odd_hatchの読書ノート

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フィリップ・K・ディック「タイタンのゲームプレーヤー」(創元推理文庫)

 近未来。世界戦争が起きて、中国の兵器によって人口激減と出生率の極端な低下が起きている。老化除去手術で長命になったが、タイタンの知的生物であるヴァグによって緩やかに支配されている。このヴァグは人間と似た形態になることもできて、外見では見分けがつかない。地球人が土地の所有権を持つごく一部の特権階級がタイタン人の持ち込んだゲームをして、土地の所有権と支配権もやり取りしている。なんとも珍妙な世界であるが、PKDは合理的な政治システムを構想することには興味がなさそうなので、突っ込むのは野暮(まあ、「偶然世界」や「ジョーンズの世界」の延長にあるようだ)。
 さて特権階級のひとり、ピートはバークレーの所有権を賭けたゲームで負けてしまう。どうにか復讐してやろうと、自分の所属するチームに相談したり、元ゲームプレーヤーで今落ちぶれたレコード店主を引っ張り出そうとする。ときにテレパスの人妻やその娘に色目を使うのは、この出生率の低下した時代では普通のこと。どうにか目星をつけて、ゲームプレーヤーの大立者を呼び出して、ゲームをすることになった。そこで記憶が途切れ、どこかの空を飛んでいるときに、大立者が殺されたのを知る。一緒にゲームをしていた六人が全員記憶を失っている。人間とヴァグの警察官が捜査を開始。ピートは第一級の容疑者。再婚したばかりの妻が妊娠したというので(この世界で最大の慶事)、酔っぱらおうと街に繰り出し、気がついたら精神分析医の部屋で治療を受けている。ピートはかつてからの躁鬱症で自殺願望があるのだった。家に戻る途中で、テレパスの人妻とその仲間に拉致され、ヴァグとの戦いをしているメンバーに加われと言われる。人妻の娘はテレパスと念力の持ち主。母やその仲間が実はヴァグであることを見抜き、一気に殺戮。ピートはゲームのチームや昔の仲間と一緒に、ヴァグとの世界を賭けたゲームに臨む。ヴァグもまたテレパスに予知能力をもち、こちらの手札や戦略を読み、先に手を打ってくるのだ。


 なにを言っているかわからないと思うが、おれもなにをいっているのかわからねえ…もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…(AA略)。
 いや、個々のパートは面白いし、筋は通っているんだよ。でも次の章になると、筋が曲げられて、どんどん変な方向にいってしまうんだ。最初のころにあった人口激減に出生率低下の話題は半分くらいで消えて、前半はほとんど出番のなかったヴァグという生物の存在と意味が後半に執拗に語られる。途中のサイ集団の役割がメアリアンの登場でガラッと変わる。どういう着地にするか決めていなくて、出たこと勝負の書きなぐりになったのかしら。訳出が相当に遅れたのも納得のでき(人によっては駄作の烙印を押すかも。自分はPKDのファンなので、細部にチャームを感じますけど)。
 いくつか気付いたところ。
・主人公の中年男性(この小説は老化除去手術のために115歳という高齢だが、言動は中年のそれ)はたいてい精神症を持っていて苦しんでいる。躁鬱症、分裂症が主症状。大量の薬剤(品名をあげて副作用もかくなどとても饒舌)を服用していて、しかもアルコール耽溺の気味もあるから妄想や幻想・幻聴に悩まされている。精神科医にかかっていて、治療の様子が詳しく書かれる。医師は患者に信頼されていないから、議論になるし、ときに口論にも。生活において彼らは苦しい。
・そのうえ、中年男性は家族に問題を抱える。結婚していれば離婚寸前であったり、不倫がばれそうになったり、隣の女性に誘惑されたり。あるいは障害を持っている人が身近にいて、彼らを負担に感じていたり(十分な支援を受けていないので)。それに加えて失業したり、家業が傾きかけていたり、借金の返済があったり。抱えている問題が複雑。
・そういう男が、薬物やアルコールに耽溺するのは症状や問題が深刻でにっちもさっちもいかないと思っているから。すると、薬物の作用が強化されて、もうろうとした意識になってしまう。そこで出会うのは、現実の解体。確固としていると思われる事物がぐずぐずに崩れてしまったり、皮を破ってなにか得体のしれないものが現れたり、小さなものがざわざわとうごめいていたり、機械がしゃべりだしたり、闇に落ち込んで行ったり、宇宙のどこか見知らぬところに飛ばされていたり、核兵器の爆発後の荒廃地にいたり・・・。困るのは人間が人間もどきになったり、機械が人間のようにふるまったりすること。自分以外の誰も信用できなくなる。それは自分の精神症を思い出すことになり、今度は自分の認識や精神のふるまいがおかしいのではないかと疑いだし、自分が自分ではない、どこかでだれに乗っ取られたか、ニセモノの過去の記憶を植え付けられた出来立ての模造体(シミュラクラ)であると思ったり。デカルトの近代的自我や方法的懐疑が通用しないところにいる。
・そのような自分の存在に対する不安や疑惑は、他人には理解できないこと。症状や体験をしゃべってもだれも共感してくれない。あるいはたんなる薬の副作用や精神障害の症状であると通り一遍の扱いをされるだけ。そのために、再びアルコールや薬物に耽溺することになる。そして最初の指摘に戻る。
 たしか「ヴァリス」で、「自分で自分に仕掛けたトラップ」ということを言っていたと思うが、それはこのような状態。自分の認識や精神に問題があることが分かっていて、抜け出そうとあがくが、それがさらに事態を悪化していく。こういう自縄自縛の七転八倒が「あなたを合成します」1962年から顕著になってくる。
 こんなこと考えながら読んでいた。1963年6月4日SMLA受理、1963年出版。