odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「時は乱れて」(サンリオSF文庫)

 1950年代のアメリカの田舎町。スーパーマーケットを開いている夫婦。そこに寄宿している独身の夫の弟。彼は仕事につかず、毎日新聞の懸賞クイズを解いている。「小さな緑の男」が次に行く先を1026のマス目の中から予測するのだ。この懸賞に独身男レイグル・ガムは毎日勝ち続けている。過去の膨大な記録をもとに、統計をつくり、細心の注意を払って予測シートをつくる。それに8時間ほどかけた後は、兄のヴィックと隣人ビルとビールを飲みながら夜をつぶし、ときにビルの若い妻であるジェニーにちょっかいを出してみたいする。田舎町のごく平凡な日々。(これが描かれる冒頭100ページはきわめてのんびりした展開。PKDの書いた主流派小説のようなおもむき。それだけ人物描写には繊細な筆が施されていて、平凡でありながら、しかしリアルな人物像が浮かび上がる。この描写は見事。しかし、たるい。たるいことが後の展開の異常さを際立たせる。)

 この平凡な日々の中で、レイグルは時に不安にかられる。生産やサービス業につかないで、懸賞の賞金をもらっているだけの生活に意味があるのか。自分のやっていることに意味があるのか。寄宿先と隣人のほぼ数名としか会わない日々で孤独にすごして良いのか。町のはずれのなかなか取り壊されない廃墟の穴から、レイグルは電話帳と雑誌の切れ端を見つける。電話帳には存在しない電話番号がのっていて、雑誌のヌード写真には「マリリン・モンロー」のクレジットがあるが、彼らはそのモデルを知らない(1959年というのに!)。雑誌の発行年は1997年の未来。鉱石ラジオをつくったら、その街にはどこにもラジオとテレビはないのに、ラジオからはさまざまな交信が聞こえる。そのなかにはレイグルの情報を交換しているものもあった。なるほどレイグルは世界でだれも知らない人はいない。でももっとでかい<連中>がみんなでレイグルをはめているのではないか。レイグルのこの世界は、現実にはあり得ないしかたでできているのはないか。その疑念を考えるほどに、レイグルは自分が精神異常で、狂気を宿しているのではないかと思うようになる。
 レイグルは懸賞クイズを止めて、街の外へでることにする。しかし、外に出る長距離バス乗り場は混んでいて、まったくチケットをとれない。休暇中の兵士の車を修理する代わりに、いっしょに乗らせてくれということで話がまとまり、自動車修理場に行くもののそこでは修理ができず、近くの「バー・B・Q」でビールを飲むと、突然警官に包囲され、ガスを噴射される、気が付くと、へべれけになって家に戻ってきていた。(この決して脱出できないもどかしさ、不条理、他人の無関心の様子もまたみごと。カフカ「城」の村の様子を思い出した)
 このあと「壮大な宇宙ドラマ@裏表紙サマリー」になる。市民戦争、市民防衛に関する大きな状況が現出しているのだ(このころよく書いていた世界戦争の短編の世界に地続き。さらにハインライン月は無慈悲な夜の女王」の地球側の物語みたいな感じ)。あわせて、スパイ小説のような政治エージェントと秘密警察との闘争も進んでいる。レイグルはある決断をするが、そこに至る倫理的・政治経済の分析や思考は不十分(ル・グイン「所有せざる人々」のような徹底さはない)。なので、政治SFやエコロジーSFとして読むとものたりない。あんまりきれいにまとめすぎているようで。主流派小説ような日常のたらたらした描写が次第に崩れていって
 むしろレイグル・ガムが平凡な日常で感じる世界への違和感のほうが重要。世界の違和感は、あるはずのない蛍光灯のスイッチを探すという行為から。ないものを探す行為を自然にやってしまった。そのあとにでてくるのは、存在しない番号ののった電話帳、呼び出しを続けるが決して誰も出ない電話、有名なはずなのにだれも知らないモデル、どこからやってくるのかわからない生鮮食料品。町からの脱出は不可能(ここらの不可解な状況はアニメ映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」そっくり)。一度疑惑をもつと、精神がぐるぐる際限なく回転して、消耗し疲労して、ついに世界と自分が不一致になっている感じになる。しかも過去の記憶をほとんど持っていない。懸賞クイズという唯一の特異なことは動機がなくても、ルーティンになっていてやめると気分がわるい。無意味な行為にはうんざりしている。そういう徒労になることを延々と繰り返している。なんというか、精神が壊れていく過程をみているよう(自分がこんな経験をしているので、すごく共感できる)。
 このときに、自分の記憶があいまいであることが自己同一性を喪失していく理由になっている。この「現実」が仮構されたもので、あってはならない断片に懐かしさを覚える感じ。自分が上空から監視されていて、ものすごい勢いで指令が周辺の人物(当然、それは別の組織に所属していて「ここ」に派遣されたスパイで兵士だ)に行き渡り、自分の先々で待ち構えてスクリプト通りの演技をし、観察している。なんとも陰鬱な認識。このあたりや悪夢のようなできごとに遭遇したことを思い出す手がかりとしてそこから持ち帰ったものと探すことなどに、後年のPKDの片りんがうかがわれた。主人公レイグル・ガムは「暗闇のスキャナー」のボブ・アークターに似ている。
 でも、レイグル・ガムにおきた事態は「精神的退行」であり、世界の重要人物であるがために、周囲のフォローがあって、閉塞状況から別のところにいくことができて、精神的な崩壊(というか迷宮をさまよう感じ)からは解放された。自分の役割や起源を再発見し、上のような不安や空虚観や無力感は払底される。このころのPKDには世界と自分の関係を修復ないし再編成ないし創造する力を持っていた。でも、ラストシーンの確信よりも、街から脱出できないときの焦燥感や不安感の描写の方に魅かれる。
 1958年4月7日SMLA受理、1959年出版。

参考エントリー:
アーシュラ・ル・グィン「天のろくろ」(サンリオSF文庫)