけではなく、悪の存在とその目的があきらかになり、対処すべき課題が明確になる。そのうえ、ハートライトの存在を悪の二人は危険とみなしていること。ここでどん底に落ちた二人の若い娘は回復し、逆襲することができるか。19世紀半ばの女性が抑圧された社会のなかで、ハルカム嬢はすばらしい。観察眼といい、人物描写の的確さといい、会話のすみずみまで復元できる記憶力といい、バルコニーに忍び込む行動力といい。ファスコ伯が敵ながらあっぱれというのはそのとおり。体調を崩さず、このまま調査を進められれば世界最初の女性探偵になれたものを。ちなみにハルカム嬢が不美人とされるのは、色黒のせいで、ジプシー(ママ)に似ているためらしい。複合差別があるわけだ。)

リマリッジ館の当主、フレデリック・フェアリー氏の手記 ・・・ 解雇された女中ファニーがフレデリックに手紙を届ける。出発前に伯爵夫人にお茶をおごられ、そこで失神してしまい、手紙にはしわが寄っていた。弁護士からはハルカムの手紙が白紙になっていたと連絡があった。病気のハルカムの代理でファスコ伯が来て、ローラを引き取ってほしいと申し出があった。自分を病弱で神経質と思い込んでいる中年男のわがまなな気分で書かれた手記。
(ファスコ伯は書斎に日光を入れなさいと忠告するが、これはナイチンゲールの主張を反映しているのかな。、「Florence Nightingele; Notes on Nursing」(看護覚書の出版は1859年なので、ちょっと無理かも。)

ブラックウォーター・パークの女中頭、イライザ・マイケルソンの話 ・・・ ハルカム嬢を看病した女中の手記。地元の主治医がみていたが、伯爵がしつこく見立てが違うといい、治療方針に口を出す。ロンドンから看護婦を呼ぶと、病状は思わしくない。別の医師に見せるとチフスの診断。主治医は怒って契約を破棄。ハルカムは持ち直したが、パーシヴァル卿は館を締めるといい、女中にハルカムの転移先を見つけに行かせる。その間に、ハルカムは伯爵と一緒にロンドンに出てしまう。狂乱状態のローラが後を追いかける。ところがハルカムは屋敷の別棟に移動されていた。パーシヴァル卿は深夜に突然馬車をだし、そのまま行方不明になる。
(ハルカム嬢は伯爵らの陰謀で何か薬をもられたと女中は推測している。チフス感染症であるが、病原菌はまだ発見されていない。)

さまざまな者達の手記など ・・・ ロンドンについたローラは、伯爵の家で半狂乱。そのまま卒倒。心臓病の見立てが出て、数日後に死亡。死亡診断書、葬儀、墓誌などが集められる。


 第2部では、病弱で身の回りの世話をできない上流階級の女性がいじめられる。最初は金の無心で、それが拒否されるとネグレクトがおき、病気を発症すると看病したふりで治癒を遅らせる(とハルカム嬢には見える)。その合間には、パーシヴァル卿と伯爵が女性を呼び出しては無理難題をいったり、ねちねちと言葉でいたぶったり。高貴な女性が男に口答えするのはマナー違反とされていた時代なので、対抗できず、当然暴力を使って反抗することもできず、ひたすら耐えるしかない。そこに金の無心や謀殺の疑いがあるとなると、心痛はいかばかりか。
 21世紀のジェットコースター・ノヴェルを読み慣れてしまうと、この昼ドラマかソープオペラのような展開にはへこたれてしまいそうになる。たしか雑誌連載だったかはずで、毎回ねちねちといたぶるところが当時の読者には受けたのだろう。まさにテレビドラマを見るような感じで、連載を読んでいたはずだ。
 ハートライト君は、第2部には登場しない。新大陸に行ったのもあるが、彼が試練を乗り越えて「男」として生まれ変わるのを待っている時間だからだ。その様子は、ハルカム嬢の夢の中で描かれる。水や火の試練は、まるでモーツァルトの歌劇「魔笛」で、主人公パミーノが経験するような抽象的なもの。そこにおいて、ハートライトは試練克服の意志を示していて、象徴的な死と再生を経験することで、人間の成長(ここでは感情の克己と、強い意志と責任感を持つこと)が現れる。第2部の終わりで、メキシコの難破を救われてハートライトが帰還するのだが、ハートライトの手記の文体が第1部のものとはガラッと変わっている。ここに読者は喝采を送ったのだろう。
 そのうえ、ローラの墓を見て嘆くハートライトのまえに、ハルカムとローラが現れた、死者が甦ったのかあ!!(いえいえ、何が起きたのかは読者はみなわかっています)。このために、第1部の感想にあげた二つの三角関係の問題が解決し、ハートライトは心惑わされることがなくなった。あとは悪漢との対決による残った三角関係に決着をつけるだけになった。

      


2018/02/23 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 下」(岩波文庫) 1860年