odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「最後から二番目の真実」(サンリオSF文庫)

 この長編を読む前に短編「ヤンシーにならえ@(ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック III・サンリオSF文庫)」を読むことを推奨。短編はガニメデが舞台だが、長編では地球。ヤンシーの役割は同じ。


 さて、1945年から歴史がずれている世界。米ソの対立は深く、21世紀になると西部民主圏と太平洋人民圏という2つのブロックに分かれていて、際限のない戦争をしている。15年前には全面核戦争になり、生き延びた多くの人は地下に逃れ「蟻タンク」というシェルターに逃れている。地上は汚染されているが、レディというロボットだかアンドロイドだかが代理戦争中。「蟻タンク」の人々は地上軍の指令のもとレディの生産に励む。物資が少ないので、機械は丁寧にメンテナンスしないといけないが、熟練工が高齢でなくなった。彼の技能を生かすために、シェルターの代表者は地上にでて、人工臓器を買うことにする。
 ところが地上ではすでに戦争は終わっている。西部民主圏はスタントン・ブローブという高齢の独裁者によって支配され、彼のもとに集まるエリートは地上の土地を分割して所有し、地下がつくるレディを従者として優雅であるが、緊張した暮しをしている。まあ、地下の労働者が真相を知った時の叛乱を恐れているのだ。そのために、彼らは「タルボット・ヤンシー」なるシミュラクラを地上軍の支配者に仕立て上げ、地下シェルターに演説映像を送って、戦争が継続中であると叱咤激励していた。
 というような「ザップガン」に似たような世界が描かれる。とても読みにくいのは、物語の前半ではブローブという独裁者の支配の欺瞞を描いていて、彼の命令でヤンシーのスピーチライターの苦悩を描いていたのが、ライバルの登場の後、未来人であるようなライバルの存在と彼のクーデターに筋と主人公が移ってしまうから。これはPKD、事前にプロットを立てていたわけではなく、書いている途中で筋を曲げたな。それに主人公がいつになく家族や愛人で苦悩していないので、感情移入しなかったのではないか。これは冗談として、いつものPKDとは違って、身の回りの苦悩、ドラッグ依存症などの問題はここには表れない。
 あるのは、本物とまがい物の区別のあいまいさか。ブローブは脳をのぞいた臓器と器官は人工製(なので、戦争後に希少品になった世界中の人工臓器を独占)。ヤンシーはシミュラクラ(あるいはビデオに合成されたキャラクター)。スピーチは複数のゴーストライターに書かれた合成品。地下シェルターの人に教えられた1945年以降の歴史はブローブ以前の独裁者によってつくられたニセのもの(実写フィルムと俳優の演じたフェイク動画がつなぎ合わされている)。地下シェルターに送られる地上の様子もニセ動画。地下シェルターのつくるレディは人間を模した合成体。しかし、それぞれの場所にいる人びとは誰かがつくりだしたニセやフェイクを見破ることができず、その嘘を真実とみなしてしまう。嘘に自分を適応させると、嘘を嘘であると指摘することを恐れ、他人がそういうことをとがめる。地下シェルターはまさにイドラ(@フランシス・ベーコン)の象徴であるわけだ。
 そのような嘘・ニセの世界をデビッド・ランタノという異能人が変えようとする。ブローブにわなを仕掛け(この計画は頓挫)、暗殺して、「真実」を暴こうとする。登場時は放射能汚染地にすむけったいな人物であったのが、時間移動者ないし移動装置を持っていて、過去と未来に精通しているところから、予言者ないし全能者に変貌。ブローブの側の逆襲(というかレディの警察機能)で危機に陥っても動じることはない。途中メンバーの心変わりで実現が危ぶまれるが、どうやら成功したようである。
 めでたしめでたしといいたいところだが、そうならないのは、暴かれた真実は「戦争は終わった」だけであり、地上エリートたちによる地下シェルター搾取は隠蔽されているから(なので「最後から二番目の真実」となる)。地下シェルターの地上解放が実現しようとするものの、地上エリートのバックラッシュはあるわけで、開放とか真実の開示からはまだ遠いところにある。そこまでの開放や開示を関係者が目指しているかというと、はて?となるわけで、この陰鬱なディストピア、イドラの洞窟から抜け出したあとの世界がどうなるかはまるでわからない。
 1964年5月12日SMLA受理、1964年出版。文体もいつになく重厚で、内面描写も細密。主流文学のつもりで作ったのかな。どうにも重苦しくて、読書がスイングしない。社会や世界の設定は魅力的なのだがなあ。
(このころまでは世界の支配-被支配、搾取-被搾取の構造は登場人物たちが認識できるような見える構造になっていた。それが1970年代の作品になると、支配-被支配などの階層構造があるらしいとはおもえても、支配や搾取をする権力が見えなくなる。あるいは知らぬ間にその構造や階層に取り込まれて身動きができなくなる(スピーチライターのジョゼフ・アダムスみたいに逃亡することができない。なので解説にあるような本物とまがい物の見分けのつかない社会ではアダムスのように逃げることが有効な生き方というのはできないのですよ)。例えば「暗闇のスキャナー」「アルベマス」「ヴァリス」など。その認識はより読者の世界のリアルに近い。)