odd_hatchの読書ノート

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フィリップ・K・ディック「高い城の男」(ハヤカワ文庫)-2

2018/08/28 フィリップ・K・ディック「高い城の男」(ハヤカワ文庫)-1 1962年


 以上の大状況は正面きっては書かれず、この状況に翻弄される主人公たちの会話の端々で垣間見えるに過ぎない。なので、メモを取るなどして、把握しておくことが必要。
 占領者の側にあるのが、田上伸輔(Nobusuke Tagomi)とバイネス氏。この田上の心情が矛盾と葛藤のかたまり。戦勝国・日本の通称大使としてさまざまな特権を有しているものの、政府の中では下っ端の役人で、同調圧力が強くかかる。一方で、ドイツ人やアメリカ人には得体のしれない恐怖をもっていて、しかし高圧な態度をとらなければならない。自信と優柔不断、傲慢と卑屈、豪胆と繊細、自己保身と自暴自棄。その他の相反する性向がこの男に集まっている。世界がおかしいのを認識していて、変化のために働きかけもできそうな立場にありながら、行動に移すことをためらう。こういう主人公はPKDの他の小説にもいたが、それが日本人であることが驚き。日本人の無表情さ(ないしは意味不明のにたにた笑い)が、得体のしれなさを感じさせて、このような複雑な性格にしたのかしら。彼に接触しようとするバイネス氏はヨーロッパのインテリのステレオタイプ
 密命を帯びたバイネス氏が苦労して田上につながろうとし、それを阻止しようとするドイツ軍。こういうスパイ小説が続く。彼らの行動と上からの指示で、世界の征服者の狂った政策や行動があきらかになっていく。
 被占領者の側にあるのが、チルダン氏とフランク・フリンク。
 チルダン氏は戦争前は小売商。サンフランシスコにやってきた日本軍および統治官僚は、アメリカの古いものを好む(18-19世紀の家具や骨董だとか、1930年代のパルプマガジンとか。ここは日本人の二重性を表しているな。伝統や文化を大切にする一方で、異国の文化に強烈にひかれるところ。それでいて心情においては傲岸不遜で、変化をうけいれないところなど)。その商いをしているうちに、日本軍御用達の骨董店になり、田上の命令で進物用の骨董を苦心讃嘆して集める。国がなくなり被占領状態にあるので、彼は文化と文明に自信喪失状態。日本人の顔色をうかがいながら、リスクとプロフィットをはかりにかけて、軍の術策にのらないように注意深くあろうとする。そのストレスは日本やドイツへの反感に転化して、ガラクタ芸術(しかし被占領下のアメリカではじめてあらわれた「芸術」品)に自尊心を取り戻す。
 フランク・フリンクは腕のいい工芸職人。しかし、親方との喧嘩で失業する(登場シーンが朝の目覚めであるのはPKDの主人公によくあること)。友人の誘いにのって起業しようとする。詐欺まがいの資金集め、チルダン氏の店への売り込みを行う。失敗続きのさなかに、詐欺まがいの資金集めが警察にばれ、ユダヤ人であることから送還されそうになる。たまたまの運(送還書に田上が署名を求められたとき、ドイツ領事へのさやあてにサインを拒んだ)で釈放される。もとは骨董の偽造品つくりだったが、そこらの不用部材をつかってアクセサリーをつくる。ガラクタを使った工芸品の製造で、自信を回復していく(「戦争が終わり、世界の終わりが始まる」のジャックがたしかガラクタ芸術家で、彼は家族に不幸をもたらしたが、こちらでは幸福の兆しを得た)。
 小説のほとんどすべての人物は登場した時よりも悪い状況に置かれているのだが、この二人(と次のエントリーで紹介する女性――フリンクの元妻)だけが希望や自信を回復している。ここらが、PKDのみた狂った世界から逃れる道だったのかもしれない。なにしろ、この小説では狂った総統に率いられた帝国や、議会や内閣は見せかけで少人数の密室の協議で国のことが決められる不合理な全体主義国家は、実体として存在するのであって、市民的抵抗や革命運動のない状況では狂った世界を覆すことは不可能になっている。こういう個人の自己回復くらいしか希望は見出しがたい。


2018/08/24 フィリップ・K・ディック「高い城の男」(ハヤカワ文庫)-3 1962年