odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

塩月弥栄子「冠婚葬祭入門 正・続」(光文社カッパブックス)  冠婚葬祭では贈与の応酬による物の交換が面倒なのでマニュアルが必要

 1970年のベストセラー。裏表紙によると100万部を超えたそうで(手元の奥付をみると、昭和45年1月30日初版で、昭和46年3月1日で358版とある。毎日印刷している計算になるな)、この冊数になったのは(当時)7冊目だそう。普段本を読まない両親がこの本を買ったのだから、よほどのインパクトがあったのだろう。

 著者は茶道裏千家の出。お弟子さんをたくさんとる教室も主催していたよう。こういう権威もベストセラーになる要因の一つと思う。たとえば、続編の裏表紙には黛敏郎が賛を書いていて、そこでは「戦後のいわゆる民主主義が与えた誤りのひとつに、古いものは何でも因習だと決めつける考え方があるが」とある。この主張そのものが誤りだと思う(民主主義と因習と決めつける考え方は無関係だし、そういう決めつけがあった例も思いつかない)。1970年は学生運動反政府運動が盛んになっている年だが、一方で黛のような復古主義や極端な保守主義も出てきたのであって、マナーと因習を教えるこの本もまた伝統を強調する流れにあるといえる。とはいえ、

「喪服の黒が一般に正式とされるようになったのは、欧米の影響を受けるようになった明治になってからのことです。それまでは白無垢が正式の喪服でした(「続・冠婚葬祭入門」塩月弥栄子、P227)」

とあるから、伝統も案外新しい。古事記日本書紀にさかのぼるような伝統なぞないのだ。

 この本がベストセラーになった理由で思いつくのはふたつ。戦後、農村の余剰労働力が都市の工場労働者になった。中学を卒業した次男以下の男子が「金の卵」といわれて集団就職したのが昭和30年代。彼らが成人し結婚するようになったとき、彼らに村のしきたりをつたえるすべはなかった。すでに共同体と切れていて、伝統や因習を伝えられず、彼らの住んでいる都市では彼らは生活の共同体に所属していなかった。そこに冠婚葬祭を主催したり参列するようになって、そこではまだ伝統や因習があって、それに従わねばならない。そのときの簡易な指南書になった。もうひとつは洋式の生活が浸透していて、洋式の作法に従わなければならなくなった。レストランの食事、ホテルの宿泊、ロビーやラウンジでの喫茶、洋風の結婚式など。親も子も知らない作法を覚えることが必要だった。そのときの簡易な指南書になった。
 正編では結婚、出産、葬儀、祝い事の作法やマナーが、続編では贈答・応接・手紙・服装の作法やマナーが書かれている。これはすなわち贈与の経済の取り決め事だ。物を交換し合う経済の運動は、贈与、略取と再分配、貨幣による商品交換の3つがある。絶対主義王権国家を打倒した後には(この国では明治維新)、貨幣経済が主におこなわれるようになった。それでも互酬の、贈与の応酬による物の交換は冠婚葬祭に残っている。そこには作法とマナーもついていて、とてもややこしい。その場限りの応答ではなく、時間をずらし、相手と周囲を考慮しながら返礼の量を決めていく。市場がないから相場がなく、妥当な返礼であったかどうかはまた時間をおいた相手からの返礼を待たなければならない。貨幣経済に慣れてしまったものからすると、この互酬の作法とマナーはとても面倒くさい。なるほど、だれかに教わることと、情報収集にたけていることが互酬の経済では重要だ。互酬社会では、人の存在がとても重要で、この作法とマナーをうまくさばける人が重宝され、権力を持っていくのだと知れる。たとえば、この国では選挙がいまだに互酬経済の作法とマナーで運用されているように見える。
 このような互酬経済とそれに基づく共同体。ノスタルジーを感じる人々もいて、そこに残る作法とマナーを必要と感じる人もいるだろう。でも、この本が書かれてもうすぐ半世紀。この本で作法とされたことのなかにはもはや行わないことが起きている。死者の装束は近親者が手縫いで作る、死化粧も近親者の手で行うなどをやるものはまずいない。妊娠5か月目に腹帯の祝いを行うというのもまず聞かない。入院時に医師や看護婦に付け届けをするのは先方が拒否するようになった。それぐらいに社会が変化している。
(大きな変化は互酬の作法やマナーが商品化されて貨幣の経済になったこと。加えて経済発展の時代から経済停滞の時代になって、ここに書かれたことを実践するだけの収入を得るのが難しくなったこと。さらにここにある作法やマナーはとても保守的。なので女性や子供の人権への配慮は少ない。とくに女性に対しては主張することを避け、控えめにあるようにと強く命じる。冠婚葬祭で自分の家に親族や友人や会社の上司などがくるとき、妻・娘らは表に出て、采配を振るうのが見えるようにしてはならない。目立ってはならない。そのような禁止や抑制が作法やマナーとされるのは21世紀には不自然で不合理に見える。)
 正続ともに、390の小項目が書かれている。なのでほとんど、テキストを読むことになる。平成のマナー本はもっと薄くて、イラスト入りで文字数が少ない。作法は画像付きのほうがわかりやすい、間違いがないと思うが、いっぽうで、この国の人はテキストを読まなくなったと嘆息。
 この本は歴史的文書。ここに書かれている情報はその当時にだけ適応する内容と思うこと。伝統や因習も変化するのであり、過去あり現在あるものを未来に残そうと考えないこと。ましてや他人に押し付けないこと。これが大事。

