odd_hatchの読書ノート

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フィリップ・K・ディック「いたずらの問題」(創元推理文庫)

 20世紀半ばの「浪費の時代」は1980年代の戦争によって終わった。廃墟のなかからストレイターズ大佐の主導する道徳再生運動(モラル・レクラメーション:略称モレク)が起こり、以後世界はこの運動下に再編成される。人々は集合団地ごとのブロックにまとめられ(モレクの基準に照らした道徳行動で所属するブロックが決められる。上のブロックにいくのは困難)、毎月のブロック集会でアンモラルな行動の糾弾と裁判が行われる(糾弾者や擁護者が特定できないように変調した声が使われる)。市内には茶色の制服を着た若者の軍団が監視。ジュブナイルという箱型機械が市民の行動を録音録画している。TM(テレ・メディア)がマスコミを監視し、番組やCMがモレクにあっているかどうかを判定している。こういうソフトな監視社会。モレクの基準はおもに性的なことにあって、4文字ことばを使っていないか、配偶者以外とデートや性交をしていないかなどが主な監視ポイント(まあ、差別や暴力は上記の監視システムで実行されないのだろう)。あと、笑いは推奨されない。社会はまじめであることを要求されている。人々は四角四面でしかめっつらをしている。戦前アメリカの白人モラルを徹底しているわけだな。
 こういう社会であるが抜け穴もあって、ひとつは地球外惑星に植民すること(ここはモレクの対象外)。もうひとつはメンタル・ヘルス・リゾートの厄介になること。そうすると、落伍者や不適応者もとりあえずは生存可能(ここはオーウェル「1984年」、ナボコフ「ベンドシニスター」より緩やか。バージェス「1985年」に近いか)。

 このような社会にアレン・パーセルが投げ込まれる。いきなりベッドルームが消えた部屋で茫然としている。彼は自分で設立した調査代理店の社長。CM製作や番組の企画をTMに持ち込むという企業。ずっと数番目だったが最近好調でライバル会社に目を付けられている。秘密にしておきたいのは、戦争で廃墟になった北海道(!?)にブレーンを置いていること(ここには都市では禁止されている本が保管されている。それも猥褻で発禁になったジョイスユリシーズ」!)。もうひとつは、就寝中に無意識で外に出て、いたずらをしてしまうこと。今度のは社会的な偶像であるストレイターズ大佐の銅像にペンキを塗り、滑稽なポーズに変えてしまった。重大犯罪である。
 このアレンが、在任8人目のTM局長の後任に選ばれる。受託すれば、ライバルを蹴落とし、社会の権力者としてふるまうことができる。とてもおいしい。ただ、問題は上のいたずらを秘匿しなければならないことと。もうひとつは自分の部下が企画に文句をつけたのでクビにしたこと。それはTMのモレク判断の基準を把握していないことの指摘であるのだが(そうかな?)、部下は反旗を翻すであろう。受諾するかの結論を出すまでの猶予は1週間。無意識のいたずらが不安なアレンはメンタル・ヘルス・リゾートの医師の診察を受けたが、治療のためにいきなり数光年離れた治療惑星に送られてしまう。
 帰還したものの、1週間の不在はTM幹部の逆鱗にふれる。そのうえライバル会社に移った元部下はアレンのスキャンダルをすっぱ抜く。ブロック集会で糾弾されたアレンはブロックの貸借権を奪われ、TM局長の仕事もあと1週間しかできない。すべてに一泡吹かせようとアレンは実情を説明してスタッフの協力を求める(拒否して退社する社員もいるのがいかもにアメリカ的な雇用形態)。なにができるか。
 1955年10月17日SMLA受理、1956年出版。。PKDの主人公にしてはアレンはパワフルで、アグレッシブで、有能。上記のような4つの危機(いたずらの発覚、ブロックからの糾弾、元部下の復讐、TM解任)で追い詰められるが(その過程がとてもサスペンスフル。解説ではアイリッシュとの類似がしてきされる)、頭の回転と弁舌で切り抜ける。笑いのない硬直した社会で、人々を活性化するのはいたずらであるというトリック・スター論にふさわしい、八面六臂の活躍。逃げ出せることも可能なのに、別の決断をするというのも役目を終えたトリック・スターの行く末にふさわしい。
 閉塞感はあっても、無力感や不条理のない社会と主人公なので読後はさわやかな印象。異色の作品。
(アレンが無意識にいたずらをするところや、メンタル・ヘルス・リゾートで受ける治療での悪夢の描写は気色悪く、身につまされる。ここはいつものPKDの筆の冴え)。