odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

雑誌「ユリイカ」1991年1月号「P・K・ディックの世界」(青土社)

 雑誌でPKDの特集がでたのは、シュワルツネッガー主演の映画「トータル・リコール」の公開が予定されていたため。この国でも長編の大部分の邦訳が出そろい、第3次のPKDブームが起きていた(一次は1975年でファンジンなどでPKDの特集が出て文芸評論家が注目したこと。2次は1982年ころからで「ブレードランナー」の反響、「ヴァリス」の衝撃、PKDの死があったこと)。あわせてサイバーパンクの主要長編(ギブスン、スターリング、ラッカー、シャイナー、シェパードなど)の邦訳が出そろい、ブームが起きていて、彼らの「師」としてPKDに注目が集まっていたというのもある。

「聖なる侵入」と情報空間(伊藤俊治) ・・・ VALIS理論の概説。グノーシス主義、初期キリスト教等の神学論議をパージしているので、大瀧啓裕のまとめ(「VALIS」「聖なる侵入」の文庫解説)よりわかりやすい。後半のベイトソンとの類似はどうでもいいや(ベイトソンダブルバインド理論はバブル期のニューアカで流行っていた)。

チープなギャグにしてくれ(巽孝之) ・・・ PKDのパラノイアについて。易経を情報システムとして使う。易経は情報システム(VALISのような)のシミュラクラであり、人生の指南を与える。そこに生命化、動物化させるのがPKDの特異なところ。ワブとかロボットタクシーとか、ことに「銀河の壺直し」「ニックとグリマング」の読むたびに中身の変わる本。

P・K・デイツクの生涯(星倉憂愁) ・・・ もっと浩瀚な伝記があるが邦訳されていないので、たぶん日本語で読める最も詳しい伝記。小悦のおもしろさとはうらはらに、悲惨なPKDの人生。伝記を読んでも、このしょうもない男には感情移入できないだろうな。

ディックが生きた六○年代(小川隆) ・・・ PKDの小説の背景にある1960年代アメリカ西海岸の紹介。越智道雄「アメリカ「60年代」への旅」(朝日選書)等を参照。1980年代には古本屋に1960年代の日米カルチャー本がゴロゴロしていて、自分はよくあさっていたから、割と知っている方だが、すでにこの時代には情報の断絶があったのだね。

二日たっても崩壊していない世界を創るために(PKD) ・・・ 1978年に書かれたらしい講演草稿。PKDのテーマは「現実とは何か(とりあえずの説明は、信じることをやめてもなくなってしまわないもの)」「真正なる人間を規定しているものは何か」のふたつ。あとは「ヴァリス」のファットがしゃべっているような内容。小説に書いたことが現実になる奇妙さについて。

神秘の年のP・K・ディック(菊池誠) ・・・ ポール・ウィリアムズ「フィリップ・K・ディックの世界 消える現実」によると、PKDは手紙を大量に書き、カーボンコピーを取っていたという。なので、書簡全集が出たとき、1974年の分だけで一冊になってしまった。そこから7つを紹介。内容は前掲書や「ラスト・テスタメント」のインタビューとほぼ同じ。監視されている、陰謀に巻き込まれているというのを手紙にかいて知人やFBI(!)に送っていたというから、ぶっ飛んでいるなあ。

ナチズムと『高い城』(PKD) ・・・ 1964年。ナチズムについて聞かれたので、自分はアンティファシズムで反ナチスだけど、ドイツ文化は好き、といようなもうろうとした文章。

分裂症と『変化の書』(PKD) ・・・ 1965年。易経分裂病について。なにをいっているのかわかりません。

ディックと『易経』(ポール・ウィリアムズ) ・・・ PKDが使っていた易経(ドイツ語訳の英訳。原文とは異同あり)とそこへのPKDの書き込みを読み込む。すると、PKDは易経がYes/Noで答えないことを理解しなかったらしい。二分法で答えられる質問しかしなかった。後半は「高い城の男」でPKDが得た卦を本文と照合する。


 PKDの講演とエッセイが収録されているのが異色。手紙やメモは大量に書いたというが、それはあまり紹介されていなかった。外出が苦手だったので(パラノイアうつ病があり、創作に追われていたため)、講演もほとんど行っていない(そこはヴォネガットと違う。彼はエッセイをたくさん書き、講演を精力的にこなした。なのでエッセイや講演を収録した本は複数ある)。注目すべきと思うが、いかんせんなかみがあいまいで、話があちこちに飛んで散漫(というか支離滅裂)。とてもではないが、素人には読みこなせない。「易経」の扱いも、この本を十分に理解していたとは思えない。生活や行動性向をしるほどに、このしょうもない男には幻滅を感じていくな。複数の妻には嫉妬と暴力があったようで、こちらでも共感しずらい。そういう男が小説ではすごいものを書いたという不思議。