    

<追記2023/3/13>
 斎藤美奈子「冠婚葬祭のひみつ」(岩波新書)に本書が登場していた。自分の読みでたりなかったところをメモする。
odd-hatch.hatenablog.jp

・結婚式と葬式のやり方が20世紀初頭に大きく変わった。それまでは民間行事や互助会の仕事だったのが、天皇家のイベントに影響されてやり方が変わり、商業化された。
・そのころから冠婚葬祭の指南書はいくつも書かれてきた。それは家族制度の強化に働き、性教育の役割も持っていた。
・1960年代に、結婚式と葬式のやり方が次の変化を起こす。戦後民主主義と自由恋愛が普及する一方で、家族制度が存続していた。その懸隔を埋める役割を果たしたひとつが本書。
(ちなみに、それまで作法の指南は小笠原家の独擅場だったが、本書で裏千家に権威が移動したといえる。)
・当時の結婚式の中心は戦後ベビーブーマー団塊の世代。彼らは兄弟姉妹と親せきが多く、大学出身で濃い友人関係があり、会社の上司同僚との縁が強かった。結婚式は血縁と学校縁と社縁で多くの出席者を見込む大イベントになった(そこで、企業は奇抜な演出を考案する。いくつかは今に残る)。
・本書は新しいマナーを提示したと思われがちだが(おれもそう思った)、実際はすでに一般化した式に準じていた(ので読者は自分が正しいことを知って安堵したのだろう)。
・新しいのは、1.婚のいかがわしさを払しょくしたこと。説教や理屈はカット、セックス情報や占いを消去した。2.葬の所作をはっきりさせたこと。3.冠(元服式)と祭(祖霊祭)を整理したこと。
(冠婚葬祭書にあった家族の在り方の説教や恋愛とセックスマニュアルの役割は、独身青年向け雑誌に移行した。)
・戦後の家族をサラリーマンの夫と専業主婦の妻と二人の子供をモデルにしていて、本書はこのような家族の視点で冠婚葬祭を整理した。なのでたくさんの人が読んだ。
・1990年以降になると、家族や血縁が縮小し、企業が福祉に金を出さないようになったので、本書のような団塊世代を対象にした結婚式や葬儀が行われなくなってきている。
 著者は過去100年以上の冠婚葬祭マニュアル本を収集して読み込んできた。他の本と比較するので、本書に書かれていないことに注目することができた。量を集めることから質が生まれてきた例です。 また実際に行われている冠婚葬祭と比較することで、社会の変化をとらえることができた。おれが多くのことを見逃したのは、明治以降の家族制度で優遇されている男だからだろう。結婚式や葬式で男の抑圧を受ける女性だから、上のような見方ができたのだろうなあ。
 保守や右翼、カルト宗教は「日本の伝統的な家族観を守れ」というが、その家族観自体が新しいし、明治にできた法に規定されている。人口構成の変化で家族は変わっているし、地域でも企業でも互助会のような仕組みは壊滅している。その都度家族のあり方は変わるので、固執すべき規範などない。「日本の伝統的な家族観を守れ」という主張がでてきたとき、事実に基づいて反論するときに斎藤美奈子「冠婚葬祭のひみつ」(岩波新書)は参照できる。利用しましょう。