odd_hatchの読書ノート

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フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(ハヤカワ文庫)-3

2018/07/26 フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(ハヤカワ文庫)-1 1968年
2018/07/24 フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」(ハヤカワ文庫)-2 1968年


 人間とアンドロイドの区別あるいは境界の消滅というテーマは興味深いし、原作が書かれた時よりもITやVRが身近になった21世紀のほうがリアリティが増している。人間と区別のつかないアンドロイドが人間の友人(もともとは火星の孤独な植民を慰めるための会話用ロボットとして開発されたのだって)になる未来は読者の現実世界ではまだ遠そうだが、いかにもロボット然とした機械が人間の仕事を奪っていって、人間が所得を得るのが困難になる未来がすぐに来そうだ。
 19世紀には労働は人間の疎外を解放するとされていたけど、21世紀にはそうではない。となると、人間は生活-労働-活動のどこで自己発見や充実を見出せばよい。何しろ労働のない世界では、生活を支えることができず、活動に費やせる余裕をもてそうにない。ロボットが生産的な仕事をして、人間は清掃などのメンテナンスしかすることがなくなりそう。人間に全く似ていない、しかも人間に敵対的なロボットを人間は愛情を持てるだろうか(あるいは感情移入できるだろうか。愛玩用のロボットではないよ)。
 この長編に登場するマーサー教は人間に救済はないという。ではマーサー師は荒野を歩き、厳しい坂を上り、ときに誰から石を投げつけられ傷つくのはなぜか。その行為自体には意味がないとされる。多くの共感ボックス使用者はマーサー師の受難・受苦を擬似的に体験すること自体が目的になる。でも、マーサー師に選ばれた存在であるリック・デッカードには、教えを告げる。すなわち、彼が荒野を歩くことで、人間が孤独ではないことを示す。そして人間は間違ったことをすることがあり、それを伝えるためだと(この教えというか、師父の教えは前作「逆まわりの世界」のユーディ教の教祖トーマス・ピーク師に似ている。ついでにグループマインド体験によってすべての人の前に現れる普遍的な尊歳になっているのは「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」のエルドリッチに似ている)。
 彼の存在の普遍性は、他人との融合を可能にする。マーサーはデッカードと融合し、マーサーの受難と受苦の人生をデッカードも引き受けることになる。個々の差異が消えて普遍性を獲得し、不死を達成する。このモチーフは深められない。融合した瞬間の現実認識の違和感は「火星のタイムスリップ」で企業家アーニィがマンフレッドの自閉症の認識様式がインストールされて、それまでの「あたりまえ」が気持ち悪いことに、耐えがたいことに、疲労困憊させることになるのに似ている。
 マーサー教のモチーフに対する検討はのちの「ヴァリス」で展開されることになるのだろう。


 PKDの主人公はたいてい妻との関係に悩み、自分の抑鬱傾向や自殺願望に苦しむものだが、この長編ではあまり強調されない。妻はムードオルガンで抑鬱の感情を持つようにしていて、無気力や沈滞に落ち込む指向性をもっているが、リックとの離婚を望んではいないし、リックの動物フェチにはある程度の理解を示す。リックもLSD他のドラッグを使うことはない。そこはこの長編が暗くならないところ。でも、ローゼン協会のレイチェルは映画のショーン・ヤングのような成熟した女性ではなく、18歳でしかも第二次性徴があまり現れない少女体形の持ち主。行動が突発的で衝動的な性向を示す(「感情的」と書けないのがもどかしい)。彼女はリックに対してちょっかいを出し、いじわるをするという男から見て厄介で魅力的な存在。ここらはPKDの性向をみるよう(レイチェルのような未成熟の少女が現れて、主人公が自分の現状打破の可能性を勝手に妄想するのもPKDにはよくあること)。
 そして、主人公に初めて警官という職が与えられ、人を追いかける側の苦悩が主題になったこと。主人公が目覚めるところから始まり(これもPKDの作品によくみられる書き出し)、就寝するまでの24時間だけが描かれたこと。このような書き方の変化がおこり、それぞれにおいて成功している。
 見かけは犯罪者追跡のチェイス・アンド・アドヴェンチャーの冒険アクション小説。でも、主題も状況も思想も神学も読みとることはたくさんある。すばらしい傑作。読み始めるまでなめてかかってました。お見それいたしました。
 1966年6月20日SMLA受理、1968年出版。


 リドリー・スコット監督の映画もすばらしいので、見てください。この映画の謎解きや裏話を知っていると、より楽しめるので、ここらも読んでおくとよい。
ブレードランナー - Wikipedia