odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「フロリクス8からの友人」(創元推理文庫)

 数十年前に「新人」が現れた。現生人類をはるかに上回る知性の「新人」は中立論理学という未来予測で、世界の支配者になる。一方、「異人」という超能力者(未来予知、テレパシーなど)も生まれる。現生人類は彼らの能力についていけず、60億人の「旧人」になって、公務からは締め出された。社会の運営は6000人の「新人」によって、政治の運営は4000人の「異人」に任されている。「旧人」の希望は子供が能力テストで「新人」か「異人」の能力を示すものであるが、当然それもコントロールされていて、出世の道は閉ざされている。このような監視と閉鎖の社会(「高い城の男」で白人が日本人に支配されているのに似ている)で、<下級人>と呼ばれるグループが解放を画策している。十数年前に深宇宙に「神」を探しに出たトース・プロヴォーニが帰還するとき、世界は変わるのだと(「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」のようだな)。プロヴォーニの良き理解者であるコードンは獄中から解放のメッセージを送り、地下出版で「旧人」に流通させている。しかしパンフを持っているのが分かれば、月の収容所で長い懲役刑を受けることになる。


 この事態を知ったのは地球の最高権力者のウィレム・ブラム。テレパシーで他人の内話を読み取れる能力の持ち主は、コーガンを虐殺し、数日後に地球ニューヨークに到着すると予告したプロヴォーニの到着を待ち受ける。世界最高の知性の持ち主イルド博士の中立論理学による予知と待ち伏せに期待をかけて。同時に、<下級者>のアジトを急襲させ、一味を一気に捕縛してしまう。こうして世界の権力は盤石となる(なんか「偶然世界」や「ジョーンズの世界」みたいだな)。猜疑心が強く、卑屈で傲慢で、老齢で疲れ、死に直面している権力者。間抜けであるのに、相手の心理を読めるという能力で他人をたたきのめしてきた。孤独で意地汚い存在。これもPKDの小説でよく見てきた。「火星のタイムスリップ」だったり、「銀河の壺直し」のグリマングだったり。彼の孤独と猜疑はガルシア=マルケスの「族長の秋」の大統領にも近しいか。
 一方、プロヴァーニは深宇宙でフロリクス星人と邂逅する。全身ゼラチン質で数十トンもある巨大な生き物。不死であらゆるエネルギーを生体に変換でき、地球の支配を考えている。フロリクス星人は宇宙船ごとプロヴォーニを飲み込み、彼の知識を吸収する。このグリマング(@銀河の壺直し、ニックとグリマング)のようなフロリクス星人は地球人の能力(「新人」「異人」を含め)をはるかに上回り、地球のいざこざをメタ視点で見通すことができる。PKDのこれまで書かれた小説ではもっとも「神」に近い能力を持っている。「逆回りの世界」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」にでてきた地上の宗教とそれが見出した神とは異なるところにいるといっていい。なにしろフロリクス星人には受苦、おのれの死による世界の救済というモチーフはない。そこは新しいところ。でもこの宇宙的な「神」をどうみるかというのは書かれていないので、人類の精神の変容はわからない。ただ、フロリクス星人は全人類の精神を短時間でスキャンして、「新人」と「異人」の能力を消してしまった(それは彼らを小学生のようにし、政治的・社会的力を無効にする)。それをみて「平等」になった旧人は彼らを愛護しなければならないと決意する。憎悪の報復は、子供のようになった姿を見て消えてしまったよう。ここは救いというべきか。
(フロリクス星人の意図がなんなのかわからないまま、人類はそいつの来襲を迎え、最新鋭のレーザーも効かない。呆然と巨大な姿を見上げるしかない。これは一連の「ゴジラ」映画に似ているな。とりわけ「ゴジラ(最初の1954年)」と「ゴジラ2000」。なにも告げないが巨大な姿を誇示するだけなのに、神性を感じるところがとくに。)
 狂言回しになるのが、「旧人」のニック・アップルトン。うだつの上がらぬ仕事、妻とのいさかいで疲れている中、プロヴァーニ帰還の報を聞き、上司と<下級人>のアジトに行く。16歳の少女チャーリー(シャーロット)と運命的な出会い。部ラムの指示で、逃避先の印刷工場で逮捕。グラムがチャーリーに目を止めたのに対抗して、チャーリーの後を追う。まあ、いろいろあって、ニックは妻と別れ、チャーリーといいなかになる。ニックのどん詰まりな気分を16歳の少女(憎たらしくもかわいく、浅慮でありながら知恵を持つ)が救済するはず。それもかかなわず、チャーリーは夭逝してしまう。これまでのPKDでは喪失感が強く残るのだが、この小説では明るい。ニックが次の希望ないし生きがいを発見するのがその理由。でも少女の代わりに、フロリクス星人によって小学生のようになった「新人」や「異人」の世話をするというのはニックの共依存を強化するのではないか(「暗闇のスキャナー」でジャンキーたちが共同するようだ)。
 すごくわかりやすい。50年代の黄金期のSFのモチーフがたくさんある。PKDが以前書いてうまくいかなかった状況やテーマがまとまりよく提示されている。多視点ではあるが、人数が少ないのでストーリーは把握しやすい。その点では、PKD入門にはいいかもしれない。でも、読書はスイングしない。知的な興奮が起こらない。現実喪失の不安を感じることがない。本物とニセの見極めがつかない方向感覚の喪失も起こらない。あまりにそつがなさ過ぎて、まとまりがよすぎて、逆に不満足。なんという読者の傲慢。
 1969年7月2日完成原稿SMLA受理、1970年出版。 PKD本人は「この長編はクズだ。金のためだけに書いた。エースブックスに売るための小説」「たんなる退行」(「ザップ・ガン(P367)」所収のインタビュー)」と芳しくない。